摩訶般若波羅蜜(三)風鈴頌と仏薄伽梵#
「摩訶般若波羅蜜」の巻の最後の部分、本師如浄禅師の風鈴頌と、『大般若経』の「般若波羅蜜多は仏薄伽梵に異ならず」の経文、それぞれを受けた道元禅師の言葉、そして巻末題と奥書を読む回です。
原文#
如浄禅師の偈(風鈴頌)#
【1】先師古仏云、渾身似口掛虚空、不問東西南北風、一等為他談般若、滴丁東了滴丁東。
拈提一#
【2】これ仏祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり。渾自般若なり、渾東西南北般若なり。
経文(釈迦牟尼仏言)#
【3】釈迦牟尼仏言、舎利子、是諸有情、於此般若波羅蜜多、應如仏住。供養礼敬思惟般若波羅蜜多、應如供養礼敬仏薄伽梵。所以者何。般若波羅蜜多、不異仏薄伽梵、仏薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、即是仏薄伽梵、仏薄伽梵、即是般若波羅蜜多。何以故。舎利子、一切如来応正等覚、皆由般若波羅蜜多、得出現故。舎利子、一切菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流等、皆由般若波羅蜜多、得出現故。舎利子、一切世間十善業道・四静慮・四無色定・五神通、皆由般若波羅蜜多、得出現故。
拈提二#
【4】しかあればすなはち、仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり、奉覲承事の、仏薄伽梵なり。
巻末題#
正法眼蔵摩訶般若波羅蜜第二
奥書#
爾時天福元年夏安居日、在観音導利院示衆。
寛元二年甲辰春三月二十一日、在越宇吉峰精舎侍者寮書写之。
現代語訳#
段落番号【1】〜【4】は原文の段落番号と対応します。小見出しは、読みやすさのために付けたもので、原文にはありません。【1】は先師如浄禅師の偈(漢文)、【2】はそれを受けた道元禅師の拈提(和文)、【3】は『大般若経』の引用(漢文)、【4】はそれを受けた拈提(和文)です。漢文の【1】【3】と奥書は、まず「書き下し」を示し、次に訳文をつけました。書き下しは訳者による一つの読みであり、底本(本山版)の訓点・訓読ではありません。【3】の句切りは本山版の句点に従いました。拈提の【2】【4】は和文なので、訳文のみを示しました。( )内は、原文にない語を補ったもの、または直前の語の言い換えです。拈提で禅師が偈・経文の語を取り上げて用いている箇所は、訳文では「 」で示しました。仏教語・固有名詞は訳さずに残し、必要に応じて段落の後に「語注」として説明しました。
【1】如浄禅師の偈(風鈴頌)#
書き下し
先師古仏云く、
渾身、口に似て虚空に掛かる、
東西南北の風を問はず、
一等に他の為に般若を談ず、
滴丁東了滴丁東。
訳文
先師古仏(わが亡き師、如浄禅師)は(こう)言われた。
渾身(全身)が口のようになって、虚空に掛かっている。
(吹いてくるのが)東・西・南・北(どちら)の風かを問わず、
一等に(ひとしく、分けへだてなく)、他のために般若を談ずる。
滴丁東了滴丁東(チリン、チリン、と鳴る風鈴の音)。
語注
- 先師古仏:「先師」は、亡くなった自分の師。「古仏」は、すぐれた祖師を仏と仰いで呼ぶ尊称。ここでは道元禅師の本師、天童如浄禅師(1162–1227)を指す(宗務庁版英訳による)。
- 偈の題と出典:この偈は「風鈴頌」(風鈴の頌)と題され、道元禅師の他の著作にも引かれる。『如浄和尚語録』に見えるが、その語録が道元禅師のもとに届いたのは1242年の八月(暦の上の月)で、この巻の成立より後であるため、禅師がこの偈を何によって引いたかははっきりしない(宗務庁版英訳による)。偈の中に「風鈴」の語はないが、題によって、虚空に掛かって鳴る風鈴をうたったものと分かる。
- 渾身:全身、身体まるごと。「渾」は、まるごと・すべての意。風鈴の身全体が口のようだ、という句。【2】で禅師はこの「渾」の字を偈の他の語にも冠せて用いる。偈の「渾身」を風鈴のことと取るのが字面どおりであるが、風鈴に託して、般若を説く者(あるいは修行者)の全身を言うものとも読まれうる。
- 似口:口に似る、口のようである。風鈴の形(口を開いたような形)と、それが鳴って「語る」ことを重ねた表現と取った。
- 掛虚空:虚空に掛かる。「虚空」は、さえぎるもののない空間、大空。仏教では、何ものにもさまたげられない広がりとして、空(くう)のたとえにも用いられる語。書き下しは「虚空に掛かる」としたが、「虚空に掛けられている」とも読める。意味の差は小さい。
- 不問東西南北風:東西南北のどの方角の風であるかを問わない。どの風が吹いても、の意。
- 一等:ひとしく、一様に、分けへだてなく。宗務庁版英訳も「ひとしく」の意に訳している。
- 為他:「他の為に」。宗務庁版英訳の注は、「他」を「(四方の)風たち」を指す語と取り、「他の人々」とも読めること、【2】で禅師はこれを「自」と対になる「他」として読んでいることを述べる。また、『如浄和尚語録』ではこの句が「一等與渠談般若」(風鈴が風とともに般若を語る、の意を思わせる形)となっていることを挙げている。訳文は「他のために」と原文の語のまま残した(→読みの分かれるところ)。
- 談般若:般若を談ずる。般若(智慧)について語る、説く。「談」は語る・論ずる。ここでは風鈴が鳴ることを、般若を語ることと言っている。【2】で禅師はこの「談般若」を受けて「仏祖嫡嫡の談般若」と言う。
- 滴丁東了滴丁東:風鈴の鳴る音を写した擬音の語で、字義によって訳す語ではない。訳文では原文のまま残し、( )で音であることを示した。音読みすれば「てきていとうりょうてきていとう」。宗務庁版英訳の注は、『摩訶般若波羅蜜聞解』に「ちちんつんりゃんちちんつん」という古い日本での読み方が記されていることを紹介している。「了」も、ここでは音を写す字の一つと取った。
- 宝慶記:宗務庁版英訳の注は、道元禅師がこの偈について示した解釈を如浄禅師がほめたことが『宝慶記』に記されている、とする。
【2】拈提一#
訳文
これ(この偈)は、仏祖が嫡嫡と(代々正しく受け継いで)伝えてきた「談般若」(般若を談ずること)である。「渾身」が般若であり、渾他(他のまるごと全体)が般若である。渾自(自己のまるごと全体)が般若であり、渾東西南北(東西南北のまるごと全体)が般若である。
語注
- これ:直前の【1】の偈(風鈴頌)を受ける。
- 仏祖嫡嫡:仏祖(仏と祖師たち)が、嫡嫡と(正しい嫡子から嫡子へと)代々受け継いできた、の意。「嫡嫡」は、正統の跡継ぎから跡継ぎへと相承すること。偈の作者が禅師の先師であることも、この語の背景にあると見ることができる。
- 嫡嫡の談般若:偈の「(一等為他)談般若」の語を取って、この偈そのものが、仏祖から仏祖へ伝えられてきた般若の語りである、と言う。宗務庁版英訳も、「談般若」を偈の語として引用符で示して訳している。
- 「渾」の字の広げ方:偈では「渾」は第一句の「渾身」にだけある。禅師はこれを偈の他の語にも冠せ、偈の「他」に「渾」をつけて「渾他」、偈の「東西南北(風)」に「渾」をつけて「渾東西南北」とし、さらに偈にない「自」を「他」と対にして加え「渾自」と言う(宗務庁版英訳による)。訳文では、偈の語「渾身」は「 」で示し、禅師の造語(渾他・渾自・渾東西南北)は原文の語を残して( )で言い換えた。
- 渾他:偈の「為他」の「他」に渾をつけたもの。偈の「他」は、「(四方の)風たち」とも、「他の人々」とも読めるが(【1】語注「為他」)、ここでは「渾自」と対にされることから、「自」に対する「他」――自己でないものすべて――の意に取った(→読みの分かれるところ)。
- 渾自:自己のまるごと全体。偈では、風鈴は「他のために」般若を談ずるが、禅師は「渾他」と並べて「渾自」も般若であると言う。語る相手(他)だけでなく、語るもの自身(自)もまるごと般若である、の意に取った。
- 渾東西南北:偈の「東西南北の風」の「東西南北」に渾をつけたもの。四方のすべて、どの方角もまるごと、の意。偈では風の来る方角であったものが、そのまま般若であるとされる。
- 「渾身般若なり」などの構文:「A般若なり」を、「Aが般若である」(訳文)と取るか、「(この偈の談般若は)Aの般若である」(Aという般若)と取るかで読みが分かれる。宗務庁版英訳は後者に近い形で訳している(→読みの分かれるところ)。
【3】経文 般若波羅蜜多と仏薄伽梵#
書き下し
釈迦牟尼仏言はく、「舎利子、是の諸の有情、此の般若波羅蜜多に於て、應に仏の住するが如くすべし。般若波羅蜜多を供養し礼敬し思惟すること、應に仏薄伽梵を供養し礼敬するが如くすべし。所以は何ん。般若波羅蜜多は仏薄伽梵に異ならず、仏薄伽梵は般若波羅蜜多に異ならず。般若波羅蜜多は即ち是れ仏薄伽梵、仏薄伽梵は即ち是れ般若波羅蜜多なり。何を以ての故に。舎利子、一切の如来応正等覚は、皆般若波羅蜜多に由りて出現することを得るが故に。舎利子、一切の菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流等は、皆般若波羅蜜多に由りて出現することを得るが故に。舎利子、一切世間の十善業道・四静慮・四無色定・五神通は、皆般若波羅蜜多に由りて出現することを得るが故に」と。
訳文
釈迦牟尼仏が言われた。「舎利子よ、これらの有情は、この般若波羅蜜多に対して、(そこに)仏が住しておられるかのようにすべきである。般若波羅蜜多を供養し、礼敬し、思惟することは、仏薄伽梵を供養し礼敬するのと同じようにすべきである。それはなぜか。般若波羅蜜多は仏薄伽梵と異ならず、仏薄伽梵は般若波羅蜜多と異ならない。般若波羅蜜多はそのまま仏薄伽梵であり、仏薄伽梵はそのまま般若波羅蜜多である。なぜそう言えるのか。舎利子よ、一切の如来・応・正等覚は、みな般若波羅蜜多によって出現することができるからである。舎利子よ、一切の菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流などは、みな般若波羅蜜多によって出現することができるからである。舎利子よ、一切世間の十善業道・四静慮・四無色定・五神通は、みな般若波羅蜜多によって出現することができるからである。」
語注
- 出典:この段全体が『大般若波羅蜜多経』(『大般若経』)からの引用。本巻第二回の三つの引用と同じく、玄奘訳の『大般若経』からの引用である(宗務庁版英訳による)。
- 舎利子:舎利弗。仏の弟子の一人。経の中で仏が呼びかける相手。
- 是諸有情:「是の諸の有情」。これらの有情(心をもつ生きもの、衆生)。
- 於此般若波羅蜜多、應如仏住:本山版は「應如仏住」の後に句点を置き、ここで一文を切る。書き下しは「此の般若波羅蜜多に於て、應に仏の住するが如くすべし」とし、「(有情は)この般若波羅蜜多に対して、そこに仏が住しているかのように(向きあう)べきである」の意に取った。「仏の住するが如く」を、「(般若波羅蜜多に)仏が住しているかのように(敬う)」と取るか、「(有情が般若波羅蜜多に)仏が住するように住すべきである」と取るかで読みが分かれる。なお、宗務庁版英訳は同じ文字を「供養礼敬」の後で切って読んでおり、文字は同じで句点の位置だけが違う(→読みの分かれるところ)。
- 供養礼敬思惟般若波羅蜜多、應如供養礼敬仏薄伽梵:本山版の句切りに従い、「供養礼敬思惟」の三語をともに「般若波羅蜜多」を目的語とする動詞と取り、その全体を主題として「應に……の如くすべし」と受けた。供養=物や行いをささげて敬うこと、礼敬=礼拝してうやまうこと、思惟=思いめぐらし、よく考えること。
- 仏薄伽梵:「薄伽梵」は梵語 bhagavat(バガヴァット)の音写で、世尊(世に尊ばれる者)の意。仏の尊称の一つ。「仏薄伽梵」は仏と薄伽梵を重ねて言う形で、「仏・世尊」の意。宗務庁版英訳も二語を並べて訳している。訳文では訳さずに残した。【4】で禅師はこの語をそのまま用いて論を進める。
- 所以者何/何以故:ともに「それはなぜか」と、理由を説き起こす句。経では二度重ねられ、「所以者何」の後に般若と仏の不異・即是が、「何以故」の後にその理由(一切が般若波羅蜜多によって出現すること)が説かれる。
- 不異/即是:「異ならず」(別のものではない)と「即ち是れ」(そのまま……である)。経では、般若波羅蜜多と仏薄伽梵について、この二つの言い方が、それぞれ両方向から(般若→仏、仏→般若)述べられる。
- 如来応正等覚:仏の三つの称号を並べたもの。如来=真如から来た者、応=応供(供養を受けるにふさわしい者)の略、正等覚=正しくさとりきった者(宗務庁版英訳による)。
- 菩薩摩訶薩:菩薩(さとりを求めて修行し、衆生を救う者)の尊称。「摩訶薩」は大いなる者、の意。
- 独覚・阿羅漢・不還・一来・預流:独覚(師によらず独りでさとる者)と、声聞の四果(阿羅漢・不還・一来・預流)。四果は本巻第二回の一つめの経文(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)と同じものを、ここでは高い位から順に挙げている。
- 十善業道・四静慮・四無色定・五神通:仏道の代表的な行・境地を並べたもの(宗務庁版英訳による)。十善業道=十種の善い行い、四静慮=四つの禅定(色界の四禅)、四無色定=形あるものを離れた四つの禅定、五神通=五つのすぐれたはたらき(神通力)。
- 一切世間:あらゆる世間(世界)の。訳文は「一切世間の十善業道……」と、列挙の項目にかかる語として訳した。宗務庁版英訳は「すべての世界における」と取って訳している。
- 得出現:「出現することを得る」。現れ出ることができる、世に現れる。
【4】拈提二#
訳文
そうであるから、仏薄伽梵は般若波羅蜜多であり、般若波羅蜜多は是諸法(諸法そのもの)である。この諸法は空相であり、不生不滅であり、不垢不淨・不増不減である。この般若波羅蜜多が現成していることは、仏薄伽梵が現成していることである。(そのことを)問取すべきであり、参取すべきである。供養礼敬する、これは仏薄伽梵に奉覲承事する(つつしんでまみえ、お仕えする)ことであり、奉覲承事の、仏薄伽梵である。
語注
- しかあればすなはち:そうであるから、それゆえに。【3】の経文を受けて、その帰結を述べる語。
- 仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり:経文では「般若波羅蜜多は即ち是れ仏薄伽梵、仏薄伽梵は即ち是れ般若波羅蜜多」と、両方向から言われていた。禅師はそのうち「仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり」を取り、「なり」で言い切って、さらに「般若波羅蜜多は是諸法なり」と、般若波羅蜜多から諸法へと一歩進める。経文にない「諸法」がここで加わる。
- 是諸法なり:本山版は送り仮名なしで「是諸法なり」と書く。訳文は「是(こ)れ諸法なり」(般若波羅蜜多は諸法である)と取り、宗務庁版英訳と同じ読みにした。ただし、次の文が「この諸法は」と受けることから、「是の諸法なり」(これらの諸法である)とも読みうる(→読みの分かれるところ)。
- 諸法:あらゆるもの、あらゆる事象。
- この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨不増不減なり:宗務庁版英訳の注は、この一文を『般若心経』の一句を禅師が和文にしたものとする。『心経』の句を、ひとつずつ「なり」で言い切る形に和らげ、主語を「この諸法」(=般若波羅蜜多であるところの諸法)としている。本巻第一回で『心経』の冒頭の句を「なり」で受けて言い換えたのと似た用い方と見ることができる。
- 空相:空であるというありさま(相)。諸法が固定した実体をもたない(空である)という、そのすがた。
- 不生不滅:生じることもなく、滅することもない。
- 不垢不淨:垢れることもなく、浄らかになることもない(垢・浄という対立を離れている)。
- 不増不減:増えることもなく、減ることもない。
- この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり:「の」はいずれも主語を示す「の」(=が)と取った。「現成」は、現れ出て成りたっていること、いまここに実現していること。訳文は、原文の「〜は、〜なり」の形のまま、二つの現成を同じ一つのこととして訳した。宗務庁版英訳は「この般若波羅蜜多が現れるとき、仏薄伽梵が現れる」と、時の句として訳している(→読みの分かれるところ)。経文の「般若波羅蜜多に由りて出現することを得る」の「出現」を、禅師は「現成」の語で受けていると見ることもできる。
- 問取すべし、参取すべし:「問取」は問う、たずねる。「参取」は参ずる、師について参学する、身をもって学びとる。「取」は動詞に添えて動作をはっきりさせる語。何を(誰に)問い、参ずるのかが原文に示されていない。訳文は「(そのことを)」と補い、上に述べた般若波羅蜜多と仏薄伽梵の現成のことを問い、参ずべし、と取った(→読みの分かれるところ)。
- 供養礼敬する:【3】の経文の「供養礼敬」の語を取ったもの。経文では、般若波羅蜜多を供養礼敬することは、仏薄伽梵を供養礼敬するようにすべきだ、と言われていた。禅師は「供養礼敬する、これ……」と、この語を「、これ」で受けて主題にすえる。
- 奉覲承事:「奉覲」は、つつしんでまみえること(「覲」は目上の人にお目にかかる意)。「承事」は、お仕えすること。宗務庁版英訳は「侍してお仕えする」の意に訳している。
- 奉覲承事の、仏薄伽梵なり:本山版は「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」と、「の」と読点を置く。「奉覲承事が、(そのまま)仏薄伽梵である」、「(供養礼敬は)奉覲承事する仏薄伽梵である」、「奉覲承事される仏薄伽梵である」などの読みが考えられる。訳文は「奉覲承事の、仏薄伽梵である」と原文の形を残し、どれか一つに決めていない(→読みの分かれるところ)。いずれの読みでも、供養礼敬・奉覲承事という行いと、その行いを向けられる仏薄伽梵とが、別々のものとしてではなく一つに言われている点は共通する。
巻末題#
訳文
正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜 第二
語注
- 巻末題:『正法眼蔵』の「摩訶般若波羅蜜」の巻、第二(巻の終わりを示す題)。「第二」は本山版の巻順で、巻頭題「正法眼蔵第二」と一致する。宗務庁版英訳も、六十巻本・七十五巻本・本山版(九十五巻本)のいずれでもこの巻が第二であるとしている。
奥書#
書き下し
爾の時、天福元年夏安居の日、観音導利院に在りて示衆す。
寛元二年甲辰春三月二十一日、越宇吉峰精舎の侍者寮に在りて之を書写す。
訳文
そのとき、天福元年(1233年)の夏安居の日に、観音導利院において、(この巻を)大衆に示した。
寛元二年甲辰(1244年)の春、三月二十一日、越宇の吉峰精舎の侍者寮において、これを書写した。
語注
- 爾時:そのとき。以上の本文を示した時を言う。
- 天福元年:1233年。宗務庁版英訳の解題は、この奥書に基づいて、この巻を伝統的な『正法眼蔵』諸本の中で日付のわかる最も早い巻としている。
- 夏安居:夏の間、一か所にとどまって修行に専念する期間(安居)。その期間はまちまちであるが、四月十五日から七月十五日までとするのが一般的で、1233年ではほぼ5月25日から8月21日にあたる(宗務庁版英訳による)。「夏安居の日」は、その期間中のある日、の意で、特定の日は示されていない。
- 観音導利院:道元禅師が深草(京都の南)に構えた道場。この巻は1233年の夏安居に観音導利院(すなわち興聖寺)で著されたとされる。禅師は1233年にここで夏安居を行い、その地またはその近くに堂宇を加えて、1236年に興聖寺を正式に開いた(宗務庁版英訳による)。宗務庁版英訳はまた、巻頭が観音(観自在菩薩)の名で始まるこの巻と、道場の名「観音導利院」との結びつきにもふれている。
- 示衆:大衆(修行者たち)に示すこと、説き示すこと。
- 寛元二年甲辰春三月二十一日:寛元二年は1244年。「甲辰」はその年の干支(きのえたつ)。宗務庁版英訳はこの日付を西暦1244年4月29日にあてている。
- 越宇:越前を指すと考えられる。
- 吉峰精舎:吉峰寺。道元禅師が1243年に越前に移ってのち、その地をこの名で呼んだ。現在同じ名の寺があるが後の時代のものであり、当時の「吉峰」をのちの地名と同一視せず、禅師が自ら名づけた仮の場所と見るのが妥当かもしれない、とする見方もある。吉峰寺は「吉峰寺」「吉嶺寺」と書かれることがあり、禅師は「寺」の字に代えて、梵語 vihāra の訳語である「精舎」を用いることがあった(以上、宗務庁版英訳による)。
- 侍者寮:侍者(住持のそば近くに仕える役の僧)の寮舎。
- 書写之:これ(この巻)を書き写した。本山版の奥書には書写した人の名がなく、訳文でも補わなかった。
解説#
はじめに――経文から、先師の偈へ#
前回は、『大般若経』から引かれた三つの経文と、それを受けた禅師の短い拈提を読みました(本巻第二回)。一人の苾蒭が甚深の般若波羅蜜多を敬礼しようと念ずる場面、天帝釈が善現に般若の学び方を問い、「當如虚空学」と答えられる場面、そして般若をたもつ人々をどう守護するかが問われる場面でした。禅師はそれぞれについて、敬礼すること、学ぶこと、受持・読誦・如理思惟することという行いの上に、般若を重ねて読んでおられる、と前回は受けとめました。
今回読むのは、この巻の最後の部分です。本文は四つの段落で、そのあとに巻末の題と奥書が続きます。
- 【1】 如浄禅師の偈――先師古仏の「風鈴頌」
- 【2】 拈提一――それを受けた禅師の言葉
- 【3】 経文――『大般若経』、般若波羅蜜多と仏薄伽梵
- 【4】 拈提二――それを受けた禅師の言葉
- 巻末題・奥書 巻の終わりの題と、示衆・書写の記録
この回で、巻の運びはもう一度形を変えます。これまで禅師が引いてこられたのは、『般若心経』と『大般若経』、つまり経の言葉でした。ところが【1】で引かれるのは、経ではなく、一人の禅の祖師の言葉、それも禅師ご自身の師の言葉です。
宗務庁版英訳の解題は、この巻について、弁道話やのちの多くの巻とは違って、中国の禅の師たちの因縁や言葉にはまだ立ち入っておらず、亡くなってまもない中国の師、如浄禅師の一つの偈に短くふれるほかは、全体が表題の般若波羅蜜にあてられている、と述べています。本巻第一回の「はじめに」でもふれたとおり、この巻で禅の祖師の言葉として引かれるのは、この偈ただ一つです。
「先師古仏」とは、道元禅師の本師、天童如浄禅師(1162–1227)のことです(宗務庁版英訳の注による)。弁道話で、禅師が「つひに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ」(『弁道話』第一回)と記しておられた、その師です。経の言葉を重ねて般若を語ってきたこの巻の終わり近くに、ただ一度、本師の偈が置かれ、そのあとにもう一度『大般若経』が引かれて、巻が閉じられます。今回はこの順に沿って、ゆっくり読んでいきたいと思います。
前回と同じく、読み方の手順を立てておきます。偈と経文については、まず字面のうえで何が言われているかを確かめ、そのうえで禅師の拈提が、そのどの語を取りあげ、どう読みかえているかを見ます。現代語訳の書き下しは訳者の一つの読みであり、本山版の訓読ではありません。また、読みの決めにくい箇所のうち主なものは、末尾の「読みの分かれるところ」にまとめました。解説でもそれらの箇所では、読みの幅を残したまま要点を述べるにとどめます。そのうえで、坐禅や日々の修行、暮らしとのつながりを、一つの受けとめ方として申し添えていきます。
如浄禅師の風鈴頌〔【1】〕#
「先師古仏云、渾身似口掛虚空、不問東西南北風、一等為他談般若、滴丁東了滴丁東」(原文【1】)。
宗務庁版英訳の注では、この偈は「風鈴頌」(風鈴の頌)と題されたもので、道元禅師の他の著作にも引かれる、とされています。偈の本文には「風鈴」という語は出てきません。けれども題によって、これが軒先などの虚空に掛かって、風に吹かれて鳴る風鈴をうたったものであることがわかります。
同じ注は、この偈が『如浄和尚語録』に見えること、ただしその語録が道元禅師のもとに届いたのは1242年の八月で、この巻の成立よりずっと後であるため、禅師が何によってこの偈を引かれたのかははっきりしない、とも述べています。また、道元禅師がこの偈について示した解釈を如浄禅師がほめたことが『宝慶記』に記されている、とも注しています。いずれも宗務庁版英訳の注に拠ることで、ここではそれ以上に立ち入りません。
先師古仏#
「先師」は、亡くなった自分の師を呼ぶ言葉です。「古仏」は、すぐれた祖師を、仏と仰いで呼ぶ尊称です。如浄禅師が亡くなったのは1227年ですから、この巻が示された天福元年(1233年)には、すでに「先師」でした。
ここで心にとめておきたいのは、この巻で唯一の祖師の言葉が、「古仏」と仰がれる本師の言葉として引かれている、ということでしょう。【2】で禅師はこの偈を「仏祖嫡嫡の談般若」と呼ばれます。仏祖から仏祖へと伝わってきた般若の語りが、ここでは本師の偈として示されている、と受けとめることができるでしょう。
「渾身似口掛虚空」――全身が口となって、虚空に掛かる#
第一句は、「渾身、口に似て虚空に掛かる」と読みました。風鈴の身全体が、まるで一つの口のようになって、大空に掛かっている、という句です。風鈴は、下に向かって口を開いたような形をしています。そしてその形のまま鳴ります。身体の一部に口があるのではなく、身体まるごとが口であり、その身体まるごとで鳴るのです。
「渾身」という言葉には、心をとめておきたいと思います。この巻の冒頭で、禅師は『心経』の句を組みかえて、「觀自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」と言われました(本巻第一回)。その回では、これを、身体まるごとの照見、と受けとめました。巻の冒頭に出てきた「渾身」の語が、巻の終わり近く、本師の偈の第一句にもう一度現れるのです。禅師がこの二つを意識して結びつけておられたかどうかは、本文からはわかりません。けれども、巻を通して読む者にとっては、冒頭の観自在菩薩の「渾身の照見」と、本師の偈の風鈴の「渾身」とが、遠く呼びかわしているように感じられます。
この「渾身」を、偈の題どおりに風鈴の身全体と取るのが字面に沿った読みです。宗務庁版英訳も「その全身」の意に訳しています。一方で、風鈴に託して、般若を説く者、あるいは修行者その人の全身を言うものとも読まれえます。
「掛虚空」の「虚空」も、前回からのつながりのある言葉です。前回の二つめの経文では、般若は「當如虚空学」、虚空のように学ぶべきだと言われ、禅師はそれを「学般若これ虚空なり、虚空は学般若なり」と受けられました(本巻第二回)。三つめの経文でも、般若を守ろうとするのは「無異為欲守護虚空」、虚空を守ろうとするのと異ならない、とされていました。虚空は、何ものにもさえぎられない、どこまでも開かれた広がりです。その虚空に、風鈴は掛かっています。どこかに固く据えつけられているのではなく、四方に開かれたところに、ただ掛かっている。だからこそ、どの方角からの風にも応じることができるのだ、と受けとめることもできるでしょう。
「不問東西南北風」――どの風も問わない#
第二句は、「東西南北の風を問はず」。東から吹く風か、西からか、南からか、北からか、それを問わない、というのです。
風鈴は、風を選びません。東風ならば鳴るが西風ならば鳴らない、ということはありません。強い風にも、かすかな風にも、それぞれに応じて鳴ります。風が来れば鳴り、風がやめば静まります。その鳴り方に、好き嫌いやはからいはありません。
「一等為他談般若」――ひとしく、他のために般若を談ずる#
第三句は、「一等に他の為に般若を談ず」と読みました。どの風に対しても、ひとしく、分けへだてなく、他のために般若を語る、と。風鈴が鳴ること、そのことが「般若を談ずる」こととして言われています。ここで、この偈は、ただの風鈴の歌ではなく、般若の偈となります。般若を主題とするこの巻に、本師のこの偈が引かれた理由も、まずはこの句にあると考えることができるでしょう。
この句には、読みの分かれるところがあります(→読みの分かれるところ)。一つは「他」です。宗務庁版英訳は、この「他」を「(四方の)風たち」を指す語と取って「それら(の風)のために」と訳し、注で、「他の人々」とも読めること、そして次の【2】で禅師はこれを「自」に対する「他」として読んでいることを述べています。また同じ注は、『如浄和尚語録』ではこの句が「一等與渠談般若」となっていて、風鈴と風とがともに般若を語っていることを思わせる形である、とも紹介しています。本山版の本文は「為他」ですので、現代語訳では「他のために」と原文の語のまま残しました。
もう一つは「一等」です。訳文では「ひとしく、一様に」と取りました。どの方角の風に対しても同じく、という意味と取るのが前の句とのつながりから自然ですが、(風と)ともに、ひとしく、という響きを読みとる余地もあります。
どちらに取るにしても、この句が語っているのは、風鈴の鳴る音が、だれかを選んで向けられたものではない、ということだと受けとめることができます。東の風にも、西の風にも、そしてそれを聞くだれにでも、ひとしく般若が語られている、と。
「滴丁東了滴丁東」――風鈴の音#
第四句は、「滴丁東了滴丁東」。これは風鈴の鳴る音を写した言葉で、字の意味によって訳すものではありません。現代語訳では原文のまま残し、風鈴の音であることを( )で示しました。宗務庁版英訳の注は、これを現代中国語の音で写し、また『摩訶般若波羅蜜聞解』に「ちちんつんりゃんちちんつん」という古い日本での読み方が記されていることを紹介しています。
偈の三句までは、言葉で「般若を談ず」と言ってきました。そして最後の一句は、その「談般若」の中身を、意味をもった言葉では説明せず、ただ音そのものとして置いています。般若を語る、と言われたその語りは、何か別の説明ではなく、「滴丁東了滴丁東」という、この音そのものだ、と受けとめることができるでしょう。チリン、チリン。それ以上でも、それ以下でもない音が、そのまま般若の語りとして、偈を結んでいます。
風を選ばずに鳴る――坐禅とのつながり#
この偈を、坐禅をする者の身に引きよせて味わってみたいと思います。これは本文が直接に語っていることではなく、一つの受けとめ方として申しあげます。
坐禅をしていると、さまざまなものが訪れます。外からは、車の音、鳥の声、人の足音。内からは、思い出やこれからの心配、眠気や足の痛み。そうしたものが、東から西から、南から北から、風のように吹いてきます。私たちはつい、好ましい風は迎え、好ましくない風は追い払おうとします。静かな坐禅ならよい坐禅で、雑念の多い坐禅は悪い坐禅だ、と思いがちです。
風鈴は、風を問いません。どの風が来ても、身体まるごとで、ただ鳴ります。坐禅もまた、訪れるものを選ばずに、ただ坐ることだと受けとめることができるのではないでしょうか。良い風だけを待って坐るのでも、悪い風を払いのけるために坐るのでもない。どの風が吹いてきても、渾身で、ただ坐る。
弁道話には、一人がわずかな時間坐禅をするだけでも、その坐禅が「諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずる」ゆえに、「彼彼ともに一等の同修なり、同証なり」と言われていました(『弁道話』第二回)。そしてすぐあとに、それはただ坐の上だけの修行ではなく、「空をうちてひびきをなすこと、撞の前後に妙声綿綿たるものなり」、虚空を打って響きを起こし、撞いたその前にも後にも妙なる声が絶えず続いているようなものだ、と続いていました。弁道話のこの「一等」と、風鈴頌の「一等」、弁道話の「空をうちてひびきをなす」と、虚空に掛かって鳴る風鈴とを、本文が結びつけているわけではありません。ですから、ここでは、そのように並べて味わうこともできる、と申し添えるにとどめます。それでも、坐禅が坐る人ひとりのことにとどまらず、響きのように広がっていくものとして語られていたことを思い出すと、虚空に掛かってひとしく般若を談ずる風鈴の姿が、いっそう親しく感じられるように思います。
暮らしの中でも、私たちは毎日、東西南北からの風に吹かれています。うれしい知らせもあれば、つらい出来事もある。気の合う人もいれば、そうでない人もいる。風鈴は、どの風に対しても同じように鳴りました。一人ひとりの相手に、そのつど、身体まるごとで応じる。その応じ方が、選り好みのない、ひとしいものであるならば、それはそのまま「他の為に般若を談ずる」ことになっているのかもしれません。
渾身般若なり〔【2】〕#
偈を受けて、禅師は次のように言われます。
「これ仏祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり。渾自般若なり、渾東西南北般若なり」(原文【2】)。
「仏祖嫡嫡の談般若」#
まず、「これ仏祖嫡嫡の談般若なり」。この偈は、仏祖が嫡嫡と、つまり正しい跡継ぎから跡継ぎへと代々受け継いできた、その「談般若」である、と言われます。
「談般若」は、偈の第三句の語です。風鈴が鳴ることを「般若を談ず」と言った偈の言葉を取りあげて、禅師は、この偈そのものが、仏祖から仏祖へと伝わってきた般若の語りである、と言われるのです。宗務庁版英訳も、ここの「談般若」を偈の語として引用符をつけて訳しています。
風鈴が般若を談じ、その風鈴をうたった本師の偈がまた仏祖嫡嫡の般若の語りであり、その偈を禅師が受けて、いまこの巻で大衆に示しておられる。語りが語りを受け継いでいく、その流れの中に、本師から禅師への相承も置かれている、と受けとめることができるでしょう。前回まで、禅師は経の言葉を引いてこられました。経は仏の言葉です。そして今回、本師の言葉がそれと並んで、「仏祖嫡嫡の談般若」として示されます。仏の説かれた般若と、祖師から祖師へ伝わる般若とが、ここで一つの流れとして示されている、と言ってもよいかもしれません。
本文の「仏祖嫡嫡」は、仏祖から仏祖へ、正しい跡継ぎから跡継ぎへと受け継がれてきたことを言う言葉です。この一語に、師から弟子へと法が受け継がれていく相承の重みを読みとることもできるでしょう。
「渾」の字を広げる#
続いて、禅師は四つのことを「般若なり」と言われます。渾身、渾他、渾自、渾東西南北。
偈の中で「渾」の字があったのは、第一句の「渾身」だけでした。禅師は、この「渾」を偈の他の語にも冠せていかれます。宗務庁版英訳の注も、禅師が「渾身」の「渾」を偈の他の語へ広げている、と指摘しています。偈の第三句の「為他」の「他」に「渾」をつけて「渾他」。偈の第二句の「東西南北(風)」に「渾」をつけて「渾東西南北」。そして偈にはない「自」を、「他」と対にして加えて「渾自」。
前回見たように、禅師は経文の語句を切り出し、並べなおすことで、経文をふつうとは少し違う向きに読まれました。ここでも同じように、偈の一語「渾」を手がかりに、偈全体の語を「まるごと」の言葉に読みかえておられる、と見ることができます。
渾身・渾他・渾自・渾東西南北#
「渾身般若なり」。偈では、風鈴の身体まるごとが口のようだ、と言われていました。禅師は、その身体まるごとが般若である、と言われます。
「渾他般若なり」。偈の「他」は、さきに見たように、風たちとも、他の人々とも読める語でした。禅師はここで「他」を「自」と対にしておられますから、ここでの「他」は、自己に対する他、自分でないものすべて、と取るのが自然でしょう。ただし、宗務庁版英訳のように、偈の「他」すなわち四方の風たちのまるごと全体、と取る読みもあります。
「渾自般若なり」。偈では、風鈴は「他のために」般若を談じていました。語る風鈴があり、聞く他がある。ところが禅師は、語られる相手(他)だけでなく、語るもの自身(自)もまた、まるごと般若である、と言われます。
「渾東西南北般若なり」。偈では、東西南北は風の吹いてくる方角でした。風鈴はその方角を問わない、と言われていました。禅師は、その東西南北そのものも、まるごと般若である、と言われます。
こうして並べてみると、偈の中にあった区別――鳴る風鈴の身体、それに吹きつける四方の風、語りかけられる他――が、一つ一つ「渾」をつけられ、そのどれもがまるごと般若である、と言いなおされていることがわかります。偈では、風鈴が般若を語り、他がそれを聞くのでした。禅師の言葉では、語るものも、語られる相手も、語りが届く四方も、まるごと般若そのものだ、ということになります。
この四つの文の組み立てには、読みの幅があります(→読みの分かれるところ)。訳文では「渾身が般若である」と、「渾身」を主語として訳しました。一方、宗務庁版英訳は、主語を「これ(=この偈の談般若)」と見て、「それは『渾身』の般若である、渾他の般若である……」と訳しています。前の読みでは、渾身・渾他・渾自・渾東西南北のそれぞれがそのまま般若だ、ということになり、後の読みでは、この偈の談般若が、渾身という般若であり、渾他という般若である……ということになります。どちらに取っても、身も、他も、自も、四方も、般若の外にはない、という方向は共通しているように思われます。
本巻第一回で、禅師が五蘊を「五枚の般若」、十二入を「般若波羅蜜十二枚」と数え、最後に行・住・坐・臥を「四枚の般若」とされたことを思い出してください。そこでは、私たちの身心も、見聞きするものも、日々の立ち居ふるまいも、一枚一枚の般若として数えられていました。今回の【2】では、数えるかわりに、「渾」、まるごと、と言われています。一枚一枚と数えることと、まるごとと言うこと。言い方は違いますが、どちらも、般若を私たちの身や世界から離れたどこかに置かない言い方だと受けとめることができるでしょう。
自分も、相手も、まるごと#
この【2】の言葉を、日々の暮らしの中で受けとめてみます。
私たちはふつう、自分と他人、こちらとあちらを分けて考えます。教える人と教わる人、助ける人と助けられる人、語る人と聞く人。偈の風鈴も、「他の為に」般若を談じていました。そこには、語る側と聞く側の区別がまだ残っています。
けれども禅師は、「渾他般若なり」と言われたうえで、さらに「渾自般若なり」と言われました。相手だけが般若なのではない。自分もまるごと般若である。語る自分と聞く相手、こちらとあちらのどちらか一方だけに般若があるのではなく、そのどちらもが、まるごと般若である、と。
だれかのために何かをするとき、私たちはつい、自分が何かを与える側で、相手が受けとる側だと考えがちです。けれども、この言葉に照らしてみると、そのような分け方の手前で、自分も相手も、そして自分と相手がいるこの場所の四方も、まるごと般若の中にある、と受けとめることができるのではないでしょうか。それは、自分と相手の違いをなくしてしまうことではありません。自分は自分としてまるごと、相手は相手としてまるごと、それぞれが般若として向きあっている。そう受けとめるとき、だれかに接する一つ一つのことが、少し違った重みをもって感じられてくるように思います。
坐禅においても、坐っている自分の身体まるごと(渾身・渾自)と、坐っている場所をとりまく四方のすべて(渾東西南北)と、そこに訪れるもののすべて(渾他)とが、別々に分かれてあるのではない、と受けとめることができるかもしれません。坐禅は、自分ひとりの心の中に閉じこもることではなく、四方に開かれた虚空に掛かる風鈴のように、まるごとで坐ることだ、と。これも一つの受けとめ方として申し添えておきます。
般若波羅蜜多は仏薄伽梵に異ならず〔【3】〕#
本師の偈とその拈提のあと、禅師はもう一度、『大般若経』に戻られます。宗務庁版英訳の注と解題によれば、この段全体が、前回と同じ玄奘訳の『大般若波羅蜜多経』からの引用です。
経文の場面――般若波羅蜜多に、仏のように向きあう#
経文は、釈尊が舎利子(舎利弗)に語りかける形で始まります。
「釈迦牟尼仏言、舎利子、是諸有情、於此般若波羅蜜多、應如仏住。供養礼敬思惟般若波羅蜜多、應如供養礼敬仏薄伽梵」(原文【3】)。
現代語訳では、これを本山版の句切りに従って、「舎利子、是の諸の有情、此の般若波羅蜜多に於て、應に仏の住するが如くすべし。般若波羅蜜多を供養し礼敬し思惟すること、應に仏薄伽梵を供養し礼敬するが如くすべし」と読みました。
前半の一文は、有情(生きとし生けるもの)は、この般若波羅蜜多に対して、そこに仏が住しておられるかのように(向きあう)べきである、と取りました。ただ、「仏の住するが如く」を、般若波羅蜜多に仏が住しておられるかのように敬う、と取るか、有情自身が、仏が住するように般若波羅蜜多に住すべきである、と取るかで、読みが分かれます(→読みの分かれるところ)。後の取り方をすれば、般若波羅蜜多は敬う対象であるだけでなく、有情がそこに住するところ、身を置くところでもある、ということになります。
後半の一文は、般若波羅蜜多を供養し、礼敬し、思惟することは、仏薄伽梵を供養し礼敬するのと同じようにすべきである、と言います。供養は、物や行いをささげて敬うこと。礼敬は、礼拝してうやまうこと。思惟は、思いめぐらし、よく考えることです。「仏薄伽梵」の「薄伽梵」は梵語の音写で、世尊、世に尊ばれる者という意味の、仏の尊称です。「仏薄伽梵」で、仏・世尊、という意味になります。
一つお断りしておきます。宗務庁版英訳の日本語本文は、同じ文字を「應如佛住供養禮敬。思惟般若波羅蜜多、應如供養禮敬佛薄伽梵」と、「供養礼敬」のあとで句を切っています。英訳もこの切り方に従って、般若波羅蜜多には、仏がそこに住しているかのように供養し礼敬すべきであり、般若波羅蜜多を思惟するときには、仏薄伽梵を供養し礼敬しているかのようにすべきである、という意味に訳しています。文字は同じで、句点の位置だけが違うのです。本書は本山版の句切りに従って読みましたが、この違いによって、「供養礼敬」と「思惟」の受けとめ方が少し変わります。本山版の句切りでは、供養・礼敬・思惟の三つがそろって般若波羅蜜多に向けられ、その三つが仏薄伽梵を供養礼敬するようになされるべきもの、とされます。どちらの句切りでも、般若波羅蜜多に向かうことと、仏に向かうこととが重ねられている点は変わりません。
ここで「供養」という言葉について、一言ふれておきます。私たちの暮らしの中で「供養」と言えば、亡くなった方のための法要を思い浮かべることが多いかもしれません。ここで経文の言う「供養」は、仏、そして般若波羅蜜多に、ささげものをして敬うことです。そのことを心にとめて読み進めたいと思います。
「不異」と「即是」――両方向から#
経文は、なぜそうすべきなのかを、「所以者何」(それはなぜか)と問うて説いていきます。
「般若波羅蜜多、不異仏薄伽梵、仏薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、即是仏薄伽梵、仏薄伽梵、即是般若波羅蜜多」。
般若波羅蜜多は仏薄伽梵と異ならず、仏薄伽梵は般若波羅蜜多と異ならない。般若波羅蜜多はそのまま仏薄伽梵であり、仏薄伽梵はそのまま般若波羅蜜多である、と。
ここでは「不異」(異ならず)と「即是」(即ち是れ)という二つの言い方が、般若波羅蜜多から仏薄伽梵へ、仏薄伽梵から般若波羅蜜多へと、両方向から重ねて言われています。この形は、本巻第一回で読んだ「色即是空なり、空即是色なり」(本巻第一回)の言い方を思い出させます。般若波羅蜜多という智慧と、仏という方とが、別々のものではなく、そのまま一つである、ということが、言葉を尽くして念を押されているのです。
一切が、般若波羅蜜多によって出現する#
経文はさらに、「何以故」(なぜそう言えるのか)と問うて、その理由を三度くり返して述べます。
一切の如来・応・正等覚、すなわちすべての仏は、みな般若波羅蜜多によって出現することができる。一切の菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流、すなわち仏道を歩むあらゆる位の修行者は、みな般若波羅蜜多によって出現することができる。一切世間の十善業道・四静慮・四無色定・五神通、すなわち仏道の代表的な行いや境地もまた、みな般若波羅蜜多によって出現することができる、と。
仏も、修行者も、修行の行いや境地も、そのすべてが般若波羅蜜多から現れ出る。だから、般若波羅蜜多は仏とそのまま一つであり、般若波羅蜜多に向かうときには、仏に向かうように向かうべきである。経文の筋は、このようにまとめることができるでしょう。
前回の一つめの経文で、苾蒭が念じたのも、戒・定・慧から四果、独覚、仏のさとり、三宝、衆生を救うはたらきまで、仏道の全体でした(本巻第二回)。今回の経文でも、仏から預流まで、また十善業道から五神通まで、仏道の全体が数えあげられています。宗務庁版英訳の注は、十善業道以下を、仏道の代表的な修行の数えあげとしています。それらがことごとく「般若波羅蜜多に由りて」出現する、と言われているのです。
仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり〔【4】〕#
この経文を受けて、禅師は巻の最後の拈提を示されます。
「しかあればすなはち、仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり、奉覲承事の、仏薄伽梵なり」(原文【4】)。
「なり」で言いきる#
「しかあればすなはち」、そうであるから、と経文を受けて、禅師はまず「仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり」と言われます。
経文では、「不異」と「即是」が、両方向から重ねて言われていました。禅師はその中から「仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり」を取り、「異ならず」でも「即ち是れ」でもなく、「なり」で言いきっておられます。本巻第一回で、禅師が『心経』の句を「なり」で受けて、「色即是空なり、空即是色なり」「色是色なり、空即空なり」と言われたことを思い出します。経文が言葉を重ねて説いたことを、禅師は短く、断定の形で受けとめておられます。
「般若波羅蜜多は是諸法なり」――諸法へ#
そして禅師は、経文にない一歩を進められます。「般若波羅蜜多は是諸法なり」。
経文では、仏と般若波羅蜜多とが一つであると言われていました。禅師はさらに、その般若波羅蜜多は諸法である、と言われます。諸法とは、あらゆるもの、あらゆる事象のことです。仏薄伽梵は般若波羅蜜多であり、般若波羅蜜多は諸法である。こうして、仏から般若へ、般若から諸法へと、言葉がつながっていきます。
本山版は、ここを送り仮名なしで「是諸法なり」と書いています。訳文は宗務庁版英訳と同じく、「是(こ)れ諸法なり」、般若波羅蜜多は諸法である、と読みました。ただ、次の文が「この諸法は」と受けていることから、「是の諸法なり」、これらの諸法である、と読む余地もあります(→読みの分かれるところ)。
前回、禅師が苾蒭の敬礼の対象を、経文の「般若」から「諸法」へと置きかえておられたことが思い出されます(本巻第二回。「諸法を敬礼するところに」)。そして本巻第一回では、五蘊も十二入も十八界も、あらゆるものが一枚一枚の般若として数えられていました。この【4】の「般若波羅蜜多は是諸法なり」という一句は、それらの読みかえを、短く言いきった言葉のようにも響きます。ただ、本文がそのつながりを明言しているわけではありませんので、これは巻を通して読む者の一つの受けとめ方として申しあげておきます。
『心経』の句を受けて#
続く一文、「この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨不増不減なり」について、宗務庁版英訳の注は、『般若心経』の一句を禅師が和文にしたものだとしています。『心経』の句を、一つ一つ「なり」で言いきる形にして、その主語を「この諸法」、すなわち般若波羅蜜多であるところの諸法としておられます。
この諸法は、空というありさまをしている。生じることも滅することもない。垢れることも浄らかになることもなく、増えることも減ることもない、と。
巻は『心経』の冒頭の句を組みかえるところから始まりました(本巻第一回)。そして巻の終わり近くで、もう一度『心経』の言葉が、禅師の和文の形で現れます。巻の始まりと終わりとが、『心経』の言葉によって、ゆるやかに結ばれているように感じられます。
「この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり」#
「この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり」。
「現成」は、現れ出て成りたっていること、いまここに実現していることです。この般若波羅蜜多が現成していることは、そのまま仏薄伽梵が現成していることである、と。
経文では、一切の仏も修行者も修行の行いも、般若波羅蜜多に「由りて出現することを得る」と言われていました。般若波羅蜜多が先にあり、そこから仏が現れ出る、という順序が感じられる言い方です。禅師は、その「出現」を「現成」の語で受けている、と見ることもできるかもしれません。そして禅師の言葉では、般若波羅蜜多の現成と仏薄伽梵の現成とが、「〜は、〜なり」と一つに言われています。
この一文の取り方にも幅があります(→読みの分かれるところ)。訳文は、「現成していることは、……現成していることである」と、二つの現成を同じ一つのこととして訳しました。宗務庁版英訳は、「この般若波羅蜜多が現れるとき、仏薄伽梵が現れる」と、時の句として訳しています。どちらに取っても、般若波羅蜜多が現成するところに、仏が別のところから遅れてやって来るのではない、という点は共通しているように思われます。
前回、苾蒭の敬礼について、禅師が「この正當敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり」と言われていた(本巻第二回)ことも思い出されます。まさに敬礼しているその時に、般若が現成している。そして今回、その般若の現成は、そのまま仏の現成である、と言われます。
「問取すべし、参取すべし」#
「問取すべし、参取すべし」。問いなさい、参じなさい、と。
「問取」は問う、たずねること。「参取」は、師について参学する、身をもって学びとることです。ここで、禅師の言葉は、ものごとのありさまを述べる言い方から、聞く人への呼びかけへと変わります。
何を、だれに問い、参ずるのかは、原文に示されていません(→読みの分かれるところ)。訳文では、上に述べた般若波羅蜜多と仏薄伽梵の現成のことを問い、参ずべし、と取りました。宗務庁版英訳は、直前の「仏薄伽梵」を相手と取って、「われわれは彼に問うべきであり、彼のもとで学ぶべきである」と訳しています。現成した仏に問い、そのもとで参学せよ、という読みです。目的語を立てずに、聞く人への一般的な勧めとして受けとめることもできるでしょう。
どの読みを取るにしても、この呼びかけには、般若を、頭の中で理解して終わるものとしてではなく、問い、参じ、身をもって確かめていくものとして示す響きがあるように思われます。仏薄伽梵の現成に問い、参ずる。それは、師のもとで、また坐禅の中で、自分の身をもって学びとっていくことだ、と受けとめることもできるかもしれません。
「供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり」#
そして、巻の最後の一文です。
「供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり、奉覲承事の、仏薄伽梵なり」。
「供養礼敬」は、【3】の経文の語です。経文では、般若波羅蜜多を供養礼敬することは、仏薄伽梵を供養礼敬するようにすべきだ、と言われていました。そこには「如く」、ように、という言葉がありました。般若波羅蜜多に向かうときには、仏に向かう「ように」向かいなさい、と。
禅師の言葉には、この「如く」がありません。「供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり」。供養し礼敬すること、それがそのまま、仏薄伽梵につつしんでまみえ、お仕えすることである、と。「奉覲」は、つつしんでまみえること。「承事」は、お仕えすることです。宗務庁版英訳は「侍してお仕えする」という意味の語で訳しています。
前回、禅師が経文の「當如虚空学」を受けて、「学般若これ虚空なり」と、「如」を用いずに言いきられたことを見ました。今回も、経文にあった「如く」は禅師の言葉になく、供養礼敬することが、そのまま仏に仕えることとして言われています。仏に仕える「ように」般若を敬うのではない。供養礼敬するその行いが、そのまま仏にまみえ、仏に仕えることである、と。
なお、この「供養礼敬」が、本山版の句切りと宗務庁版英訳の句切りの、どちらの「供養礼敬」を受けると見るかにも、読みの幅が残ります(→読みの分かれるところ)。
「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」#
そして、最後の一句、「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」。
この句は、短いながら、読みのたいへん定まりにくいところです(→読みの分かれるところ)。本山版は「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」と、「の」と読点を置いています。宗務庁版英訳の日本語本文は「奉覲承事の佛薄伽梵なり」と読点がなく、同書の注の見出しでは「の」もない形になっています。宗務庁版英訳は、河村本の句読に従ってここを独立した一文と見て、「奉覲承事することが(そのまま)仏薄伽梵である」という意味に訳し、注で、別の切り方として、「供養礼敬することは、仏薄伽梵に奉覲承事することであり、奉覲承事する仏薄伽梵であることである」とも読める、と述べています。
本山版の「の、」の形からは、いくつかの読みが考えられます。
- 「奉覲承事の」を主語のように取って、奉覲承事すること、その行いが、そのまま仏薄伽梵である、と読む。
- 「の」を後ろにかかる「の」と取って、(供養礼敬することは)奉覲承事する仏薄伽梵である、と読む。供養礼敬する者が、そのまま、仕える仏である、という読みです。
- 奉覲承事される仏薄伽梵、すなわち、お仕えされる側の仏である、と読む。
現代語訳では、原文の形を残して「奉覲承事の、仏薄伽梵である」とし、どれか一つには決めていません。本解説でも、そのままにしておきます。
ただ、どの読みを取っても、共通していることがあります。それは、供養礼敬し、奉覲承事するという行いと、その行いが向けられる仏薄伽梵とが、別々のものとしてではなく、一つのこととして言われている、ということです。仏がどこか向こうにおられて、こちらにいる私たちがその仏にお仕えする、という分け方のままでは終わっていません。お仕えすることそのものが仏である、とも、お仕えする者が仏である、とも、お仕えされる仏がここにある、とも読める言葉で、この巻は閉じられています。
【2】で、禅師は、語られる他だけでなく語る自もまるごと般若である、と言われました。【4】の最後の句も、仕える側と仕えられる側とを、一つの「仏薄伽梵」の上に重ねる言葉として受けとめることができるように思います。前回の三つの拈提で、敬礼される般若、たとえとしての虚空、外から加えられる守護が、敬礼すること、学ぶこと、受持・読誦することという行いの上に重ねて読まれていたのと、同じ方向の言葉だと言えるかもしれません。
日々の行持のなかで――供養礼敬と奉覲承事#
この【4】の言葉を、日々の修行と暮らしの中で受けとめてみたいと思います。ここでも一つの受けとめ方として申し添えます。
仏前に花を供え、香を焚き、灯明をともす。合掌し、礼拝する。経を読む。私たちの日々の暮らしの中には、こうした供養礼敬の行いがあります。お寺で修行する人にとっても、家庭の仏壇の前で手を合わせる人にとっても、それは毎日くり返される、ごくふつうの行いです。
私たちはこうした行いを、ともすると、仏に何かを届けるための手段のように考えます。あるいは、形だけのこととして、心をこめずにすませてしまうこともあります。けれども、禅師は、「供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり」と言われました。花を供え、手を合わせ、礼拝するその行いが、そのまま仏にまみえ、仏にお仕えすることである、と。仏に仕える「ように」供養するのではなく、供養することが、そのまま仏に仕えることなのです。
そして、「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」。その読みの幅をそのまま残しつつ受けとめるならば、お仕えすることそのものが仏である、と読んでも、お仕えする者が仏である、と読んでも、私たちの日々の小さな供養礼敬の行いが、仏から遠いところにあるものではない、ということになります。一輪の花を供え、一度手を合わせる。その一つ一つの行いに、仏薄伽梵が現成している、と受けとめることができるのではないでしょうか。
ここで、弁道話の言葉についてふれておきます。弁道話には、「参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ」(『弁道話』第二回)という一節がありました。この言葉と、今回の「供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり」という言葉とを、どのように結びつけて受けとめるかは、本文から決めることはできません。弁道話の言葉は、師にまみえて参学するはじめから、ひたすら坐禅に打ちこむことを説くものとして示されていました。今回の言葉は、経文の「供養礼敬」を受けて、その行いがそのまま仏に仕えることだと言うものです。それぞれの言葉が置かれている場所が違うことを心にとめて、どちらか一方で他方を打ち消すような読み方は避けておきたいと思います。
そのうえで、二つの言葉に共通する向きを一つ挙げるとすれば、どちらも、行いを、それとは別の何かを得るための手段として外に立てていない、ということかもしれません。弁道話では、「修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辦道すなはち本証の全体なり」(『弁道話』第五回)と言われ、さらに「修のほかに証をまつおもひなかれ」と言われていました。修行とさとりとは二つではなく、修行は、さとりの上での修行である、と。宗門では、この「証上の修」を、修証一等の教えとして大切に受けとめてきました。今回の【4】で、供養礼敬することがそのまま仏に仕えることであり、仕えることがそのまま仏である、と言われていることも、この修証一等の受けとめ方と響き合うものとして味わうことができるように思われます。ただし、本文が直接に弁道話のこの言葉を指しているわけではありませんので、これは並べて味わう、という範囲にとどめておきます。
坐禅もまた、仏にまみえ、仏に仕えることとして受けとめることができるかもしれません。坐禅を、仏になるための手段としてではなく、坐ることそのものとして行う。そのとき、坐る者と、坐ることと、仏とは、別々に分かれてはいない。風鈴頌の風鈴が、身体まるごとで鳴ることがそのまま般若の語りであったように、坐禅する身体まるごとが、そのまま仏の現成である、と。
巻末題と奥書#
本文のあとには、巻の終わりを示す題が置かれています。
「正法眼蔵摩訶般若波羅蜜第二」。
巻頭の「正法眼蔵第二 摩訶般若波羅蜜」(本巻第一回)と対応する題です。宗務庁版英訳の解題も、この巻が六十巻本・七十五巻本、そして本山版(九十五巻本)のいずれでも第二に置かれている、と述べています。
そのあとに、二行の奥書が続きます。
「爾時天福元年夏安居日、在観音導利院示衆」。
そのとき、天福元年(1233年)の夏安居の日に、観音導利院において大衆に示した、という記録です。宗務庁版英訳の解題は、この奥書に基づいて、この巻が伝統的な『正法眼蔵』の諸本の中で、年記のある最も早い巻であるとしています。また、この巻は1233年の夏安居に、深草にあった道元禅師の住まい、観音導利院(すなわち興聖寺)で撰述されたとされる、と述べています。深草は、当時の都、平安京(いまの京都)のすぐ南にあたります。
夏安居は、夏のあいだ、修行者が一つところにとどまって修行に専念する期間です。宗務庁版英訳の注は、その期間は一定しないけれども、四月十五日から七月十五日までとするのが一般的で、1233年ではおよそ5月25日から8月21日にあたる、としています。「夏安居の日」とは、その期間のうちのある日、という意味で、特定の日付は示されていません。
この巻が、安居という、修行者が共に暮らし共に修行する期間のなかで「示衆」、大衆に示されたものであることは、心にとめておいてよいことでしょう。般若を論じた書物として書斎で書かれたのではなく、修行の場で、修行する人々に向けて示された言葉なのです。今回読んだ「問取すべし、参取すべし」の呼びかけも、そうした場で示されたものとして読むと、いっそう身近に響いてくるように思われます。
二行めの奥書は、次のとおりです。
「寛元二年甲辰春三月二十一日、在越宇吉峰精舎侍者寮書写之」。
寛元二年(1244年)の春、三月二十一日に、越宇の吉峰精舎の侍者寮において、これを書写した、という記録です。宗務庁版英訳は、この日付を西暦1244年4月29日にあてています。最初に示された天福元年から、およそ十一年後のことになります。
「越宇」は、越の地、越前を指すと考えられます。吉峰精舎が、禅師が越前に移ってのち「吉峰寺」と呼んだところであることは、語注に記したとおりです。侍者寮は、住持のそば近くに仕える侍者の寮舎です。本山版の奥書には、書写した人の名は記されていません。なお、宗務庁版英訳が載せる洞雲寺本の奥書は、本山版と字句が少し異なりますが、本書では本山版の奥書をそのまま読んでおきます。
一つの巻が、ある夏の安居の中で示され、十年あまりのちに、別の土地の寺の侍者寮で書き写される。こうして書き写され、伝えられてきたからこそ、私たちはいまこの巻を読むことができます。【2】の「仏祖嫡嫡の談般若」という言葉を、この奥書と並べて読むと、法を伝えるということが、言葉を書き写し、読みつぎ、身に受けていく、地道な営みの積み重ねでもあることが、あらためて感じられます。
本山版には、さらにそのあとに、巻末に付された本山版刊行時の識語として、寛政八年(丙辰)の募刻の識語が添えられています。この巻を刻んで刊行するために喜捨した人々の名とともに、「伏願乗此慧業行深般若。照五蘊空」、この慧業に乗じて深般若を行じ、五蘊の空を照らさんことを伏して願う、という意味の願いの言葉が記されています。巻の冒頭の『心経』の言葉が、刊行を願った人々の願いの言葉の中にも響いていることを、最後に添えておきます。
むすびに――『摩訶般若波羅蜜』の巻をふりかえって#
三回にわたって読んできた「摩訶般若波羅蜜」の巻を、あらためてふりかえってみたいと思います。
本巻第一回では、巻の冒頭の一段落を読みました。禅師は、『般若心経』の冒頭の句を「行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」と組みかえるところから巻を始められ、五蘊を「五枚の般若」と数え、十二入、十八界、四諦、六度、仏のさとり、三世、六大と、般若を一枚一枚数えあげて、最後に「よのつねにおこなはる」行・住・坐・臥を「四枚の般若」として結ばれました。本巻第一回の解説では、私たちの身心も、見聞きするものも、毎日の立ち居ふるまいも、般若の外にあるのではない、という言葉として、これを受けとめました。
本巻第二回では、『大般若経』から引かれた三つの経文と、それを受けた禅師の短い拈提を読みました。一人の苾蒭の敬礼、虚空のように学ぶこと、般若を受持・読誦する人々の守護。本巻第二回の解説では、経文の中で行う人の向こう側や外に置かれていたもの――敬礼される般若、たとえとしての虚空、外から加えられる守護――を、禅師が、敬礼すること、学ぶこと、受持・読誦することという行いそのものの上に重ねて読んでおられる、という一つの読み方を示しました。
そして今回、この巻でただ一つの祖師の言葉として、本師如浄禅師の風鈴頌が引かれました。虚空に掛かった風鈴が、東西南北どの風も問わず、身体まるごとで、ひとしく般若を語る。禅師はそれを「仏祖嫡嫡の談般若」として受け、渾身も、渾他も、渾自も、渾東西南北も、まるごと般若である、と示されました。続いてもう一度『大般若経』が引かれ、般若波羅蜜多と仏薄伽梵とが異ならないことが説かれます。禅師はそれを受けて、仏薄伽梵は般若波羅蜜多であり、般若波羅蜜多は諸法である、と言い、般若の現成がそのまま仏の現成であると示して、「問取すべし、参取すべし」と呼びかけられました。そして最後に、供養礼敬することがそのまま仏に仕えることであり、「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」と、巻を閉じられました。
巻全体をこうしてたどってみると、いくつかの言葉が、巻のはじめと終わりとで呼びかわしているように感じられます。巻の冒頭の「渾身の照見」と、風鈴頌の「渾身」。前回の経文と拈提の「虚空」と、風鈴の掛かる「虚空」。冒頭で組みかえられた『心経』の句と、終わり近くで和文になって現れる『心経』の句。そして、冒頭の「よのつねにおこなはる」行住坐臥と、最後の「供養礼敬」「奉覲承事」という行い。巻の始まりでは身体まるごとの照見として、終わりでは仏に仕える行いとして、般若が、私たちの身と行いの上に語られている、と受けとめることができるでしょう。もとより、これらの呼応は本文が明言しているものではなく、巻を通して読む者の一つの受けとめ方です。また、一つ一つの言葉には、「読みの分かれるところ」に挙げたように、読みの幅が少なからず残っています。本書では、それらのどれか一つを唯一の正解とはせず、読みの幅を残しておきました。
最後に、風鈴の姿をもう一度思い浮かべてみたいと思います。虚空に掛かり、どの風も選ばず、身体まるごとで鳴る。その音は、意味をもった言葉ではなく、ただ「滴丁東了滴丁東」と響くだけです。けれども、その音そのものが般若の語りであり、仏祖から仏祖へと嫡嫡に伝えられてきた談般若である、と、この巻は語っていました。
私たちも、日々の暮らしの中で、さまざまな風に吹かれています。その中で坐禅をし、仏前に手を合わせ、歩き、立ち、坐り、休む。その一つ一つを、何か別のもののための手段としてではなく、身体まるごとで、そのつど丁寧に行う。そのとき、私たちの行いもまた、ささやかながら、風鈴の音のように般若を語るものとなり、仏にまみえ、仏に仕えることとなっているのかもしれません。禅師がこの巻で示された般若は、遠い経典の中の智慧ではなく、いまここで行われる私たちの行いの上に現成するものとして、静かに差し出されているように思われます。
読みの分かれるところ#
この回の範囲にも、読み方が一つに定まらない言い回しがいくつもあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。
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「一等為他談般若」の「他」と「一等」【1】
「他」は、四方から吹く風たちを指すとも、他の人々を指すとも読めます。宗務庁版英訳は「風たちのために」と訳し、注で「他の人々」とも読めること、【2】で禅師はこれを「自」に対する「他」として読んでいることを述べています。同じ注は、『如浄和尚語録』ではこの句が「一等與渠談般若」と、風鈴が風とともに語ることを思わせる形であることも紹介していますが、本山版の本文は「為他」です。「一等」も、どの方角の風に対しても同じく、と取るほか、(風と)ともに、ひとしく、という響きを読みとる余地があります。 -
「渾身般若なり、渾他般若なり。渾自般若なり、渾東西南北般若なり」【2】
現代語訳では「渾身が般若である」のように、渾身・渾他・渾自・渾東西南北のそれぞれを主語として読みました。一方、主語を「これ(この偈の談般若)」と見て、「それは渾身という般若であり、渾他という般若である……」と読むこともでき、宗務庁版英訳はこちらに近い形で訳しています。また「渾他」の「他」を、「自」に対する他(自分でないものすべて)と取るか、偈の「他」すなわち四方の風たちのまるごと全体と取るかでも幅があります。どちらに取っても、身も他も自も四方も般若の外にはない、という方向は共通しているように思われます。 -
「應如仏住。供養礼敬思惟般若波羅蜜多、應如供養礼敬仏薄伽梵」【3】
本山版はここを「應如仏住」で切ります。その下で、「般若波羅蜜多に、そこに仏が住しておられるかのように向きあうべきである」と読むほか、「有情自身が、仏が住するように般若波羅蜜多に住すべきである」と読むこともできます。宗務庁版英訳は同じ文字を「供養礼敬」の後で切り、「仏がそこに住しているかのように供養し礼敬すべきであり、般若波羅蜜多を思惟するときは仏薄伽梵を供養礼敬するようにすべきである」という意味に訳しています。句切りによって、「供養・礼敬・思惟」の三つがそろって般若波羅蜜多に向けられるのか、「思惟」だけが別に言われるのかが変わり、【4】の「供養礼敬する」がどちらを受けるかにも幅が出ます。 -
「般若波羅蜜多は是諸法なり」【4】
本山版は送り仮名なしで「是諸法なり」と書きます。現代語訳では、宗務庁版英訳と同じく「是れ諸法なり」(般若波羅蜜多は諸法である)と読みました。ただ、次の文が「この諸法は」と受けていることから、「是の諸法なり」(これらの諸法である)と読む余地もあります。 -
「この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり」【4】
現代語訳では、「般若波羅蜜多が現成していることは、仏薄伽梵が現成していることである」と、二つの現成を同じ一つのこととして読みました。宗務庁版英訳は「この般若波羅蜜多が現れるとき、仏薄伽梵が現れる」と、時の句として訳しています。また、経文の「出現」を禅師が「現成」の語で受けていると見るかどうかも、読む人にゆだねられています。 -
「問取すべし、参取すべし」【4】
何を、だれに問い、参ずるのかは、原文に示されていません。現代語訳では、上に述べた般若波羅蜜多と仏薄伽梵の現成のことを問い、参ずべし、と取りました。宗務庁版英訳は直前の「仏薄伽梵」を相手と取り、「仏に問い、そのもとで学ぶべきである」という意味に訳しています。目的語を立てずに、聞く人への一般的な勧めとして受けとめることもできます。 -
「奉覲承事の、仏薄伽梵なり」【4】
本山版は「の」と読点を置いた形です。「奉覲承事すること、その行いがそのまま仏薄伽梵である」と読むほか、「(供養礼敬することは)奉覲承事する仏薄伽梵である」、すなわち仕える者がそのまま仏であると読むことも、「奉覲承事される仏薄伽梵である」、すなわち仕えられる側の仏と読むこともできます。宗務庁版英訳は第一の読みで訳し、注で第二の読みに近い切り方もありうるとしています。どの読みでも、行いと、その行いが向けられる仏とが、一つのこととして言われている点は共通しています。
参考#
- 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第二「摩訶般若波羅蜜」
- 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. I・Vol. VIII(Sōtō Zen Text Project、2023)
- 人名・年代・地名の比定、偈と経文の出典、奥書についての説明と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注・解題(Vol. I)と総説(Vol. VIII)によります。