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弁道話(七)問答五 戒律・兼修・在家・末法#

戒律、ほかの行との兼修、在家の修行、末の世での修行をめぐる五つの問い(問11〜問15)とその答えを読む回です。

原文#

【1】(問11)とふていはく、この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳浄すべしや。

【2】(答11)しめしていはく、持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。

【3】(問12)とふていはく、この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。

【4】(答12)しめしていはく、在唐のとき、宗師に真訣をききしちなみに、西天東地の古今に、仏印を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。

【5】(問13)とふていはく、この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。

【6】(答13)しめしていはく、祖師のいはく、仏法を会すること、男女貴賎をえらぶべからずときこゆ。

【7】(問14)とふていはく、出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅辦道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはん。

【8】(答14の一)しめしていはく、おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらんものや。ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおほし。しばらく代宗・順宗の、帝位にして万機いとしげかりし、坐禅辦道して仏祖の大道を会通す。李相国・防相国、ともに輔佐の臣位にはんべりて、一天の股肱たりし、坐禅辦道して仏祖の大道に証入す。ただこれ、こころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはんや世務は仏法をさゆとおもへるものは、ただ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なきことをいまだしらざるなり。

【9】(答14の二)ちかごろ大宋に、馮相公といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふにいはく、

【10】(答14の三)公事之余喜坐禅、少曽将脇到牀眠。雖然現出宰官相、長老之名四海伝。

【11】(答14の四)これは、宦務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし。

【12】(答14の五)大宋国には、いまのよの国王大臣・士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門・文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。

【13】(答14の六)国家に真実の仏法弘通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。

【14】(答14の七)又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、獦者、樵翁さとりをひらく。いはんやそのほかの人をや。ただ正師の教道をたづぬべし。

【15】(問15)とふていはく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうべしや。

【16】(答15)しめしていはく、教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし、修すればみな得道すといふ。いはんやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。

現代語訳#

段落番号【1】〜【16】は原文の段落番号と対応します。(問11)〜(答15)の小見出しは、読みやすさのために付けたもので、原文にはありません。( )内は、原文にない語を補ったものです。仏教語・固有名詞は訳さずに残し、必要に応じて段落の後に「語注」として説明しました。

【1】(問11)問うて言う。この坐禅をもっぱら行おうとする人は、必ず戒律を厳しく清らかに守らなければならないのか。

語注

  • とふていはく:問うて言う。問いの段の書き出しの語。
  • もはらす:専(もっぱ)らにする。ひたすらそれだけを行う。
  • 戒律:仏道の修行者が守るべき戒(いましめ)と律(規則)。
  • 厳浄:厳しく、清らかに(守る)。

【2】(答11)示して言う。持戒梵行は、とりもなおさず禅門の規矩であり、仏祖の家風である。(しかし、)まだ戒を受けていない者や、また戒を破った者にも、その分がないわけではない。

語注

  • しめしていはく:(答える者が)示して言う。答の段の書き出しの語。
  • 持戒梵行:「持戒」は戒を保つこと、「梵行」は清らかな行い。
  • 禅門:禅の門。坐禅を正門とする仏法(を行う人々)。
  • 規矩:規準、手本となるきまり。
  • 家風:その宗派・師家に伝わる指導の仕方や気風(本書第一回の語注参照)。
  • その分なきにあらず:「分」は分け前・かかわり・資格。ここでは、(坐禅を行う)分がない(資格がない)わけではない、の意に取った。宗務庁版英訳は「資格を失っているわけではない」の意に訳す(→読みの分かれるところ)。

【3】(問12)問うて言う。この坐禅に励もうとする人が、さらに真言・止観の行を兼ねて修めることは、差し支えないであろうか。

語注

  • 真言止観:「真言」は密教の教え、「止観」は天台の伝統の瞑想の教え(宗務庁版英訳による)。「真言宗」は本書第四回の語注も参照。
  • かね修す:兼ねて修める。坐禅とあわせて、別の行も行うこと。
  • さまたげあるべからずや:妨げ(差し支え)はないであろうか。問う人がどちらの答を予期しているかは文面からは決めがたいので、訳は中立の問いの形にした。

【4】(答12)示して言う。(私が)唐(中国)にいたとき、宗師に真訣を聞いた折に、(宗師は)「西天・東地の古今に、仏印を正伝した諸祖は、いずれも、そのような行を兼ねて修めたとは、いまだ聞いていない」と言われた。まことに、一事をこととしなければ(一つのことに打ち込まなければ)、一智に達することはない。

語注

  • 在唐:唐(中国)にいたとき。道元禅師が渡ったのは宋の時代の中国(本書第一回の語注「大宋国」参照)で、ここの「唐」は中国を広く指す言い方と取った。宗務庁版英訳は「唐」を字のまま訳している。
  • 宗師:(一宗の)根本となる師。ここでどの師を指すかは、本文に名が示されていない。
  • 真訣:真実の奥義、肝要の教え。
  • ちなみ:折、機会。
  • 西天東地:西天はインド、東地は中国(本書第一回の語注参照)。
  • 仏印:仏の心印。仏から仏へ伝わる法のあかし(本書第一回の語注参照)。
  • 正伝:正しく伝えること(本書第一回の語注参照)。
  • しかのごときの行:そのような行。問12 の真言・止観の行を指す。
  • といひき:(宗師が)言われた。宗師の言葉は「西天東地の」から始まると取った。
  • 一事をこととす:一つの事を、自分のなすべきこととして専らにする。
  • 一事・一智:宗務庁版英訳の注は、この句を、禅の文献によく見える言い回し「不因一事不長一智」(一つの事によらなければ、一つの智を長じない)の変形とする(→読みの分かれるところ)。

【5】(問13)問うて言う。この行は、在俗の男女も勤めるべきものか。(それとも)ただ出家の人だけが修めるものか。

語注

  • 在俗:出家せず、世俗の暮らしの中にあること。在家(【8】)と同じ。
  • 出家人:家を出て僧・尼となった人。
  • ひとり:ただ、…だけ。

【6】(答13)示して言う。祖師が「仏法を会得するには、男女・貴賤を選んではならない」と言われた、と聞いている。

語注

  • 祖師:どの祖師の言葉かは本文に示されていない。宗務庁版英訳は「祖師たち」と複数に取っている。
  • 会す:会得する、理解して自分のものとする。
  • 貴賤:身分の高い者と低い者。
  • きこゆ:ここでは「(そのように)聞いている、伝えられている」の意に取った。

【7】(問14)問うて言う。出家の人は、諸縁(世間のさまざまなかかわり)をすみやかに離れて、坐禅辦道に障りがない。在俗の(人で)繁務(忙しい務め)を抱える者は、どのようにして一向に修行して、無為の仏道にかなうことができようか。

語注

  • 諸縁:さまざまな縁、世間とのかかわり。
  • 坐禅辦道:坐禅して仏道に力を尽くすこと。「辦道」は「弁道」と同じ。
  • 繁務:多くの、忙しい務め。
  • 一向に:ひたすら、もっぱら(本書第四回の語注参照)。
  • 無為の仏道:作為やはからいのない仏道(本書第一回の語注「無為」参照)。宗務庁版英訳の注は、別の訳として「仏たちの、はたらきを加えない(無為の)道」も挙げる。

【8】(答14の一)示して言う。およそ仏祖は、あわれみのあまり、広大な慈悲の門を開いておかれた。これは一切衆生を証入させるためであり、人間界・天上界の(者の)誰が(そこに)入らないことがあろうか。こういうわけで、昔と今とをたずねてみると、その証(あかし)は多い。しばらく(例を挙げれば)、代宗・順宗は、帝位にあって万機(天下の政務)がたいへん多忙であったが、坐禅辦道して仏祖の大道を会通した。李相国・防相国は、ともに(天子を)補佐する臣の位にあって、一天(天下)の股肱であったが、坐禅辦道して仏祖の大道に証入した。ただこれは、志があるかないかによるのであって、身が在家か出家かにはかかわらない。また、深く事の殊劣をわきまえる人は、おのずから信じるものである。まして、世務(世間の務め)は仏法を妨げると思っている者は、ただ「世の中に仏法がない」とだけ知っていて、「仏(法)の中に世法がない」ということを、まだ知らないのである。

語注

  • 慈門:慈悲の門。仏道に入る入り口を、慈悲によって開かれた門にたとえた語。
  • 証入:証に入ること、さとりに入ること(本書第四回の語注参照)。
  • 人天:人間界と天上界。あらゆる者(本書第一回の語注参照)。
  • その証これおほし:「証」は、在家でも道を得られることの「あかし」とも、「さとり」(証を得た者が多い)とも取れる。訳は前者に置いた。宗務庁版英訳は後者の方向で訳している。
  • 代宗・順宗:中国、唐の皇帝。代宗は唐の第八代皇帝(在位762–779)で、禅の文献には南陽慧忠の外護者として見え、順宗は短期間の唐の第十代皇帝(在位805)で、『景徳伝灯録』に仏光如満・京兆尸利の語録の問答の相手として見える(宗務庁版英訳による)。
  • 万機:天子が治める、天下のあらゆる政務。
  • 会通:会得して通達すること。
  • 李相国・防相国:「相国」は宰相(大臣)の称。宗務庁版英訳の注は、二人が誰かは確かでないとしたうえで、伝統的には李翺(772–841、薬山惟儼に従った人)と裴休(791–864、黄檗希運にゆかりのある人)を指すとされる、とする。
  • 輔佐の臣位にはんべりて:(天子を)補佐する臣の位にあって。「はんべり」は「はべり(侍り)」に同じ。
  • 一天の股肱:「一天」は天下、「股肱」は股(もも)と肱(ひじ)、手足。天子が手足のように頼みとする重臣。
  • 在家出家:在家(世俗の暮らしの中にある者)と出家(家を出て僧・尼となった者)。
  • 殊劣:すぐれていることと、劣っていること(本書第四回の語注参照)。ここで何の殊劣を言うかは、読みに幅がある。
  • 世務:世間の務め、俗世の仕事。
  • さゆ:さえぎる、妨げる。
  • 世中・世法:「世中」は世の中、「世法」は世間の法、世間のことがら。
  • 仏中:仏(法)の中。宗務庁版英訳も「法」を補って訳している(→読みの分かれるところ)。

【9】(答14の二)近ごろ大宋に、馮相公という人がいた。祖道にすぐれた大官である。後に詩を作って、自らのことを言うには、

語注

  • 大宋:中国の宋(本書第一回の語注「大宋国」参照)。
  • 馮相公:「相公」は宰相・高官を敬っていう称。馮楫(1153年没)のことで、号は不動居士、仏眼清遠(1067–1120)に従った人とされる(宗務庁版英訳による)。
  • 祖道:祖師(仏祖)の道。禅の道。
  • 長ず:すぐれる、たけている。
  • 大官:高い位の官人。

【10】(答14の三) 公務の余暇には坐禅を好み、 脇を寝台につけて眠ることは、ついぞ少なかった。 現に宰官の相(すがた)をあらわしてはいるけれども、 長老の名は四海に伝わっている。

語注

  • 典拠:この詩は『嘉泰普灯録』に見える(宗務庁版英訳による)。
  • 公事之余:公事の余(あまり)。公務のあいま、余暇。
  • 喜:「このむ」と読み、「好む」の意に取った。「よろこぶ」と取ることもできる。
  • 将脇到牀眠:脇(わき腹)を牀(寝台)につけて眠る。横になって寝ること。それが「少曽」(めったになかった)とは、横になって眠る間も惜しんで坐禅したことをいう。
  • 宰官相:「宰官」は役人、官職にある者、「相」はすがた。「宰官の相(すがた)」と訳した。宗務庁版英訳は官職の名として訳している(→読みの分かれるところ)。
  • 現出:「現に…出す」と分けて読むことも、「現出(あらわし出す)」と熟して読むこともできる。訳では「現にあらわしている」の意に取った。
  • 雖然:…ではあるけれども。
  • 長老:修行を積み、人々に仰がれる僧を呼ぶ称。ここでは、在俗の官人でありながら、仏道の師(長老)として名が知られたことをいう、と取った(→読みの分かれるところ)。
  • 四海:四方の海、天下じゅう。

【11】(答14の四)これは、宦務(官人としての務め)に暇のなかった身であったけれども、仏道への志が深かったので、得道したのである。他(の人の例)によって自分をかえりみ、昔(の例)によって今を鑑みるべきである。

語注

  • 宦務:宦(つかえること、仕官)としての務め。官人としての務め、役所の仕事。
  • 得道:道を得ること、さとりを得ること。
  • かがみる:鑑みる。手本に照らして考える。

【12】(答14の五)大宋国では、今の世の国王・大臣や、士人・俗人・男女(に至るまで)、みな心を祖道にとどめない者はない。武門(武官の家)も文家(文官の家)も、いずれも参禅学道を志している。志す者は、必ず心地を開明する(心を明らかにする)ことが多い。これによって、世務が仏法を妨げないことは、おのずから知られる。

語注

  • 大宋国:中国の宋(本書第一回の語注参照)。
  • 士俗:士人(官職にある人、読書人)と俗人(一般の世人)、と取った。宗務庁版英訳は国王・大臣・士俗・男女を四つに並べ、「士俗」を「貴族」の意に訳している。
  • 武門・文家:武人の家と文人の家。武官も文官も。
  • 参禅学道:禅に参じ、道を学ぶこと。
  • 心地:心。心を、万物を生み出す大地にたとえた語(本書第四回の語注参照)。
  • 開明:開き明らかにすること。さとること。

【13】(答14の六)国家に真実の仏法が弘まれば、諸仏・諸天が絶え間なく守護するので、王化は太平である。聖化が太平であれば、仏法はその力を得るのである。

語注

  • 弘通:(仏法が)広く行きわたること。
  • 諸天:天上界の神々。仏法を守護するものとされる。
  • 衛護:守りまもること。
  • 王化・聖化:王(天子)の徳による教化、その治世。「聖」は天子を尊んでいう語と取り、「聖化」も「王化」と同じく天子の治世の意に訳した。宗務庁版英訳も、ともに君主の感化の意に訳している。
  • 太平:世がよく治まり、平らかなこと。

【14】(答14の七)また、釈尊の在世には、逆人・邪見(の者)も道を得た。祖師の会下では、猟師や木こりの翁が悟りを開いた。まして、そのほかの人はなおさらである。ただ正師の教道をたずね求めるべきである。

語注

  • 逆人邪見:宗務庁版英訳の注は、戒を犯す人と、誤った考えをもつ人、とする(→読みの分かれるところ)。
  • みちをえき:道を得た。得道した。
  • 会下:(師の)もとに集まって修行する人々の中。門下。
  • 獦者:猟師。「獦」は「獵(猟)」の異体として用いられる字。
  • 樵翁:木こりの老人。
  • 獦者・樵翁:宗務庁版英訳の注は、それぞれ、在家のとき猟師であった石鞏慧蔵(馬祖道一の弟子)と、在家のとき木こりとして働いていた六祖慧能を指すか、とする(→読みの分かれるところ)。
  • 正師:正しい師(本書第三回の語注参照)。
  • 教道:教え導くこと。

【15】(問15)問うて言う。この行は、今の末代悪世にあっても、修行すれば証を得ることができるのか。

語注

  • 末代悪世:(仏の在世から遠く隔たった)末の世の、悪い世。宗務庁版英訳の注は、この問いが、もはやさとりを得ることのできない時代に生きている、という道元禅師の同時代の人々に広く行きわたっていた考えを映したものとする。「正像末法」は【16】の語注参照。
  • 証:さとり。

【16】(答15)示して言う。教家では名相をもっぱらとしているが、それでもなお、「大乗実教では、正・像・末法を分けることはなく、修すれば皆得道する」と言う。まして、この単伝の正法においては、入法出身、(誰もが)ひとしく自家の財珍を受用するのである。証を得たかどうかは、修する者がおのずから知ることであって、水を用いる人が、(その)冷たさ暖かさを自らわきまえるようなものである。

語注

  • 教家:経典の教え(教学)を拠りどころとする宗派。禅門(禅家)に対していう。
  • 名相:名と相。ことばによる名目と、それが指す事物のすがた。教学上の用語や分類。
  • こととす:もっぱらとする、自分の仕事とする(【4】参照)。
  • 大乗実教:道元禅師の時代に、大乗の顕教の諸宗を「権」(仮の教え)と「実」(真実の教え)に分けることが広く行われていたことを映した語で、「実」の教えとしては通常、天台と華厳が考えられていたとされる(宗務庁版英訳による)。
  • 正像末法:正法・像法・末法。仏法が衰えていく三つの時期を立てる、広く行われた数え方で、正法の時期は多く仏の入滅後の最初の千年とされ、続く像法の時期(さらに千年)は修行はあってもさとりはもはやなく、末法の時期(一万年)は正しい修行もさとりもない、とされた。釈尊の入滅を紀元前949年とする東アジアの伝統的な数え方に基づき、末法は西暦1052年に始まったと考えられていた(宗務庁版英訳による)。
  • 修すればみな得道す:「みな」「修すれば」の取り方に幅がある(→読みの分かれるところ)。訳は原文の語を残した。
  • 単伝の正法:仏祖から仏祖へ、ただ一筋に伝えられた正しい法(本書第一回の語注「単伝」参照)。
  • 入法出身:法に入り、身を出る。宗務庁版英訳の注は、珍しい組み合わせの語で、おそらく修行の「始めから終わりまで」の意であろうとし、「出身」には師として世に立つ意もあるとする。訳は原文の語を残した(→読みの分かれるところ)。
  • 自家の財珍:自分の家の財宝。宗務庁版英訳の注は、自らに本来そなわる精神の豊かさのたとえであろうとする。
  • 受用:受けて用いること。
  • 証の得否:証を得たか否か。
  • 用水の人の冷煖をみづからわきまふる:水を用いる人が、水の冷たさ暖かさを自分でわきまえる(→読みの分かれるところ)。

解説#

はじめに――問10から、問11〜問15へ#

前回の段(問10)では、「身体は滅びても、心の本性は常住で滅びない。そのことを知れば生死を離れられる」という説が取りあげられました。禅師はその説を「先尼外道が見なり」(本書第六回)と退け、「仏法には、もとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる」(本書第六回)と示されました。身と心とを分け、心だけを常住のものとして取り出す見方は、仏法の見方ではない。問10の答えは、坐禅の教えの根にかかわる、見方そのものの問題を扱うものでした。

今回の問11から問15までは、少し趣が変わります。問う人はここで、坐禅を実際に始めようとする人が、ごく具体的に抱く疑問を、一つずつ差し出していきます。

  • 【1】【2】(問11・答11) 坐禅をもっぱらにする人は、戒律を厳しく守らなければならないのか
  • 【3】【4】(問12・答12) 坐禅をしながら、真言や止観の行を兼ねて修めてもよいか
  • 【5】【6】(問13・答13) この行は、在俗の男女もつとめるべきものか、出家の人だけのものか
  • 【7】〜【14】(問14・答14の一〜七) 忙しい務めを抱える在俗の人は、どうすれば修行できるのか
  • 【15】【16】(問15・答15) 今の末の世でも、修行すれば証を得られるのか

戒を守れていない自分でも坐ってよいのか。ほかにも行っている行があるが、それと一緒でよいのか。出家していない自分でもよいのか。仕事や家のことに追われている自分に、修行などできるのか。そもそも、今の世の中でさとりなど得られるのか。どれも、坐禅に心を引かれながら、いざ坐ろうとするときに、私たちの胸にも浮かんでくるような問いではないでしょうか。

禅師の答えは、問12と問14を除けば、どれもごく短いものです。けれども、その短い答えの一つひとつに、坐禅の門を、身分や暮らしの形によって閉ざさない、という禅師の姿勢がはっきりと表れています。とりわけ問14への答えは七つの段落にわたる長いもので、在家の人が自分の暮らしのただ中で坐ることを、さまざまな例を挙げて励ましておられます。この段は、出家していない私たち一人ひとりにとって、弁道話の中でもとくに身近に感じられる箇所だと言ってよいでしょう。

問11 戒律を厳しく守るべきか〔答11〕#

問う人の問い(【1】)#

「とふていはく、この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳浄すべしや」(原文【1】)。

この坐禅をもっぱらに行おうとする人は、必ず戒律を厳しく清らかに守らなければならないのか、と。

仏道を歩む人は戒を保つもの、ということは、当時の人々にとってもよく知られたことだったでしょう。そうであれば、坐禅をもっぱらにしようとする人は、まず戒律を厳格に守ることが前提になるのではないか。問う人は、そのように尋ねています。

この問いの裏には、「戒律を完全に守れる人でなければ、坐禅をする資格はないのではないか」という心配がひそんでいるようにも読めます。

持戒梵行は禅門の規矩なり(【2】答11)#

禅師の答えは、二つの文からなります。まず前の文です。

「持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり」(原文【2】)。

戒を保ち、清らかな行いをすることは、とりもなおさず禅門の規矩(きまり、手本)であり、仏祖の家風である、と。

禅師はここで、戒を保つことを、はっきりと禅門の規矩、仏祖の家風として示されます。「規矩」とは、物事の正しいあり方を定める基準、手本となるきまりのことです。「家風」とは、その家に代々伝わってきた気風、ありようです。戒を保つことは、禅門にとって、仏祖から伝わってきた家のありようとして示されている、と受けとめることができます。

この前の文を、まず、しっかりと受けとめておきたいと思います。禅師は、坐禅をもっぱらにする人にとって、戒はどうでもよいものだ、とは決して言っておられません。むしろ、持戒梵行は禅門の規矩であり仏祖の家風である、と、最初にはっきり述べておられるのです。

その分なきにあらず(【2】答11、続き)#

そのうえで、禅師は続けられます。

「いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず」(原文【2】)。

まだ戒を受けていない者や、また戒を破った者にも、その分がないわけではない、と。

この一文は、読み方に幅のある、たいへん大切な箇所です(→読みの分かれるところ)。

まず、「その分」が何の分であるかについて、いくつかの受けとめ方があります。一つは、坐禅を行う分、坐禅にかかわる資格のことと取る読み方です。まだ戒を受けていない人も、戒を破ってしまった人も、坐禅から締め出されるわけではない、ということになります。宗務庁版英訳も、この方向で、「資格を失っているわけではない」という意味に訳しています。もう一つは、前の文の「持戒梵行」「仏祖の家風」に連なる分と取る読み方です。今はまだ戒を受けていない人、戒を破ってしまった人にも、戒を保つ仏祖の家風に連なる道が閉ざされているわけではない、ということになります。さらに、得道、証の分と取ることもできるでしょう。

また、前の文との関係の受けとめ方にも幅があります。前の文で戒を保つことを禅門の規矩として示したうえで、後の文で、それを坐禅に入るための条件とはしない、と間口を広げていると読むこともできます。あるいは、後の文は前の文に対するひかえめな譲歩であって、力点はあくまで前の文にある、と読むこともできます。

さらに、「その分なきにあらず」という言い方そのものも、「分がないわけではない」という、ひかえめな言い方です。「分は確かにある」と強く言い切っているのではなく、「ない、とは言えない」と、否定を否定する形で述べておられます。

どの読み方を取るにしても、一つ心にとめておきたいのは、この一文を「戒は守らなくてもよい」という意味に受けとめてはならない、ということです。禅師は、まず「持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり」と述べておられます。後の文は、その前の文を打ち消すものではありません。戒を保つことは、どこまでも禅門の規矩であり、仏祖の家風である。そのうえで、まだ戒を受けていない人、戒を破ってしまった人を、はじめから締め出すことはしない。二つの文を並べて読むとき、そこには、戒を重んじることと、門を閉ざさないこととが、ともに示されていると受けとめることができるように思います。

私たちの日々に引き寄せてみましょう。坐禅をしてみたいと思いながら、「自分はまだそのような立派な人間ではない」「これまでに多くの過ちを重ねてきた」と、ためらう人もあるかもしれません。禅師の答えは、そのような人を突き放すものではありません。けれども同時に、禅師は、坐禅をする人にとって戒を保つことが大切ではない、とも言っておられません。過ちを重ねてきた身であっても、坐禅の門は閉ざされていない。そして、その門を入った先には、仏祖が保ってきた清らかな家風がある。そのように受けとめるとき、この短い答えは、ためらう人への励ましであると同時に、坐禅をする人が自らの行いをかえりみる手がかりともなるでしょう。

宗門において戒がどのように受けとめられ、授けられてきたかについては、この段の本文には述べられていません。この解説でも、本文を越えてそのことに立ち入ることは控え、本文に示されていることにとどめておきます。

問12 真言・止観と兼ね修してよいか〔答12〕#

問う人の問い(【3】)#

「とふていはく、この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべからずや」(原文【3】)。

この坐禅に励もうとする人が、さらに真言・止観の行を兼ねて修めることは、差し支えないであろうか、と。

宗務庁版英訳の注では、「真言止観」は、密教の教え、または天台の伝統の瞑想の教えのこととされています。問う人は、坐禅に励むとしても、それらの行と一緒に修めてよいのではないか、と尋ねています。

この問いが、「差し支えはないであろうか」と中立に尋ねているのか、「差し支えはないはずだろう」と、兼修してよいという答えを予期して尋ねているのかは、文面からは決めがたいところです。どちらにしても、坐禅もほかの行も、よいものであれば一緒に行ったほうがよいのではないか、という考えは、私たちにとってもなじみのあるものでしょう。

在唐のとき、宗師に真訣をききし(【4】答12)#

禅師は、ご自身が中国で聞いたことをもって答えられます。

「在唐のとき、宗師に真訣をききしちなみに、西天東地の古今に、仏印を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき」(原文【4】)。

私が中国にいたとき、宗師に真実の奥義を聞いた折に、宗師は、「インドにも中国にも、古今を通じて、仏印を正しく伝えた諸祖が、そのような行を兼ねて修めたとは、いまだ聞いたことがない」と言われた、と。

ここで「宗師」が誰を指すのかは、本文には名が示されていません。宗務庁版英訳は「私の師」と、禅師ご自身の師として訳していますが、本文の上では特定の人名は挙げられていないので、この解説でも名を挙げることは控えます。また、宗師の言葉がどこからどこまでかについても、読み方に幅があります。

ここで心にとめたいのは、禅師が、兼修の是非を、ご自身の考えとして論じるのではなく、「仏印を正伝せし諸祖」のありようとして答えておられることです。仏から仏へ、祖師から祖師へと正しく伝えられてきた法の中で、諸祖は、そのような行を兼ねて修めることはしなかった。禅師は、坐禅を、仏祖が伝えてきた一筋の道として受けとめ、その一筋を守ることを示しておられる、と読むことができます。

ここで禅師は、真言や止観の行そのものの良し悪しを論じてはおられません。本文が語っているのは、仏印を正伝した諸祖がそれらを兼ねて修めたとは聞かない、ということだけです。この解説でも、他宗の行の中身や価値について立ち入ることはしません。前の問答二でも、禅師は「仏家には、教の殊劣を対論することなく」(本書第四回)と示しておられました。ここでも、問われているのは、ほかの行が劣っているかどうかではなく、坐禅をつとめる人が、何に心を定めるか、ということだと受けとめたいと思います。

一事をこととせざれば一智に達することなし(【4】答12、続き)#

そして禅師は、一句を添えられます。

「まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし」(原文【4】)。

まことに、一つの事に打ち込まなければ、一つの智にも達することはない、と。

宗務庁版英訳の注は、この句を、禅の文献によく見える言い回しを変えたものとしています。この句の「一事」「一智」をどう受けとめるかには、いくつかの読み方があります(→読みの分かれるところ)。「一事」を、一般に一つのことと取れば、何事であれ一つのことに専心しなければ、わずかな智も身につかない、という意味になります。「一事」を坐禅という一事、あるいは仏祖正伝の一法と取れば、坐禅一つに打ち込まなければ、という意味が強くなります。「一智」についても、ほんのわずかな智と取るか、ただ一つの智、仏の智と取るかで、響きが変わってきます。

どの読み方を取るにしても、この句の中心にあるのは「専一」、一つのことをもっぱらにする、ということでしょう。あれもこれもと手を広げるとき、一つひとつへの打ち込みは浅くなってしまいます。一つのことに身を尽くしてはじめて、そのことの智に達する。これは、仏道に限らず、私たちの暮らしの中でも思い当たることの多い言葉ではないでしょうか。

坐禅に引き寄せて言えば、坐禅を、ほかの行と並べて「いくつかある方法のうちの一つ」として行うのではなく、坐禅そのものに心を定めて坐る、ということになるでしょう。前回までの段で、禅師は「万事を放下し、一向に坐禅するとき」(本書第四回)と言われ、また問答三(本書第五回)では、坐禅を何かを得るための手段と見ることを退けておられました。あれこれの行を兼ねようとする心は、ときに、どれか一つで足りなければ別のもので補おう、という心でもあります。坐禅を、ほかで補わなければならない不十分なものと見るのではなく、ただ坐禅に打ち込む。この「一事をこととす」という言葉は、そのような坐禅への向き合い方を示しているように思われます。

この一句はまた、坐禅だけに限らず、日々の一つひとつの事に向き合う姿勢としても受けとめることができるでしょう。食事をするときには食事に、掃除をするときには掃除に、仕事をするときには仕事に。目の前の一事を、自分のなすべきこととして専らにする。そうした日々の積み重ねの中にも、「一事をこととす」という言葉は生きてくるように思います。

問13 在家の男女もつとめてよいか〔答13〕#

問う人の問い(【5】)#

「とふていはく、この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか」(原文【5】)。

この行は、在俗の男女もつとめるべきものか。それとも、ただ出家の人だけが修めるものか、と。

坐禅は、寺で暮らす僧のためのものであって、家庭や仕事をもって世の中で暮らす人には縁のないものではないか。これは、今の私たちの多くも、どこかで抱いている思いかもしれません。

男女貴賎をえらぶべからず(【6】答13)#

禅師の答えは、わずか一文です。

「しめしていはく、祖師のいはく、仏法を会すること、男女貴賎をえらぶべからずときこゆ」(原文【6】)。

祖師が、「仏法を会得するには、男女・貴賤を選んではならない」と言われた、と聞いている、と。

ここでも禅師は、ご自身の考えとしてではなく、祖師の言葉として答えておられます。その祖師が特定の一人を指すのか、祖師たち一般を指すのかは、本文には示されていません。宗務庁版英訳は、祖師たちと複数に取って訳しています。また、「会する」を会得する、理解すると取るか、仏法に出会う、かかわると取るかにも幅があります。

どの読み方を取るにしても、答えの中身ははっきりしています。仏法を会するのに、男であるか女であるか、身分が高いか低いかを、選んではならない。問う人は「在俗か出家か」と尋ねましたが、禅師の答えは、それよりもさらに広く、男女の別も、貴賤の別も、仏法を会することの妨げにはならない、と示しておられます。

弁道話の序には、「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」(本書第一回)とありました。仏法は、一人ひとりの身の上にゆたかにそなわっている。そうであれば、男であれ女であれ、身分が高くても低くても、在家であれ出家であれ、その人の身の上にそなわる法を、修して現すことができるはずです。問13への短い答えは、序のこの言葉と、まっすぐにつながっているように思われます。

問14 世務の多い在家はどうするか〔答14の一〜七〕#

問う人の問い(【7】)#

問13の答えを受けて、問う人はさらに踏みこんで尋ねます。

「とふていはく、出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅辦道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはん」(原文【7】)。

出家の人は、世間のさまざまなかかわりをすみやかに離れているので、坐禅辦道に障りがない。在俗で忙しい務めを抱える者は、どのようにして、ひたすらに修行して、無為の仏道にかなうことができるだろうか、と。

問13で、仏法を会するのに男女貴賤を選ばない、と聞いた。けれども、実際のところ、世の中で暮らす人には、仕事があり、家のことがあり、人づきあいがある。出家の人のように、それらを離れて坐禅に打ち込むことはできない。そういう自分が、どうして「一向に」、ひたすらに修行することなどできるだろうか、と。

これは、在家の人にとって、たいへん切実な問いです。坐禅に心を引かれながら、「忙しくて、とても修行などしている暇はない」と感じている人は、今も少なくないでしょう。この問いは、まさに私たち自身の問いだと言ってよいと思います。

問う人の言う「無為の仏道」の「無為」をどう受けとめるかにも、幅があります。作為やはからいのない仏道と取ることもできますし、宗務庁版英訳の注が別の訳として挙げるように、はたらきを加えない仏たちの道と取ることもできます。また、世の繁務(有為)に対して、世俗を離れた道という含みで問う人が言っている、と受けとめることもできるでしょう。いずれにしても、問う人は、忙しい世の務めと、無為の仏道とを、互いに相容れないものとして並べているように見えます。

この問いに、禅師は七つの段落にわたって、ていねいに答えていかれます。

広大の慈門(【8】答14の一)#

「しめしていはく、おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらんものや」(原文【8】)。

およそ仏祖は、あわれみのあまり、広大な慈悲の門を開いておかれた。これは一切衆生を証に入らせるためであり、人間界・天上界の誰が、そこに入らないことがあろうか、と。

禅師の答えは、まず仏祖の慈悲から始まります。仏祖は、一部の人だけのために門を開かれたのではない。一切衆生を証に入らせるために、広大な門を開いておかれた。そうであれば、その門に入れない者などいない、と。

問う人は、自分の側の事情、忙しい務めを抱えているという事情から、「自分に修行ができるだろうか」と尋ねました。禅師は、その問いに、まず門を開いた仏祖の側から答えておられます。門が狭いのではない。門は、はじめから一切衆生のために広く開かれている。この答え方は、自分の条件ばかりを見て「自分にはとても」と思いがちな私たちの目を、仏祖の慈悲の広さへと向けなおしてくれるように思います。

代宗・順宗、李相国・防相国(【8】答14の一、続き)#

禅師は続けて、その例証を挙げられます。

「ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおほし。しばらく代宗・順宗の、帝位にして万機いとしげかりし、坐禅辦道して仏祖の大道を会通す。李相国・防相国、ともに輔佐の臣位にはんべりて、一天の股肱たりし、坐禅辦道して仏祖の大道に証入す」(原文【8】)。

こういうわけで、昔と今とをたずねてみると、その証は多い。たとえば代宗・順宗は、帝位にあって天下の政務にたいへん忙しかったが、坐禅辦道して仏祖の大道を会得した。李相国・防相国は、ともに天子を補佐する臣の位にあって、天下の手足となる重臣であったが、坐禅辦道して仏祖の大道に証入した、と。

「その証これおほし」の「証」は、在家でも道を得られることの「あかし、例証」と取ることもできますし、すぐ前の「証入せしめん」とのつながりから、「さとり」と取り、証を得た者が多い、と受けとめることもできます。宗務庁版英訳は後の方向で訳しています。どちらに取っても、昔から今に至るまで、世の務めの中にありながら道を得た人が多い、という趣旨は変わりません。

ここに挙げられている人々について、宗務庁版英訳の注によって見ておきましょう。代宗は唐の第八代の皇帝(在位762–779)で、禅の文献には南陽慧忠の外護者として見え、順宗は短い期間在位した唐の第十代の皇帝(在位805)で、『景徳伝灯録』に、禅僧の語録の問答の相手として見える、とされます。ただし、同じ注は、この二人の皇帝が坐禅辦道したことの典拠までは示していません。この解説では、禅師が、禅の文献に名の見える皇帝として二人を挙げ、在家の身で仏祖の大道を会通した例として示しておられる、というところにとどめておきます。

李相国・防相国については、同じ注は、誰を指すかは確かでないとしたうえで、伝統的には、薬山惟儼に従った李翺(772–841)と、黄檗希運にゆかりのある裴休(791–864)を指すとされる、としています。「防」と「裴」とでは字が合いませんが、宗務庁版英訳の日本語本文も「防」となっています。この解説では、二人を、伝統的にこのように受けとめられてきた人々、として紹介するにとどめます。

いずれにしても、禅師がここで挙げておられるのは、帝王と宰相、すなわち世の中で最も忙しい務めを負う人々です。「万機いとしげかりし」、天下のあらゆる政務がたいへん多かった。「一天の股肱たりし」、天下を支える手足のような重臣であった。問う人は「在俗の繁務」と言いましたが、天下を治める人々の務めほど繁多なものはないでしょう。その人々ですら、坐禅辦道して仏祖の大道に入った。そうであれば、忙しさそのものは、坐禅辦道を妨げる理由にはならない。禅師はそのように示しておられるのです。

こころざしのありなし(【8】答14の一、続き)#

そして、禅師は、この答えの中心となる言葉を述べられます。

「ただこれ、こころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかはらじ」(原文【8】)。

ただこれは、志があるかないかによるのであって、身が在家か出家かにはかかわらない、と。

たいへん明快な言葉です。仏祖の大道に入れるかどうかは、在家であるか出家であるかという身の形によって決まるのではない。ただ、志があるかないかによる。

この言葉は、在家の私たちにとって、大きな励ましです。と同時に、ある意味では厳しい言葉でもあります。「忙しいから」「在家だから」ということは、修行ができない理由にはならない、ということでもあるからです。問われているのは、身の形ではなく、自分の志です。自分は本当に道を求める志をもっているか。この言葉は、そのことを、私たち一人ひとりに問いかけてきます。

裏を返せば、出家の身であっても、志がなければ道には入れない、ということでもあるでしょう。身の形は、在家であれ出家であれ、それだけで道を保証するものではない。在家の人にとっても出家の人にとっても、自らの志をかえりみることが求められている。そのように受けとめることもできるように思います。

続く一文は、読み方の難しいところです。

「又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり」(原文【8】)。

また、深く事の殊劣(すぐれていることと劣っていること)をわきまえる人は、おのずから信じるものである、と。

ここで「こと」が何を指し、何を「信ずる」のかについては、読み方に幅があります。事柄一般の殊劣と取ることもできますし、世務と仏法とのどちらが重いかと取ることもできますし、問答二で取りあげられた教えや修行の殊劣を受けていると取ることもできます。信じる対象も、この坐禅辦道の法と取ることも、在家でも道を得られるということと取ることもでき、宗務庁版英訳は目的語を補わずに訳しています。この解説では、一つに決めることはせず、何が本当に大切なことかを深くわきまえる人は、人から説かれるまでもなく、おのずから信を起こすものだ、という大きな趣旨として受けとめておきたいと思います。

世中に仏法なし、仏中に世法なき(【8】答14の一、結び)#

そして、この段落は、次の一文で結ばれます。在家の人にとって、とりわけ大切な言葉と言えるでしょう。

「いはんや世務は仏法をさゆとおもへるものは、ただ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なきことをいまだしらざるなり」(原文【8】)。

まして、世間の務めは仏法を妨げると思っている者は、ただ「世の中に仏法がない」とだけ知っていて、「仏法の中に世法がない」ということを、まだ知らないのである、と。

この一文は、読み方に幅があり、また、前の文とのつながり(「いはんや」をどう受けとめるか)も取りにくいところです(→読みの分かれるところ)。いくつかの受けとめ方を見ておきましょう。

まず、「世務は仏法をさゆとおもへるもの」、世の務めは仏法を妨げると思っている者。これは、問14の問う人の考えそのものです。出家の人は諸縁を離れているから坐禅辦道に障りがないが、在俗の繁務を抱える者は修行ができない。そう考えることは、世の務めと仏法とを、互いに妨げあうものとして見ることです。

禅師は、そのように思う人は、「世中に仏法なし」ということだけを知っている、と言われます。世の中には仏法がない、世の務めは仏法とは無縁のものだ。そう見ている、というのです。この「世中に仏法なし」を、世務は仏法と無縁だという一面的な見方と取ることもできますし、世俗のただ中には仏法は見いだせない、という見方と取ることもできます。

そして、そのような人は、「仏中に世法なき」ことを、まだ知らない、と禅師は言われます。この「仏中に世法なき」の受けとめ方には、大きく二つの方向があります。

一つは、仏法の中には、仏法と別の「世法」というものはない、と取る読み方です。仏法の側から見れば、世の務めも、仏法の外にある別のものではない。仕事も、家のことも、人とのかかわりも、仏法の中にあって、仏法を妨げるものにはならない、ということになります。

もう一つは、仏法の中には、世法(俗事)の入りこむ余地がない、と取る読み方です。仏法は、世法によって左右されたり、妨げられたりするものではない、ということになります。

また、「仏中」を、宗務庁版英訳のように「仏法の中」と取るか、「仏(のさとり)の中」と取るかにも、幅があります。

どちらの読み方を取るにしても、禅師がここで退けておられるのが、世の務めを仏法の妨げと見る見方であることは、本文(【8】「世務は仏法をさゆとおもへるもの」、【12】「世務の仏法をさまたげざる」)から読みとることができます。第一の読み方に立てば、それは、世の務めと仏法とを二つに分け、一方が他方を妨げると見る見方を退けるもの、と受けとめることになります。前回の段(問10、本書第六回)で、禅師は、身と心とを二つに分ける見方を退け、「身心一如」を示されました。問7(本書第五回)では、修と証とを二つの段に分ける見方を退け、「修証一等」を示されました。第一の読み方で受けとめるならば、ここでは、世の務めと仏法とを二つに分けて、一方が他方を妨げると見る見方が、退けられていることになります。二つに分けて、一方を他方の妨げや手段と見る見方を問い直す、という点で、ここでも同じ姿勢が貫かれている、と読むこともできるでしょう。

問う人は、「世中に仏法なし」という半分だけを知っていた、と禅師は言われます。世の中の側から仏法を見れば、そこに仏法は見えないかもしれない。けれども、仏法の側から見るとき、仏法の外に、仏法を妨げる「世法」があるのではない。この一句を、第一の読み方で受けとめるならば、それは、在家の人の暮らしそのものが、仏法の外にあるのではない、ということを示していることになります。第二の読み方で受けとめるならば、仏法は、世の務めによって左右されたり損なわれたりするものではない、ということを示していることになります。どちらに取っても、世の務めがあることを理由に仏法から遠ざかる必要はない、というところでは重なる、と言えるでしょう。

この言葉を、私たちの日々の仕事や暮らしに引き寄せてみましょう。

私たちはつい、「仕事が忙しいから坐禅ができない」「家のことに追われて、修行どころではない」と考えます。そのとき私たちは、仕事や家のことを、仏法の外にある、仏法を妨げるものとして見ています。坐禅をしている時間だけが仏法の時間で、それ以外の時間は仏法から離れた時間だ、と。

けれども、禅師のこの言葉を第一の読み方で受けとめるならば、仕事や家のことは、仏法の外にあるものではない、と受けとめることができます。朝起きて顔を洗うこと、食事の支度をすること、職場で人と向き合うこと、子どもや親の世話をすること。そうした一つひとつのことを、仏法を妨げる雑事と見るのではなく、そのまま仏法の中の営みとして受けとめ、心をこめて行う。そのとき、世の務めは、仏法を妨げるものではなくなるでしょう。

ただし、ここで一つ気をつけておきたいことがあります。この一句は、「日々の暮らしがそのまま仏法なのだから、坐禅はしなくてもよい」という意味ではありません。問14の問いは、在俗の繁務を抱える者が、どうすれば坐禅辦道できるか、というものでした。禅師がすぐ前で挙げられた帝王や宰相も、忙しい務めの中で「坐禅辦道して」仏祖の大道に入った人々です。この段の答えは、世の務めがあるからといって坐禅をあきらめる必要はない、世の務めは坐禅辦道を妨げるものではない、ということを示すものであって、坐禅をやめてよいという意味ではありません。忙しい暮らしの中で、坐禅をする。そして、坐禅から立ち上がって、再び世の務めに戻る。その坐禅と世の務めとが、別々の二つの世界ではない。そのように受けとめるのが、この段の筋に沿っているように思われます。

馮相公の詩(【9】〜【11】答14の二〜四)#

禅師は、さらに近い時代の例を挙げられます。

「ちかごろ大宋に、馮相公といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふにいはく」(原文【9】)。

近ごろ大宋に、馮相公という人がいた。祖師の道にすぐれた大官である。後に詩を作って、自らのことを言うには、と。

宗務庁版英訳の注によれば、馮相公は馮楫(1153年没)のことで、号を不動居士といい、仏眼清遠(1067–1120)に従った人とされます。また、同じ注によれば、ここに引かれる詩は『嘉泰普灯録』に見えるものです。

その詩は、次のとおりです。

「公事之余喜坐禅、少曽将脇到牀眠。雖然現出宰官相、長老之名四海伝」(原文【10】)。

公務の余暇には坐禅を好み、脇を寝台につけて眠ることは、ついぞ少なかった。現に宰官の姿をあらわしてはいるけれども、長老の名は四海に伝わっている、と。

この詩の読み方には、いくつか幅があります(→読みの分かれるところ)。とくに第三句「雖然現出宰官相」は、「現に宰官の相(すがた)をあらわしてはいるけれども」、つまり見かけは役人であるけれども、と取ることもできますし、宗務庁版英訳のように、「宰官相」を官職の名と取り、宰相の官に就いてはいるけれども、と取ることもできます。第四句の「長老」についても、在俗のまま禅の師のように仰がれた、と取るか、高僧と並ぶほどの名声、と取るかなど、受けとめ方に幅があります。

けれども、この詩が語っていることの大筋は、はっきりしています。馮相公は、官人としての公務に忙しい身であった。その公務のあいまに、坐禅を好んだ。横になって眠ることもめったにないほど、坐禅に打ち込んだ。そして、官人の身でありながら、「長老」としての名が四海に伝わった、というのです。

「公事之余」(公事の余に)という言葉に、心をとめてみたいと思います。馮相公は、公務を捨てて坐禅をしたのではありません。公務をつとめながら、そのあいまに坐禅をした、と詠まれています。

禅師は、この詩について、次のように述べられます。

「これは、宦務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし」(原文【11】)。

これは、官人としての務めに暇のなかった身であったけれども、仏道への志が深かったので、得道したのである。他の人の例によって自分をかえりみ、昔の例によって今を鑑みるべきである、と。

ここでも、鍵となる言葉は「こころざし」です。【8】の「ただこれ、こころざしのありなしによるべし」と、ここの「仏道にこころざしふかければ得道せるなり」とは、まっすぐにつながっています。暇がなかったにもかかわらず道を得たのは、志が深かったからである。忙しさではなく、志が、道を得るかどうかを分けたのだ、と。

そして、「他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし」。禅師は、この例を、遠い国の、昔の偉い人の話として聞き流すのではなく、自分自身をかえりみる鏡とせよ、と言われます。馮相公は、あれほど忙しい務めの中で坐禅をした。では、自分はどうか。自分は「忙しいから」と言って、坐禅から遠ざかってはいないか。

私たちの暮らしに引き寄せてみましょう。仕事から帰って、あるいは朝の出かける前に、わずかな時間であっても坐る。長い時間はとれなくても、その日その日のあいまに坐禅を置く。馮相公の「公事之余喜坐禅」(公務の余暇には坐禅を好む)という言葉は、そうした在家の人の坐禅のありようを、そのまま言いあらわしているようにも思われます。

大宋の国王大臣・士俗男女(【12】答14の五)#

禅師は、さらに、宋の国全体のありさまを語られます。

「大宋国には、いまのよの国王大臣・士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門・文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり」(原文【12】)。

大宋国では、今の世の国王・大臣や、士人・俗人・男女に至るまで、みな心を祖師の道にとどめない者はない。武官の家も文官の家も、いずれも参禅学道を志している。志す者は、心を明らかにすることが必ず多い。これによって、世の務めが仏法を妨げないことは、おのずから知られる、と。

「士俗」を士人と俗人と取るか、士大夫と取るか、「国王大臣・士俗男女」を二つずつの組と見るか、四つを並べたものと見るか、また「かならず…おほし」をどう受けとめるかには、読み方の幅があります。けれども、この段落の趣旨は明らかです。宋の国では、上は国王から下は一般の男女まで、武官も文官も、世の務めをもつ多くの人々が、禅の道を志していた。そして、志す者の中から、心を明らかにする者が多く出ていた。

これは、禅師が宋で見聞きされたことにもとづく言葉として語られています。問7(本書第五回)では、禅師は宋の諸方の禅院で、多くの僧を住まわせ、日夜に坐禅が勧められていたことを語っておられました。ここでは、禅院の中だけでなく、世の務めをもつ人々の中にも、禅の道を志す人が多くいたことが語られています。

そして禅師は、「これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり」と結ばれます。多くの在家の人々が、世の務めをもちながら道を志し、心を明らかにしている。その事実そのものが、世の務めが仏法を妨げないことのあかしである、と。【8】の「世務は仏法をさゆとおもへるもの」に対する答えが、ここで、宋の国の人々の姿によって示されているのです。

王化と仏法(【13】答14の六)#

続く段落は、国家と仏法との関係に触れる短い段落です。

「国家に真実の仏法弘通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり」(原文【13】)。

国家に真実の仏法が広まれば、諸仏・諸天が絶え間なく守護するので、王の治世は太平である。天子の治世が太平であれば、仏法はその力を得るのである、と。

「聖化」を、「王化」と同じく天子の治世と取るか、聖、すなわち仏や祖師の教化と取るかには、読みの幅があります。宗務庁版英訳は、ともに君主の感化の意に訳しています。

この段落は、仏法が広まれば国が平らかに治まり、国が平らかに治まれば仏法が力を得る、という、仏法と国家とが互いに支えあう関係を述べたものと読めます。問14の文脈に置いてみると、【12】で、宋の国では国王・大臣から一般の男女までが祖師の道を志していると述べたことを受けて、在家の人々、それも国を治める立場の人々が仏法を志すことが、仏法にとっても国家にとっても、よい結果をもたらす、ということを示しているのでしょう。

この段落が、国家と仏法との関係について、どこまでのことを述べようとしているのかは、本文のこの短い言葉からだけでは、決めがたいところもあります。この解説では、在家の人々が世の務めを担いながら仏法を志すことは、仏法を妨げないばかりか、世の中が平らかに治まることにもつながる、という、問14の答えの流れの中での受けとめ方にとどめておきたいと思います。

私たちの身近なところに引き寄せてみるならば、国家というほど大きなものでなくとも、家庭や職場、地域という場を思い浮かべることもできるでしょう。そこで暮らし働く一人ひとりが、坐禅によって心を調え、目の前の務めに誠実に向き合うとき、その場は少しずつ平らかになっていくかもしれません。世の務めと仏法とが互いに妨げあうのではなく、互いに支えあう。そうした受けとめ方も、この段落から導かれるように思います。

逆人・獦者・樵翁(【14】答14の七)#

問14への答えの最後の段落です。

「又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、獦者、樵翁さとりをひらく。いはんやそのほかの人をや」(原文【14】)。

また、釈尊の在世には、逆人・邪見の者も道を得た。祖師の門下では、猟師や木こりの翁が悟りを開いた。まして、そのほかの人はなおさらである、と。

「逆人邪見」について、宗務庁版英訳の注は、戒を犯す人と、誤った考えをもつ人、としています(→読みの分かれるところ)。「逆人」を、重い罪を犯した人と取る読み方もありうるでしょう。

「獦者」「樵翁」について、同じ注は、それぞれ、在家のときに猟師であった石鞏慧蔵(馬祖道一の弟子)と、在家のときに木こりとして働いていた六祖慧能を指すか、としています(→読みの分かれるところ)。注は「おそらく」と推定にとどめていますので、この解説でも、そのように受けとめられることがある、というところにとどめておきます。

禅師がここで挙げておられるのは、世の中で、仏道から遠いと思われがちな人々です。戒を犯した人、誤った見方をもつ人(宗務庁版英訳の注の読みによる)。生きものの命をとる猟師。山で木を伐る木こりの翁。そうした人々ですら、釈尊のもとで、祖師のもとで、道を得、さとりを開いた。「いはんやそのほかの人をや」、ましてそのほかの人々は言うまでもない、と。

これは、問11の答えとも響き合っています。問11で、禅師は「いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず」と言われました。宗務庁版英訳の注のように「逆人」を戒を犯す人と取るならば、ここでも、戒を犯した人が道を得た、と言われていることになります。ただし、それは戒を軽んじてよいということではなく、問11で禅師がまず「持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり」と示されていたことも、あわせて心にとめておきたいと思います。仏道の門は、清らかな人、恵まれた人、学問のある人だけに開かれているのではない。どのような過去を背負い、どのような暮らしをしている人にも、開かれている。【8】の冒頭の「広大の慈門」とは、まさにこのことを言うのでしょう。

ただ正師の教道をたづぬべし(【14】答14の七、結び)#

そして、問14への長い答えは、次の一句で結ばれます。

「ただ正師の教道をたづぬべし」(原文【14】)。

ただ、正しい師の教え導きをたずね求めるべきである、と。

身分でも、在家か出家かでも、忙しいかどうかでも、過去の行いでもない。ただ、正師の教えをたずねること。これが、問14の答えの結びです。

ここで、答えの流れを振り返ってみましょう。禅師は、仏祖の広大な慈門から語りはじめ(【8】)、帝王や宰相の例を挙げ、道に入れるかどうかは志のあるなしによると示し、世の務めが仏法を妨げると見る見方を問い直されました。さらに、馮相公の詩(【9】〜【11】)と宋の国の人々の姿(【12】)によって、世の務めが仏法を妨げないことを示し、仏法と国家とが互いに支えあうことに触れ(【13】)、どのような人でも道を得られることを示されました(【14】)。そして最後に、「ただ正師の教道をたづぬべし」と結ばれます。

志があっても、どちらへ向かえばよいかがわからなければ、道を歩むことはできません。問答一でも、禅師は「正師のをしへにより」(本書第三回)と、正しい師の教えによることを示しておられました。在家の人にとっても、それは変わりません。忙しい暮らしの中で坐禅をしようとするとき、自分だけの思いこみで坐るのではなく、正しい師の教えをたずね、その教えに沿って坐る。そのことが、ここで最後に示されているのです。

私たちにとって、正師の教道をたずねるとは、どういうことでしょうか。近くの寺の坐禅会に足を運ぶこと、道元禅師の言葉に直接ふれて学ぶこと、教えを受けた言葉を日々の中で思い返すこと。そうした一つひとつが、「正師の教道をたづぬ」ことにつながっていくでしょう。

問15 末代悪世でも証を得られるか〔答15〕#

問う人の問い(【15】)#

「とふていはく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうべしや」(原文【15】)。

この行は、今の末代悪世にあっても、修行すれば証を得ることができるのか、と。

宗務庁版英訳の注は、この問いが、もはやさとりを得ることのできない時代に生きている、という、道元禅師と同じ時代の人々に広く行きわたっていた考えを映したものだ、としています。

問11から問14までで、問う人は、戒律、兼修、在家、世務と、坐禅を始めようとする人の条件について尋ねてきました。最後の問15で尋ねられるのは、時代の条件です。一人ひとりの条件がどうであれ、そもそも今は末の世ではないか。仏の在世から遠く隔たったこの悪い世で、修行したとしても、本当に証を得られるのか、と。

これは、個人の努力ではどうにもならない、時代そのものについての不安です。「今の世の中では、もう無理なのではないか」。形は違っても、そうした思いは、今の私たちの胸にも浮かんでくることがあるかもしれません。

正像末法をわくことなし(【16】答15)#

禅師は答えられます。

「しめしていはく、教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし、修すればみな得道すといふ」(原文【16】)。

経典の教えを拠りどころとする教家では、名目や分類をもっぱらとしているが、それでもなお、大乗の実教では、正法・像法・末法を分けることはなく、修すれば皆得道する、と言う、と。

宗務庁版英訳の注によれば、正法・像法・末法とは、仏法が衰えていく三つの時期を立てる、広く行われた数え方で、末法の時期には正しい修行もさとりもない、とされていました。そして、東アジアの伝統的な数え方にもとづいて、末法は西暦1052年に始まったと考えられていた、とされます。禅師の時代は、まさにその末法の世に入っている、と考えられていたのです。

また、同じ注によれば、「大乗実教」は、大乗の顕教の諸宗を「権」(仮の教え)と「実」(真実の教え)とに分けることが、禅師の時代に広く行われていたことを映した語で、「実」の教えとしては通常、天台と華厳が考えられていた、とされます。この解説では、その教えの中身に立ち入ることはせず、禅師がここで、教家の中にもこのように言う教えがある、と引いておられることにとどめます。

「こととせるに」を逆接に取るか、範囲を示すものと取るか、また「といふ」がどこまでを受けるかには、読み方に幅があります。けれども、禅師の言おうとされていることは明らかです。名目や分類を重んじる教家においてさえ、真実の教えでは、時代を三つに分けて「今は末法だから証は得られない」とはしない。修すれば、皆道を得る、と言っている、と。

ここで「修すればみな得道す」の「みな」をどう受けとめるか、「修すれば」をどう受けとめるかにも、幅があります(→読みの分かれるところ)。修する者は皆、と取ることもできますし、正法・像法・末法のどの時期でも皆、と取ることもできます。また、「修すれば」を、修行しさえすれば、という条件と取ることもできますし、修すればそのまま、という含みで取ることもできます。後者の受けとめ方は、問7(本書第五回)の「修証一等」とつながるものですが、ここではこの言葉は教家の言として引かれていることにも、心をとめておきたいと思います。

自家の財珍を受用する(【16】答15、続き)#

禅師は続けられます。

「いはんやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり」(原文【16】)。

まして、この単伝の正法においては、入法出身、誰もが同じく自分の家の財宝を受用するのである、と。

教家においてさえ、真実の教えでは時代を分けない。まして、仏祖から一筋に伝えられてきたこの正法においては、なおさらである、と。

「入法出身」は、読み方の難しい言葉です(→読みの分かれるところ)。宗務庁版英訳の注は、珍しい組み合わせの語であり、おそらく修行の「始めから終わりまで」の意であろうとしたうえで、「出身」には師として世に立つ意もある、としています。法に入ることも、身を出ることも、と取れば、修行に入ったはじめの時から、修行を尽くすところまで、ということになるでしょう。問7には「本証を出身すれば」(本書第五回)という言葉もありました。この語の受けとめ方は、一つに決めずにおきたいと思います。

「自家の財珍」、自分の家の財宝。宗務庁版英訳の注は、自らに本来そなわる精神の豊かさのたとえであろう、としています。この言葉は、弁道話の序の「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれり」(本書第一回)という言葉を思い起こさせます。宗務庁版英訳の注のように受けとめるならば、仏法は、どこか遠くにあるもの、時代が下るにつれて失われていくものではなく、一人ひとりの身の上に、自分の家の財宝として、ゆたかにそなわっている。単伝の正法においては、その財宝を、誰もが同じく受け用いる。

そうであれば、時代が末の世であるかどうかは、問題にならないでしょう。自分の家の財宝は、時代によって減りもせず、失われもしない。財宝は、よそから求めてくるものではなく、もとから自分の家にある。修行とは、それを受け用いることである、と受けとめることができるでしょう。

用水の人の冷煖(【16】答15、結び)#

そして、この答えは、次のたとえで結ばれます。

「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし」(原文【16】)。

証を得たかどうかは、修する者がおのずから知ることであって、水を用いる人が、その冷たさ暖かさを自らわきまえるようなものである、と。

この一文の趣旨をどう受けとめるかにも、幅があります(→読みの分かれるところ)。証を得たかどうかは、修する本人が自ら知ることであって、時代や他人の判定によるのではない、と受けとめることもできます。修していれば、証はおのずから明らかになる、と受けとめることもできます。また、証の得否は、水の冷たさ暖かさが飲んだ本人にしかわからないように、言葉で他人に説明できるものではない、と受けとめることもできるでしょう。「おのづから」を、自然に、と取るか、自分で、と取るかでも、響きが少し変わります。

問う人は、「末代悪世でも、証を得られるか」と尋ねました。禅師は、それに「得られる」「得られない」と外から答えるのではなく、証の得否は、修する人が自ら知ることだ、と答えておられます。問いを、「得られるかどうか」から「知る」ことへと転じておられる、とも読めるところです(→読みの分かれるところ)。

このたとえは、私たちにとって、とても身近なものです。水が冷たいか暖かいかは、自分で手を入れてみれば、口に含んでみれば、すぐにわかります。人から「この水は冷たい」と聞いても、それは聞いた話にすぎません。自分でふれてはじめて、冷たさを知る。そして、手を入れる前から「冷たいだろうか、暖かいだろうか」とあれこれ思いめぐらしていても、答えは出ません。

証もまた、そうだというのです。「今は末の世だから証は得られないだろう」と、坐る前からあれこれ思いめぐらしていても、それは水にふれずに冷煖を論じているのと同じです。まず坐ってみる。修してみる。そのとき、修する人は、自らそれを知る。末代悪世かどうかという、時代についての議論に心を奪われるのではなく、自ら修する、その一事に身を置くこと。禅師は、そのように示しておられるように思われます。

問12の答えで見た「一事をこととせざれば一智に達することなし」という言葉が、ここでも響いてくるように思います。あれこれと思いめぐらすよりも、一事に打ち込む。水の冷煖を知るには、水にふれるほかはない。坐禅の証を知るには、坐るほかはない。

むすびに――暮らしのただ中で坐る#

この段で読んだ五つの問答を、あらためて振り返ってみましょう。

問11では、坐禅をもっぱらにする人は戒律を厳しく守らなければならないのか、と問われました。禅師は、まず「持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり」と、戒を保つことが禅門の規矩であることを示されたうえで、「いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず」と述べられました(【2】)。戒を重んじることと、門を閉ざさないこととが、ともに示されています。

問12では、真言・止観の行を兼ねて修めてよいか、と問われました。禅師は、仏印を正伝した諸祖がそのような兼修をしたとは聞かない、という宗師の言葉を伝え、「一事をこととせざれば一智に達することなし」と示されました(【4】)。ほかの行の良し悪しではなく、坐禅という一事に心を定めることが示されている、と受けとめることができます(→読みの分かれるところ)。

問13では、在俗の男女もつとめるべきか、と問われ、禅師は、仏法を会するのに男女貴賤を選ばない、という祖師の言葉をもって答えられました(【6】)。

問14では、世の務めに忙しい在俗の人はどうすればよいのか、と問われました。禅師は、仏祖が一切衆生のために広大な慈門を開いたことから語りはじめ、帝王や宰相の例、馮相公の詩、宋の国の人々の姿、猟師や木こりの例を挙げて、道に入れるかどうかは身の在家出家にはかかわらず、ただ志のあるなしによると示されました(【8】〜【14】)。そして、世の務めが仏法を妨げると思う人は、「世中に仏法なし」とだけ知って、「仏中に世法なき」ことをまだ知らない、と示されました(【8】)。

問15では、末の世でも証を得られるのか、と問われ、禅師は、単伝の正法においては誰もが自家の財珍を受用するのであり、証の得否は、水を用いる人が冷煖を自ら知るように、修する人が自ら知ることだ、と答えられました(【16】)。

こうして見ると、この段の五つの問いは、いずれも、「自分には坐禅をする資格や条件がそろっていないのではないか」という不安から出ているように思われます。戒を守れていない。ほかの行もしている。出家していない。忙しい。時代が悪い。そのどれに対しても、禅師は、坐禅の門を閉ざすことなく、しかも坐禅をゆるがせにすることなく、答えておられます。

とくに在家の私たちにとって、この段は大きな励ましとなるものです。坐禅は、寺にいる僧だけのものではありません。仕事をもち、家庭をもち、忙しく日々を送る私たちにも、坐禅の門は開かれています。問われているのは、身の形ではなく、「こころざしのありなし」(原文【8】)です。

そして、「世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なきことをいまだしらざるなり」(原文【8】)という言葉は、坐禅をする時間と、それ以外の日々の時間とのかかわりについて、私たちに深く考えさせます。私たちはつい、坐禅の時間だけを仏法の時間とし、仕事や家事の時間を、仏法から離れた、仏法を妨げる時間と考えてしまいます。けれども、この言葉を、仏法の中に仏法と別の世法はない、という方向で受けとめるならば、日々の仕事や暮らしは、仏法の外にあるものではない、と受けとめることができるでしょう。

朝、短い時間でも坐る。坐蒲から立ち上がって、顔を洗い、食事をいただき、仕事に向かう。職場で人と向き合い、家に帰って家族と過ごす。そして、また坐る。坐禅と日々の務めとが、互いに妨げあう二つの世界としてではなく、一つながりの暮らしとして営まれていく。馮相公が「公事之余喜坐禅」と詠んだように、忙しい務めのあいまに坐禅を置き、その坐禅の心をもって、また務めに戻っていく。在家の人の坐禅は、そのような形で、暮らしのただ中に根を下ろしていくのではないでしょうか。

もちろん、それは、「暮らしがそのまま仏法なのだから、坐らなくてもよい」ということではありません。禅師が例に挙げられた人々は、みな、忙しい務めの中で「坐禅辦道して」道に入った人々でした。また、この段の結びで禅師は、「ただ正師の教道をたづぬべし」(原文【14】)と言われました。自分だけの思いこみで坐るのではなく、正しい教えをたずねながら坐る。そのことも、忘れずにいたいと思います。

そして、「今の時代では」「今の自分では」とためらう心には、禅師の最後の言葉が応えてくれます。証の得否は、水の冷煖と同じく、修する人が自ら知るものです。坐る前にあれこれと思いめぐらすよりも、まず坐ってみる。自分の家にそなわる財宝は、時代によって失われるものではない、と受けとめることができます。在家であっても、忙しくても、過ちを重ねてきた身であっても、今日、この場所で坐る。その一坐のうちに、仏祖の開かれた広大な慈門は、私たち一人ひとりに向かって開かれているのです。

次の問16では、「即心是仏」、この心がそのまま仏であるという旨を了達したならば、経典を誦せず仏道を行じなくても仏法に欠けるところはない、ましてや坐禅辦道をわずらわしくすることがあろうか、という説について問われます(本書第八回)。禅師がその説にどう答えられるかを、次の段で読んでいきます。

読みの分かれるところ#

この回の範囲には、読み方が一つに定まらない言い回しがいくつもあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。

  1. 「いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず」【2】
    「その分」を、坐禅を行う分(資格・かかわり)と取ることも、前の文の「持戒梵行」「仏祖の家風」に連なる分と取ることも、得道・証の分と取ることもできます。前の文との関係も、戒を禅門の規矩と示したうえで間口を広げていると読むことも、ひかえめな譲歩であって力点は前の文にあると読むこともできます。宗務庁版英訳は「しかし」を補い、資格を失っているわけではない、という方向で訳しています。どの読みでも、前の文が持戒梵行を禅門の規矩・仏祖の家風と示していることは変わりません。

  2. 「まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし」【4】
    「一事」を一つのこと一般と取れば、何事も一つに専心しなければわずかな智も身につかない、という格言として読めます。坐禅という一事、あるいは仏祖正伝の一法と取れば、坐禅一つに打ち込むべきだという、兼修を退ける答えの結びとしての意味が強くなります。「一智」も、ほんのわずかな智と取るか、ただ一つの智(仏の智)と取るかで響きが変わります。宗務庁版英訳の注は、この句を、禅の文献によく見える言い回しを変えたものとしています。

  3. 「ただ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なきことをいまだしらざるなり」【8】
    「仏中に世法なき」は、仏法の中には仏法と別の世法というものはない(世の務めも仏法の中にあり、妨げにならない)と読むことも、仏法の中には世法の入りこむ余地がない(仏法は世法に左右されない)と読むこともできます。「仏中」を仏法の中と取るか仏のさとりの中と取るか、前の文とをつなぐ「いはんや」をどう受けとめるかにも幅があります。宗務庁版英訳は「仏中」に「法」を補って訳し、二つの読みのどちらとも決めていません。どちらの読みでも、世の務めを仏法の妨げと見る見方が退けられている点は共通します。

  4. 馮相公の詩の第三句・第四句【10】
    第三句「雖然現出宰官相」は、現に宰官の相(すがた)をあらわしているけれども、つまり見かけは役人であるけれども、と読むことも、「宰官相」を官職の名と取って、宰相の官に就いてはいるけれども、と読むこともできます。宗務庁版英訳は後者の方向で訳しています。「現出」を「現に…出す」と分けて読むか、「現出」と熟して読むかでも幅があります。第四句の「長老」も、在俗のまま禅の師のように仰がれたと取るか、高僧と並ぶほどの名声と取るかなど、受けとめ方が分かれます。

  5. 「逆人邪見」「獦者、樵翁」【14】
    宗務庁版英訳の注は「逆人邪見」を、戒を犯す人と誤った考えをもつ人としていますが、「逆人」を重い罪を犯した人と取る読み方もありえます。「獦者」「樵翁」について、同じ注は、在家のとき猟師であった石鞏慧蔵と、木こりとして働いていた六祖慧能を指すか、と推定にとどめています。特定の人を指さず、猟師や木こり一般と読むこともできます。

  6. 「修すればみな得道す」【16】
    「みな」を、修する者は皆と取るか、正法・像法・末法のどの時期でも皆と取るかで幅があります。「修すれば」も、修行しさえすれば、という条件と取ることも、修すればそのまま、という含みで取ることもでき、後者は問7の「修証一等」(本書第五回)とつながります。ただし、この言葉は教家の言として引かれていることに注意が要ります。宗務庁版英訳は、修する者は皆、道を得ることができる、という方向で訳しています。

  7. 「入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり」【16】
    宗務庁版英訳の注は、「入法出身」を珍しい組み合わせの語で、おそらく修行の「始めから終わりまで」の意であろうとし、「出身」には師として世に立つ意もあるとしています。法に入って身を出る(解き放たれる)という含みで読むこともできます。「おなじく」も、入法も出身も同じく、修する人は誰も同じく、教家と同じく、と取り方が分かれます。

  8. 「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし」【16】
    証を得たかどうかは修する本人が自ら知ることで、時代や他人の判定によるのではない、と読むことも、修していれば証はおのずから明らかになる、と読むことも、水の冷煖が本人にしかわからないように言葉で人に説明できるものではない、と読むこともできます。「おのづから」を「自然に」と取るか「自分で」と取るかでも響きが変わり、宗務庁版英訳は「自分で」の方向で訳しています。問いを「証を得られるか」から「自ら知る」ことへ転じている、と読むかどうかにも幅があります。

参考#

  • 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第一「辦道話」
  • 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. VII(Sōtō Zen Text Project、2023)
    • 人名の比定、語句の出典、正像末法・大乗実教などの説明と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注によります。