弁道話(八)問答六 即心是仏と正信#
『弁道話』の十八の問答のうち、最後の三つ(問16〜問18)を読む回です。即心是仏の旨を知れば坐禅辦道は要らないのではないか、見聞をきっかけにさとった人は坐禅していたのか、わが国の人でも坐禅して証を得られるのか、という問いに道元禅師が答えます。
原文#
【1】(問16)とふていはく、あるがいはく、仏法には、即心是仏のむねを了達しぬるがごときは、くちに経典を誦せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし。ただ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全円とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず、いはんや坐禅辦道をわづらはしくせんや。
【2】(答16の一)しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こころあらんもの、たれかこのむねををしへんに、しることなからん。
【3】(答16の二)しるべし、仏法は、まさに自他の見をやめて学するなり。もし自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし。
【4】(答16の三)むかし、則公監院といふ僧、法眼禅師の会中にありしに、法眼禅師とふていはく、則監寺、なんぢわが会にありていくばくのときぞ。則公がいはく、われ師の会にはんべりて、すでに三年をへたり。禅師のいはく、なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに仏法をとはざる。則公がいはく、それがし、和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達せり。禅師のいはく、なんぢいかなることばによりてか、いることをえし。則公がいはく、それがし、かつて青峰にとひき、いかなるかこれ学人の自己なる。青峰のいはく、丙丁童子来求火。法眼のいはく、よきことばなり。ただし、おそらくはなんぢ会せざらんことを。則公がいはく、丙丁は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと会せり。禅師のいはく、まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでつたはれじ。
【5】(答16の四)ここに則公、懆悶してすなはちたちぬ。中路にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり、わが非をいさむる、さだめて長処あらん。禅師のみもとにかへりて、懺悔礼謝してとふていはく、いかなるかこれ学人の自己なる。禅師のいはく、丙丁童子来求火と。則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき。
【6】(答16の五)あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己即仏の領解を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。ただまさに、はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとどむることなかれ。仏法の妙術、それむなしからじ。
【7】(問17)とふていはく、乾唐の古今をきくに、あるひはたけのこゑをききて道をさとり、あるひははなのいろをみてこころをあきらむるものあり、いはんや釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし。のみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禅辦道せるもののみならんや。
【8】(答17)しめしていはく、古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、ともに辦道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。
【9】(問18)とふていはく、西天および神丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。蕃夷のしからしむる、うらみざらんや。又このくにの出家人は、大国の在家人にもおとれり。挙世おろかにして、心量狭少なり。ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せんや。
【10】(答18の一)しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となりぬべし。名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、仏法に証入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。仏在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。ただし、正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり。また、癡老の比丘黙坐せしをみて、設斎の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。
【11】(答18の二)また釈教の三千界にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず、人またかならずしも利智聡明のみあらんや。しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる。人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は、仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、仏法を会すべからずとおもふことなかれ。いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし。
現代語訳#
段落番号【1】〜【11】は原文の段落番号と対応します。(問16)〜(答18の二)の小見出しは読みやすさのために付けたもので、原文にはありません(問答の番号は宗務庁版英訳の数え方によります)。( )内は、原文にない語を補ったものです。仏教語・固有名詞は訳さずに残し、必要に応じて段落の後に「語注」として説明しました。前の回までに説明した語は、短く繰り返すか、その回の語注を参照としました。【4】【5】の則公と法眼禅師の問答は、会話の流れがわかるよう、発言ごとに行を分け、話し手を示しました。【9】の、日本を低く見る言い回しは問う人の言葉で、禅師の答えは【10】【11】にあります。訳では、問う人の言葉と禅師の答えが混ざらないよう主語を補いました。
【1】(問16)問うて言う。ある人が言うには、「仏法においては、即心是仏の旨を了達してしまった(ような)者は、口に経典を誦さず、身に仏道を行じなくても、少しも仏法に欠けるところはない。ただ、仏法はもとより自己にあると知る、これを得道の全円とする。このほかに、さらに他人に向かって求めるべきものではない。まして坐禅辦道に骨を折る(必要など)あろうか」と。
語注
- とふていはく:問うて言う。問いの段の書き出しの語(本書第三回の語注参照)。
- あるがいはく:ある人が言うには。問う人が、自分の考えとしてではなく、世にある説として持ち出している。どこまでが「ある人」の言葉かには幅があるが、訳では全体を「 」に入れた。
- 即心是仏:この心がそのまま仏である、の意(本書第四回の語注参照)。宗務庁版英訳の注は、馬祖道一の言葉とされる名高い語で、道元禅師の真字『正法眼蔵』(第278則)ほか多くの禅籍に引かれる、とする(宗務庁版英訳による)。正法眼蔵には「即心是仏」の巻がある。ここでは問う人(ある人)がこの語を、「わかってしまえば修行は要らない」という説の根拠として用いている。
- むねを了達す:旨(趣旨)をすっかり理解する。
- 経典:お経。
- 誦す:(お経などを)声に出して読む、となえる。
- 得道の全円:得道(道を得ること、さとり)の完全なすがた。得道のすべて、欠けるところのない得道。
- 坐禅辦道:坐禅して仏道に力を尽くすこと(本書第三回の語注参照)。
- わづらはしくす:わずらわしく骨を折る、苦労して行う。「いはんや…せんや」は「まして…しようか(する必要はない)」という反語。
【2】(答16の一)示して言う。この言葉は、まったくはかない(取るに足らない)。もしおまえの言うとおりであるならば、心ある者で、この旨を教えられて、知らずにいる者がだれかいるだろうか(だれでもすぐ知ってしまうだろう)。
語注
- しめしていはく:(答える者が)示して言う。答の段の書き出しの語(本書第三回の語注参照)。
- もとも:もっとも、まったく。
- はかなし:頼りない、とりとめがない、根拠のない。
- こころあらんもの:心ある者。ものごとをわきまえる心をもつ者、ふつうの分別のある人。
- 「たれかこのむねををしへんに、しることなからん」:だれが(この旨を)教えたとしても、知らずにいることがあろうか、の意の反語。「知るだけで得道なら、だれでも教えられればすぐ得道してしまう(そんなはずはない)」と、問う人の説の不合理を突く。構文の取り方には幅があるが、趣旨は変わらない。
【3】(答16の二)知るべきである、仏法は、まさに自他の見をやめて学するものである。もし「自己即仏」と知ることをもって得道とするならば、釈尊は昔、化道に骨を折られることはなかったであろう。ひとまず古徳の妙則によって、このことを証(あか)ししよう。
語注
- 自他の見:自(自己)と他(他者)とを分けて立てる見方。ここでは、【1】の「仏法はもとより自己にあり」「他人にむかひてもとむべきにあらず」と、自己と他人とを分けて考えることを受けていると取れる(→読みの分かれるところ)。
- 学す:学ぶ。仏道を学ぶこと。
- 自己即仏:自己がそのまま仏である、という見方。【1】の「即心是仏のむねを了達」「仏法はもとより自己にありとしる」を、禅師が言い換えたもの。
- 化道:人々を教え導くこと、教化(本書第二回の語注参照)。
- わづらふ:苦労する、骨を折る。釈尊が一生をかけて教えを説かれたのは、知るだけで済むことではないからだ、という趣旨。
- 古徳の妙則:古徳(昔の徳の高い祖師)の妙則(すぐれた則。祖師の問答・言行を手本として伝えたもの、いわゆる古則・公案)。ここでは【4】【5】の則公と法眼禅師の問答を指す。
- 証す:ここでは、証拠立てる、あかしをたてる、の意。さとりの意の「証」とは別。
【4】(答16の三)昔、則公監院という僧が法眼禅師の会中にいたとき、法眼禅師が問うて言った。
「則監寺よ、おまえはわが会に来て、どれほどになるか。」
則公が言った。「わたくしは師の会におりまして、すでに三年を経ました。」
禅師が言った。「おまえは後生(若輩)である。どうして一向にわたしに仏法を問わないのか。」
則公が言った。「わたくしは和尚をあざむくわけにはまいりません。かつて青峰の禅師のもとにおりましたとき、仏法において安楽のところを了達いたしました。」
禅師が言った。「おまえは、どのような言葉によって(そこに)入ることができたのか。」
則公が言った。「わたくしは、かつて青峰に問いました、『いかなるかこれ学人の自己なる(修行者であるわたくしの自己とは、どういうものですか)』と。青峰は言いました、『丙丁童子来求火(丙丁童子が来て火を求める)』と。」
法眼が言った。「よい言葉だ。ただし、おそらくおまえは(それを)会得していないであろう。」
則公が言った。「丙丁は火に属します。火をもってさらに火を求める(というのは)、自己をもって自己を求めることに似ている、と会得しました。」
禅師が言った。「まことに(思ったとおりだと)わかった。おまえは会得していなかったのだ。仏法がもしこのようなものであるならば、今日まで伝わってはこなかったであろう。」
語注
- 則公監院:則公という監院の僧。宗務庁版英訳の注は、報恩玄則(生没年不詳)とする(宗務庁版英訳による)。「公」は敬称。
- 監院・監寺:寺の事務・会計を総べる役職。禅院の六知事(寺務を分担する六つの役職)の一つで、「監院」と「監寺」は同じ役を指す(宗務庁版英訳による)。法眼禅師は「則監寺」と、名と役職で呼びかけている。
- 法眼禅師:宗務庁版英訳の注は、法眼文益(886–958)とする(宗務庁版英訳による)。
- 同注は、この話が道元禅師の真字『正法眼蔵』(第122則)に見える漢文の問答を和文にしたもので、出典は『宏智禅師広録』と考えられる、とする(宗務庁版英訳による)。
- 会中:(師のもとに集まって修行する)会(え)の中。師の門下の修行僧の集まりにいること。「わが会」「師の会」も同じ。
- 後生:後から来た者、後輩、若輩。
- つねに:ここでは打ち消しと結んで、「いつも(問わない)」=一度も問いに来ない、の意に取った。
- はんべる:「侍る」。おります、の意のへりくだった言い方。
- それがし:わたくし。
- 和尚:師僧を敬って呼ぶ語。ここでは法眼禅師を指す。
- あざむくべからず:あざむいてはならない、偽りは申せません。正直に申し上げます、という前置き。
- 青峰の禅師:青峰(という所)の禅師。宗務庁版英訳の注は、比定は不確かで、白兆志円(生没年不詳)を指すとする説がある、とする(宗務庁版英訳による)。下の「青峰にとひき」「青峰のいはく」も同じ人を指す。
- 安楽のところ:仏法において安らかで楽しい所、心の落ち着きどころ。則公は、自分はもう仏法の要を得ている、と言っている。
- いることをえし:(その安楽のところに)入ることができた。
- いかなるかこれ学人の自己なる:修行者(であるわたくし)の自己とは、どのようなものですか。「学人」は修行者が自分を指していう語。宗務庁版英訳の注は、この話の別の伝え(『景徳伝灯録』『碧巌録』)では、則公の問いが「如何是仏(仏とはどういうものか)」になっている、とする(宗務庁版英訳による)。
- 丙丁童子来求火:丙丁童子が来て火を求める。「丙」「丁」は十干の第三・第四で、五行の「火」の陽と陰にあたる。「丙丁童子」は、火の神とも、寺の灯火をあつかう童子とも解されてきたとされる。読みは「びょうじょうどうじらいぐか」、また「へいてい」とも(宗務庁版英訳による)。つまり、火そのものである童子が火を求めに来る、という言葉。
- 会す:会得する、理解して自分のものにする。
- 属す:(五行で)…に属する、…にあたる。
- 「火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたり」:則公の理解。火である丙丁童子が火を求めるのは、自己がすでにそのものである自己を(外に)求めるのと同じで、自己はもともと仏なのだから求める必要はない、という趣旨に取れる。禅師が【6】で「自己即仏の領解」と呼んで退けるのは、この理解を指すと取れる(→読みの分かれるところ)。
- まことにしりぬ:本当にわかった。則公の答えを聞いて、先に「おそらくはなんぢ会せざらん」と言ったとおりだったことがわかった、の意に取った。
- けふまでつたはれじ:今日まで伝わってはこなかったであろう。「じ」は打ち消しの推量。
【5】(答16の四)そこで則公は、懆悶して、すぐに(その場を)立ち去った。(しかし)道の途中まで来て思った。
「禅師は天下の善知識であり、また五百人(の修行僧)の大導師である。わたしの誤りをいさめられたのには、きっと長処(すぐれたわけ)があるのだろう。」
(そこで)禅師のもとに帰って、懺悔し礼拝して謝し、問うて言った。「いかなるかこれ学人の自己なる(修行者であるわたくしの自己とは、どういうものですか)。」
禅師が言った。「丙丁童子来求火(丙丁童子が来て火を求める)。」
則公は、この言葉のもとで、大いに仏法をさとった。
語注
- 懆悶:心がいらだち、もだえること。自分の理解を否定されて、腹立たしく思い悩んだ、の意。
- たちぬ:立った、立ち去った。
- 中路:道の途中。
- 善知識:正しく仏道に導く師。ここでは天下に名高いすぐれた師、の意。
- 五百人の大導師:五百人(の修行僧)を導く大いなる師。五百人は多くの門下がいることを言う。
- わが非をいさむる:わたしの非(誤り)をいさめた(戒めた)こと。
- 長処:すぐれたところ、長所。ここでは、禅師の言葉には深いわけがあるにちがいない、の意。
- 懺悔礼謝:(自分の非を)懺悔し、礼拝して詫びること。
- 「いかなるかこれ学人の自己なる」「丙丁童子来求火」:【4】で青峰の禅師との間で交わされたのと同じ問いと同じ答えが、ここで則公と法眼禅師の間で交わされる(→読みの分かれるところ)。
- このことばのしたに:この言葉のもとで。この言葉を聞いたその場で。
- おほきに仏法をさとりき:大いに仏法をさとった。何をさとったかは、本文には示されていない。
【6】(答16の五)(この話で)明らかにわかった、自己即仏という領解によって仏法を知ったというのではない、ということが。もし自己即仏の領解を仏法とするのならば、禅師は先の言葉によって(則公を)導かれなかったであろうし、また、あのようにいましめられるはずもない。ただまさに、初めて善知識に会ったときから、修行の儀則を尋ね問うて、ひたすらに坐禅辦道し、一知半解を心にとどめてはならない。仏法の妙術は、決してむなしくはないであろう。
語注
- あきらかにしりぬ:明らかにわかった。ここでは、則公の話から明らかにわかる、の意。
- 自己即仏の領解:自己がそのまま仏である、という領解(理解)。【4】の則公の「自己をもて自己をもとむるににたり」という理解、また【1】の問う人の説を指す(→読みの分かれるところ)。
- 領解:受けとめて理解すること、そう了解すること。
- さきのことば:先の言葉。【5】で法眼禅師が則公に示した「丙丁童子来求火」の言葉を指すと取った。一度目に則公の理解を退けた言葉を指すと取る読みもある。
- みちびかじ:導かなかったであろう。「じ」は打ち消しの推量。
- しかのごとくいましむ:そのように戒める。【4】で「まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでつたはれじ」と則公の理解を退けたことを指す。
- 咨問:(師に)はかり問うこと、尋ね問うこと。
- 儀則:のり、作法、きまり(本書第三回の語注参照)。
- 一向に:ひたすらに、もっぱら。
- 一知半解:少し知って半分わかること。浅い知識を言う決まった言い方(宗務庁版英訳による)。
- こころにとどむることなかれ:心にとどめてはならない。浅い理解を心にとめて、それで足りたとしてはならない、の意に取った(→読みの分かれるところ)。
- 妙術:たえなるわざ、すぐれた手だて。ここでは坐禅辦道を指すと取れる。
- むなしからじ:むなしくはないであろう。「じ」は打ち消しの推量。
【7】(問17)問うて言う。乾唐の昔と今の(話を)聞くと、あるいは竹の音を聞いて道をさとり、あるいは花の色を見て心を明らめた者がいる。言うまでもなく、釈迦大師は明星を見たときに道を証し、阿難尊者は刹竿が倒れたところで法を明らめた。そればかりでなく、六代より後、五家の間では、一言半句のもとで心地を明らめた者が多い。彼らは必ずしも、かつて坐禅辦道した者ばかりであったろうか。
語注
- 乾唐:インドと中国。宗務庁版英訳の注は、珍しい言い方で、インドを指す「乾土」(ガンダーラ)に由来するのだろう、とする(宗務庁版英訳による)。
- たけのこゑをききて道をさとり、はなのいろをみてこころをあきらむる:宗務庁版英訳の注は、それぞれ、小さなかけらが竹に当たる音を聞いてさとったという香厳智閑の話、桃の花が咲いているのを見てさとったという霊雲志勤の話を思い起こしたものであろう、とする(宗務庁版英訳による)。
- こころをあきらむ:心を明らめる。心(の真実)を明らかにする、さとる。
- いはんや:ここでは「まして」「言うまでもなく」。
- 釈迦大師:釈尊。
- 明星をみしとき道を証し:釈尊が明けの明星を見て成道されたことを言う。
- 阿難尊者:釈尊の弟子。宗務庁版英訳の注に引かれる問答では「二祖阿難尊者」と呼ばれ、迦葉尊者に問う人として出る。
- 刹竿のたふれしところに法をあきらめし:刹竿は寺の門前に立てる旗竿(注に引かれる問答の「門前刹竿」)。宗務庁版英訳の注は、阿難が迦葉に「金襴の袈裟を伝えられたほかに、何を伝えられたのか」と問い、迦葉が「阿難」と呼び、阿難が応じると、迦葉が「門前の刹竿を倒せ」と言い、阿難が大悟した、という問答(道元禅師の真字『正法眼蔵』第169則)を指すとする(宗務庁版英訳による)。
- 六代:(達磨から慧能までの)六代の祖師、の意に取った。「六代よりのち」は六祖慧能より後。
- 五家:六祖以後の禅に生まれた五つの家風(潙仰・臨済・曹洞・雲門・法眼)。
- 一言半句のしたに:一言や半句のもとで。わずかな言葉を聞いたその場で。
- 心地:心。心を、万物を生み育てる大地にたとえた語(本書第四回の語注参照)。
- 「かれらかならずしも…のみならんや」:彼らが必ずしも坐禅辦道した者ばかりではあるまい、という反語。坐禅によらず、見たり聞いたりしたことをきっかけにさとった者もいるではないか、という問い。
【8】(答17)示して言う。昔も今も、色を見て心を明らめ、声を聞いて道をさとった当人は、だれもみな、辦道において擬議量がなく、直下に第二人がないということを知るべきである。
語注
- 見色明心・聞声悟道:色(見えるもの)を見て心を明らめ、声(聞こえる音)を聞いて道をさとること。【7】の「はなのいろをみてこころをあきらむる」「たけのこゑをききて道をさとり」を、漢語の四字句にまとめたもの。
- 当人:その人自身。
- 辦道:仏道に力を尽くすこと(本書第五回の語注参照)。
- 擬議量:宗務庁版英訳の注は、珍しい語の組み合わせで、正法眼蔵ではほかに「十方」の巻にのみ見え、英訳は仮のものとする。「擬議」は、何か言おうとしてためらう、思いはかる、の意のよく使われる語で、「量」は「思量」(考えはかること)、あるいは「商量」(あれこれ論じ合うこと)の意に取れるか、とする(宗務庁版英訳による)。訳は原文の語を残した。ここでは、辦道において、ためらい・思いはかり・はからいがない、の意に取れる(→読みの分かれるところ)。
- 直下に第二人なき:直下(ただちに、その場で、まさにそこ)に第二人(二人目の者、ほかの誰か)がない。宗務庁版英訳の注は、この語は正法眼蔵「仏性」の巻にも見え、『仏照禅師奏対録』(『古尊宿語録』所収)の「直下更無第二人」をふまえるようだ、とする(宗務庁版英訳による)。訳は原文の語を残した(→読みの分かれるところ)。
【9】(問18)問うて言う。西天および神丹国は、人がもとより質直である。中華(の地であること)がそうさせるので、仏法を教化すると、たいへん早く会入する。わが国は、昔から人に仁智が少なくて、正種が積もりにくい。蕃夷(であること)がそうさせているのは、うらめしいことではないか。また、この国の出家人は、大国の在家人にも劣っている。世をあげて愚かで、心量が狭く小さい。深く有為の功に執着して、事相の善を好む。このような者たちが、たとえ坐禅するといっても、ただちに仏法を証得できるだろうか。
語注
- この段落は全体が問う人の言葉である。日本の人を仁智が少ない、蕃夷である、出家人も大国の在家人に劣る、世をあげて愚かである、などと低く見る言い回しは、問う人の見方として述べられている。禅師の答えは【10】【11】。
- 西天・神丹国:インドと中国(本書第一回の語注参照)。
- 質直:飾り気がなく、まっすぐで正直なこと。
- 中華:文明の中心の地。宗務庁版英訳の注は、ふつうは中国だけを指す語で、ここでインドも含めているのかははっきりしない、とする(宗務庁版英訳による)。
- しからしむる:そうさせる。
- 会入:会得して(仏法に)入ること、理解して受け入れること。
- 我朝:わが国、日本。
- 仁智:仁(思いやり、徳)と智(知恵)。
- 正種:正しい種。宗務庁版英訳の注は、真の法を理解する業(素質、そなわった力)、あるいはそうした人を言うのであろう、とし、【11】の「般若の正種」にもこの語が出る、とする(宗務庁版英訳による)。
- つもりがたし:積もりにくい。育ちにくい、たくわえられにくい。
- 蕃夷:中華から見て、その外に住む異民族(いわゆる野蛮な民)を言う語(宗務庁版英訳による)。ここでは問う人が、日本を中華の外の辺地の国として言っている。
- うらみざらんや:うらめしく思わないでいられようか。残念でならない、の意の反語。
- 大国:大いなる国。ここではインド・中国を指す。
- 在家人:出家せずに家にある人、在家の信者。
- 挙世:世をあげて、世の中こぞって。
- 心量:心の度量、心の広さ。
- 狭少:狭く小さいこと。
- 有為の功:有為(因縁によって作られたもの、作為によるもの)の功徳。形に現れる善行の功績。
- 事相の善:事相(形に現れたこと、外のすがた)の上の善。うわべの善。
- たちまちに:すぐに、ただちに。
- 証得:さとり得ること(本書第三回の語注参照)。
【10】(答18の一)示して言う。(おまえの)言うとおりである。わが国の人は、まだ仁智があまねく行きわたっておらず、人はまた迂曲(ひねくれて素直でない)である。たとえ正直の法を示しても、甘露がかえって毒となってしまうだろう。名利にはおもむきやすく、惑執はとけにくい。そうではあるけれども、仏法に証入することは、必ずしも人天の世智をもって出世の舟航とするのではない。仏の在世にも、手毬によって四果を証した者や、袈裟をかけて大道を明らめた者は、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類であった。ただ、正信が助けるところ、迷いを離れる道がある。また、癡老の比丘が黙って坐っているのを見て、設斎の信女がさとりを開いたのは、智によらず、文によらず、言葉を待たず、語りを待たず、ただ正信に助けられたのである。
語注
- いふがごとし:(おまえの)言うとおりである。禅師は問う人の言う日本の現状をいったん認めたうえで、「しかはあれども」以下で、それが仏法に証入できない理由にはならない、と答える(→読みの分かれるところ)。
- わがくにの人:ここからは禅師の言葉。
- あまねし:広く行きわたっている。
- 迂曲:まわりくどく曲がっていること。まっすぐでない、ひねくれている。問う人の「質直」と対になる。
- 正直の法:正しくまっすぐな法。仏法。
- 甘露:天の不死の妙薬、甘い霊液。仏法のたとえ。
- 甘露かへりて毒となりぬべし:受ける側が曲がっていると、よい教えもかえって害になってしまうだろう、の意。
- 名利:名誉と利益(本書第三回の語注参照)。
- 惑執:宗務庁版英訳の注は、正法眼蔵ではあまり見ない語で、「迷惑執著」(迷いと執着)、あるいは「疑惑執著」(疑いと執着)の意に取れるか、とする(宗務庁版英訳による)。
- とらけがたし:とろけにくい、とけにくい。
- 証入:さとりに入ること。
- 人天の世智:人間や天上の者の世間の知恵。
- 出世の舟航:出世(世間を超え出ること、迷いの世界を出ること)のための舟、渡し。仏法に入るのに、世間の知恵を舟とするのではない、の意。
- 仏在世:仏(釈尊)がこの世におられたとき。
- てまりによりて四果を証し:手毬によって四果を証した(者)。宗務庁版英訳の注は、年老いた比丘が毬を当てられて阿羅漢となったという話(『雑宝蔵経』)を指すとし、正法眼蔵「大悟」の巻の真福寺本にもこの話がふまえられている、とする(宗務庁版英訳による)。
- 四果:声聞(教えを聞いて修行する者)の修行の四段階の果(さとり)。その四番目、最後の段階である阿羅漢果を指す(宗務庁版英訳による)。
- 袈裟をかけて大道をあきらめし:袈裟をかけて大道を明らめた(者)。宗務庁版英訳の注は、仏弟子の蓮華色比丘尼(ウッパラヴァンナー)の話で、前世に遊女であったとき、戯れに比丘尼の衣を着けた因縁によって、のちに六神通をそなえた阿羅漢となった、とする。『大智度論』に見え、道元禅師は正法眼蔵「袈裟功徳」「出家功徳」の巻でこれを引く、とされる(宗務庁版英訳による)。
- 愚暗のやから、癡狂の畜類:愚かで暗い者たち、愚かで狂った畜生のたぐい。世間の知恵の上ではまったく取るに足りない者、と強く言ったもの。「畜類」をどこまで文字どおりに取るかには幅がある。
- 正信:正しい信(本書第三回の語注参照)(→読みの分かれるところ)。
- まどひをはなるるみち:迷いを離れる道。
- 癡老の比丘:愚かな年老いた比丘(出家の男性修行者)。
- 設斎の信女:斎(僧への食事)を設けて供養した信女(在家の女性信者)。宗務庁版英訳の注は、次のような話(『雑宝蔵経』)とする。ある在家の女性が愚かな老比丘を食事に招き、そのあと教えを請うて、目を閉じて坐して待った。比丘は説くことがなく、黙って去った。女性は静かに坐したまま、有為の法の三相を自ら観て、声聞の初果を得た(宗務庁版英訳による)。
- 黙坐:黙って坐ること。
- 智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず:知恵によらず、文字によらず、言葉を必要とせず、語り(説明)を必要とせず。
- 正信にたすけられたり:正信に助けられたのである。「正信によって救われた」と取ることもできる。
【11】(答18の二)また、釈教が三千界に広まったのは、わずか二千余年ほどのことである。刹土はさまざまであって、必ずしも仁智の国ばかりではない。人もまた、必ずしも利智聡明の者ばかりであろうか(そうではない)。そうではあるけれども、如来の正法は、もとより不思議の大功徳力をそなえていて、時が至れば、その刹土に広まる。人がまさしく正信して修行するならば、利・鈍を分かたず、等しく得道するのである。わが国は仁智の国ではなく、人の知解が愚かであるからといって、仏法を会得することはできない、と思ってはならない。まして、人はみな般若の正種が豊かである。ただ(それを)承当することがまれで、受用することがまだ(十分で)ないだけなのであろう。
語注
- 釈教:釈尊の教え、仏教。
- 三千界:三千大千世界の略。一つの須弥山を中心とする世界の十億倍にあたる世界で、一仏の教化の及ぶ範囲とされる(宗務庁版英訳による)。
- 二千余年の前後:二千余年ほど。仏教が(釈尊以来)広まってきた年数を言う。どこから数えるかには幅がある。
- 刹土:国土、国。仏の教えの及ぶ国々。
- しなじななる:さまざまである。
- 利智聡明:鋭い知恵があり、かしこいこと。
- 如来の正法:仏(如来)の正しい法。
- 不思議の大功徳力:思いはかることのできない、大いなる功徳の力。
- ときいたれば:時が至れば、時機が熟せば(本書第五回の語注「時節」参照)。
- 正信修行:正信して修行すること。正しい信によって修行すること(→読みの分かれるところ)。
- 利鈍:機根(教えを受けとめる資質)のすぐれた者と、にぶい者(本書第四回の語注参照)。
- 得道:道を得ること、さとりを得ること(本書第三回の語注参照)。
- 知解:知的な理解、理解力。
- 会す:会得する、理解する。
- いはんや:ここでは「まして」「そのうえ」。
- 般若の正種:般若(仏の智慧)の正しい種。【9】で問う人が「正種つもりがたし」と言ったのを受けて、人はみなその種をゆたかにそなえている、と言う(宗務庁版英訳による)。
- 承当:引き受けて、わがものとすること。まさにそれとうなずくこと(本書第四回の語注参照)。
- 受用:受けて用いること(本書第四回の語注参照)。
- いまだしき:まだ(十分で)ない。
- ならし:「…であるらしい」「…なのであろう」という推定の言い方(→読みの分かれるところ)。
解説#
はじめに――問11〜問15から、問16〜問18へ#
前回の段(問11〜問15)では、坐禅を始めようとする人が抱く、ごく具体的な不安が一つずつ取りあげられました。戒を守れていない。ほかの行もしている。出家していない。世の務めに忙しい。時代が末の世である。禅師はそのどれに対しても、坐禅の門を閉ざすことなく、しかも坐禅をゆるがせにすることなく答えておられました。そして最後の問15では、「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし」(本書第七回)と、証を得たかどうかは、水の冷たさ暖かさのように、修する人が自ら知ることだ、と示されました。
今回の段は、弁道話の十八の問答の、最後の三つの問答です。
- 【1】〜【6】(問16・答16の一〜五) 「即心是仏」の旨をわかってしまえば、坐禅辦道は要らないのではないか
- 【7】【8】(問17・答17) 竹の声を聞き、花の色を見てさとった人々は、必ず坐禅辦道していたと言えるのか
- 【9】〜【11】(問18・答18の一・二) インドや中国の人とちがって、わが国の人が坐禅しても、すぐに証を得られるだろうか
前回の五つの問いが、「自分には坐禅をする条件がそろっていないのではないか」という、いわば外側の条件についての不安から出ていたとすれば、今回の三つの問いは、少し向きが変わります。
問16は、「わかってしまえば、坐る必要はないのではないか」という問いです。坐禅の必要そのものを、仏法の理解の側から問うものです。問17は、「坐禅によらずにさとった人もいるではないか」という問いで、これも坐禅の必要を、祖師たちの例から問うものです。そして問18は、ふたたび坐る人の側に目を向けて、「わが国の人のような者でも、坐禅して証を得られるのか」と、人の資質を問います。
こうして並べてみると、この三つの問いは、弁道話の問答全体をしめくくるにふさわしいものに思われます。理解があれば坐禅は要らないのではないか。きっかけがあれば坐禅は要らないのではないか。資質がなければ坐禅しても無駄ではないか。いずれも、坐禅を勧められたときに、私たちの心のどこかに浮かんでくる問いでしょう。禅師は、この三つにどう答えておられるのか。一つずつ、ゆっくりと読んでいきたいと思います。
問16「即心是仏と知れば修行は要らないのではないか」〔答16の一〜五〕#
問う人の問い(【1】)#
「とふていはく、あるがいはく、仏法には、即心是仏のむねを了達しぬるがごときは、くちに経典を誦せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし」(原文【1】)。
問うて言う。ある人が言うには、仏法においては、即心是仏の旨をすっかり理解してしまった者は、口にお経を誦さず、身に仏道を行じなくても、少しも仏法に欠けるところはない、と。
問う人はさらに続けます。
「ただ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全円とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず、いはんや坐禅辦道をわづらはしくせんや」(原文【1】)。
ただ、仏法はもとより自己にある、と知る。これを得道の完全なすがたとする。このほかに、さらに他人に向かって求めるべきものではない。まして、坐禅辦道に骨を折る必要などあろうか、と。
「くちに経典を誦せず」は、口にお経を誦さなくても、ということです。
まず心にとめておきたいのは、この説が、問う人が「あるがいはく」、ある人が言うには、と断って持ち出している説だということです。問う人が自分の考えとして言っているのか、世にある説として取り次いでいるのか、またどこまでが「ある人」の言葉なのかには、読み方の幅があります。けれども、いずれにしても、これは禅師の説ではありません。禅師は、この説を取りあげて、次の段落から退けていかれます。
「即心是仏」は、この心がそのまま仏である、という意味の言葉です。宗務庁版英訳の注では、馬祖道一の言葉とされる名高い語で、道元禅師の真字『正法眼蔵』ほか多くの禅籍に引かれる、とされています。そして、正法眼蔵には「即心是仏」という名の巻もあります。宗門にとって、たいへん大切な言葉です。
問う人(あるいは「ある人」)は、その大切な言葉を、ある結論の根拠として用いています。この心がそのまま仏であるのなら、仏法はもともと自分の中にある。そうであれば、それを知りさえすればよい。お経を読むことも、仏道を行ずることも、ほかの人に教えを求めることも、まして坐禅辦道に骨を折ることも要らない、と。
この論の運びは、一見すると筋が通っているように聞こえます。そして、この問いの形は、今の私たちにとっても決して遠いものではありません。「本来の自分に気づけばよい」「答えはすでに自分の中にある」といった言葉は、今もよく耳にします。そう聞けば、わざわざ時間を取って坐ることは、回り道のようにも思えてくるでしょう。問16は、そうした考えを、はっきりとした形で差し出しているのです。
前の問答二(本書第四回)でも、問う人は、「即心是仏、是心作仏といふて、多劫の修行をふることなく、一座に五仏の正覚をとなふ」という教えを挙げて、なぜ坐禅だけを勧めるのか、と問うていました。長い修行を経ずにすむ、という形で「即心是仏」の語が持ち出されるのは、弁道話の中でこれが二度目です。前回は他の教えの説として、今回は「ある人」の説として。どちらの問いにも、「即心是仏」を修行の要らない理由として受けとる考え方が、背景にあるように見えます。
このことば、もともはかなし(【2】答16の一)#
禅師の答えは、まず短く、きっぱりと始まります。
「しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こころあらんもの、たれかこのむねををしへんに、しることなからん」(原文【2】)。
この言葉は、まったく取るに足りない。もしおまえの言うとおりであるならば、心ある者で、この旨を教えられて、知らずにいる者がだれかいるだろうか、と。
「はかなし」は、頼りない、根拠がない、という意味です。宗務庁版英訳もこの一句を「まったく根拠がない」という方向で訳しています。禅師は、この説をはっきりと退けておられます。
続く一文の構文には、少し読み方の幅があります。けれども、趣旨はどちらの読みでも同じです。もし「仏法はもとより自己にある」と知ることが得道のすべてであるならば、心ある者なら、だれかにその旨を教えてもらえば、すぐに知ってしまうだろう。そうなれば、この言葉を聞いた人は、だれもがその場で得道してしまうことになる。そんなことがあるだろうか、と。
これは、たいへん平明な、しかし鋭い反論です。「この心がそのまま仏である」という言葉は、聞けばすぐに覚えられます。意味も、言葉の上では、それほど難しいものではありません。もし、この言葉を知ることがそのまま得道であるならば、この言葉を聞いたことのある人は、みな得道していることになるでしょう。けれども、実際はそうではない。そのことは、問う人自身も、心のどこかで知っているはずです。
私たちの身に引き寄せてみると、この反論はいっそうよくわかります。たとえば、「怒りは自分の心を苦しめる」ということは、多くの人が知っています。けれども、知っているからといって、怒りが起こらなくなるわけではありません。「今この時を大切に」という言葉も、よく知られた言葉です。それでも私たちは、つい過ぎたことを悔やみ、先のことを思いわずらいます。言葉として知っていることと、そのように生きていることとの間には、大きなへだたりがあります。禅師の反論は、そのへだたりを、ごく平易な言葉で指し示しているように思われます。
自他の見をやめて学する(【3】答16の二)#
禅師は続けて、仏法とはどのようなものであるかを示されます。
「しるべし、仏法は、まさに自他の見をやめて学するなり」(原文【3】)。
知るべきである、仏法は、まさしく自他の見をやめて学するものである、と。
この一句は、この問答の中心にかかわる、大切な、そして読み方の難しい一句です(→読みの分かれるところ)。
まず「自他の見」です。自己と他者とを分けて立てる見方、と取るのが一つの読み方です。問う人は、「仏法はもとより自己にありとしる」「他人にむかひてもとむべきにあらず」と言いました。自己と他人とを分けて、仏法は自己の側にある、だから他人に求める必要はない、と。禅師の「自他の見」は、この「自己」と「他人」との分け方を受けている、と読むことができます。そのほか、自己と仏とを分けて考える見方と取ることも、自分の見解・他人の見解といった、あれこれの見解一般と取ることもできるでしょう。
次に「やめて学する」です。自他の見をやめて、そのうえで学ぶ、と取ることもできますし、自他の見をやめることを学ぶ、と取ることもできます。また、学ぶことがそのまま自他の見をやめることである、と受けとめることもできるでしょう。
どの読み方を取るにしても、ここで心にとめたいのは、禅師が「仏法は…学するなり」と言っておられることです。仏法は、知って終わるものではなく、学するものである。しかも、その学び方は、「自己」を立て、「他人」を立てる見方のうえに成り立つものではない、と。
問う人の説は、「自己」の中に仏法があり、それを「知る」ことで得道が完成する、というものでした。そこでは、知る「自己」と、知られる「仏法」とが、はっきりと立てられています。禅師の言われる「自他の見をやめて学する」は、そのような立て方そのものを問い直すものとして読むこともできるかもしれません。「自己」を立てることがすでに「自他の見」の一つであるとすれば、「自己がそのまま仏である」と知ることも、その見のうちにとどまっている、ということになるでしょう。ただ、これは一つの読み方であって、本文がそこまで言い切っているわけではありません。
そして禅師は、もう一つの理由を挙げられます。
「もし自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道にわづらはじ」(原文【3】)。
もし「自己がそのまま仏である」と知ることをもって得道とするならば、釈尊は昔、人々を教え導くことに骨を折られることはなかったであろう、と。
釈尊は、成道ののち、生涯をかけて人々を教え導かれました。もし「自己即仏」と知ることが得道のすべてであるならば、そのことを一言告げれば済んだはずです。けれども釈尊は、そうはなさらなかった。一人ひとりに向き合い、長い年月をかけて、教えを説き、修行の道を示された。そのこと自体が、知るだけでは得道にならないことの証しである、と禅師は言われるのです。
ここで禅師が、問う人の言う「即心是仏のむね」「仏法はもとより自己にありとしる」を、「自己即仏」という言葉で言い表しておられることにも、心をとめておきたいと思います。この言い換えにどれほどの意味を読むかは、あとで【6】を読むときに、もう一度考えます。
「しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし」(原文【3】)。
ひとまず、古徳のすぐれた則によって、このことを証ししよう、と。ここで禅師は、理屈で論じ合うことをいったん置いて、一つの古い問答を引いてこられます。
則公監院と丙丁童子来求火(【4】【5】答16の三・四)#
引かれるのは、法眼禅師とその門下にいた則公監院という僧との問答です。宗務庁版英訳の注では、法眼禅師は法眼文益(886–958)、則公は報恩玄則(生没年不詳)とされ、この話は道元禅師の真字『正法眼蔵』に見える漢文の問答を和文にしたもの、とされています。監院は、寺の事務を総べる役職の一つです。
話の流れを、たどってみましょう。
法眼禅師が則公に尋ねます。「おまえはわが会に来て、どれほどになるか」。則公は答えます。「師の会におりまして、すでに三年を経ました」。禅師は言います。「おまえは後生(後輩)である。どうして一度もわたしに仏法を問わないのか」。
三年もの間、師のもとにいながら、一度も仏法を問いに来ないのはなぜか、と禅師は尋ねておられるのです。
則公は答えます。「それがし、和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達せり」(原文【4】)。わたくしは和尚をあざむくわけにはまいりません。かつて青峰の禅師のもとにおりましたとき、仏法において安楽のところをすっかり了達いたしました、と。
「青峰の禅師」は、青峰という所にいた禅師、ということです。宗務庁版英訳の注では、この人物の比定は不確かで、白兆志円を指すとする説がある、とされています。この解説では、この方を「青峰の禅師」と呼んでおきます。
則公の答えは、自分はすでに仏法の要を得てしまった、だから、あらためて問うことがないのです、というものです。
法眼禅師は重ねて尋ねます。「どのような言葉によって、そこに入ることができたのか」。則公は答えます。「かつて青峰にとひき、いかなるかこれ学人の自己なる。青峰のいはく、丙丁童子来求火」(原文【4】)。わたくしはかつて青峰の禅師に、「修行者であるわたくしの自己とは、どういうものですか」と問いました。青峰の禅師は、「丙丁童子来求火(丙丁童子が来て火を求める)」と言われました、と。
「丙」「丁」は十干の第三・第四で、五行の「火」にあたります。宗務庁版英訳の注では、「丙丁童子」は火の神とも、寺の灯火をあつかう童子とも解されてきた、とされています。火そのものである童子が、火を求めてやってくる。そういう言葉です。
また、同じ注によれば、この話の別の伝えでは、則公の問いは「如何是仏(仏とはどういうものか)」となっているそうです。弁道話では、その問いが「いかなるかこれ学人の自己なる」、修行者であるわたくしの自己とは何か、という形で引かれています。問16の主題が「自己」と「仏」とのかかわりであることを思うと、この形で引かれていることには、心をとめておいてよいかもしれません。ただ、禅師がどの伝えによってこの話を引かれたのかは、本文からはわかりませんので、ここではそのことを指摘するにとどめます。
法眼禅師は言います。「よきことばなり。ただし、おそらくはなんぢ会せざらんことを」(原文【4】)。よい言葉だ。ただ、おそらくおまえは、それを会得していないであろう、と。
禅師は、青峰の禅師の言葉そのものを退けてはおられません。「よきことばなり」、よい言葉だ、と認めておられます。問われているのは言葉ではなく、それを則公がどう受けとったか、です。
則公は、自分の理解を述べます。「丙丁は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと会せり」(原文【4】)。丙丁は火に属します。火でありながら、さらに火を求める。それは、自己でありながら自己を求めるのに似ている、と会得しました、と。
つまり則公は、こう受けとったのでしょう。火である童子が火を求めるのは、すでに自分がそのものであるのに、それを外に求めるようなものだ。自己はもともと仏なのだから、自己を求める必要はない、と。そう取るならば、これは、問16の「ある人」の説と、よく似た理解だと言えます。
すると法眼禅師は言われます。「まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでつたはれじ」(原文【4】)。やはりそうだった。おまえは会得していなかったのだ。仏法がもしそのようなものであるならば、今日まで伝わってはこなかったであろう、と。
ここで法眼禅師は、仏法がもしそのようなものであれば、今日まで伝わってはこなかった、と言われます。この言葉は、【3】の「釈尊むかし化道にわづらはじ」とも響きあっています。自己がもともと仏だと知れば済むのであれば、釈尊が骨を折って教えを説かれることも、師から弟子へと代々法が伝えられてくることも、なかったであろう。仏法が今日まで伝わってきたのは、それが、知って済むようなものではなかったからだ、と受けとめることができるでしょう。
さて、ここから話は大きく動きます。
「ここに則公、懆悶してすなはちたちぬ」(原文【5】)。
則公は、心がいらだち、もだえて、すぐにその場を立ち去りました。了達したとしていた理解を、師に退けられたのです。
けれども、則公は、そこで終わりませんでした。
「中路にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり、わが非をいさむる、さだめて長処あらん」(原文【5】)。
道の途中まで来て、思いました。禅師は天下に名高い善知識であり、また五百人の修行僧を導く大導師である。わたしの誤りをいさめられたのには、きっと深いわけがあるにちがいない、と。
この「中路」でのひと思いに、この話の大切な転回点があるように思われます。則公は、途中で立ちどまり、師の言葉をもう一度受けとめ直しました。自分の理解のほうではなく、師の言葉のほうに、わけがあるのではないか、と。
「禅師のみもとにかへりて、懺悔礼謝してとふていはく、いかなるかこれ学人の自己なる。禅師のいはく、丙丁童子来求火と」(原文【5】)。
則公は禅師のもとに戻り、自らの非を懺悔し、礼拝して詫び、そして問いました。「修行者であるわたくしの自己とは、どういうものですか」。禅師は言われました。「丙丁童子来求火」。
「則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき」(原文【5】)。
則公は、この言葉のもとで、大いに仏法をさとった、と。
同じ問い、同じ答え――何が変わったのか#
この話で、誰もが不思議に思うのは、二度目の問答が、一度目とまったく同じ言葉で交わされていることでしょう。則公の問いは、「いかなるかこれ学人の自己なる」。一字も変わりません。そして答えも、「丙丁童子来求火」。これも一字も変わりません。同じ問いに同じ答えが返されて、一度目には「会せざりけり」と退けられた則公が、二度目には「おほきに仏法をさとりき」とされるのです。
では、則公は二度目に、何をさとったのか。
実は、本文はそのことを語っていません。本文にあるのは、「このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき」という一文だけです。則公がさとった内容を、この解説で言葉にして補うことは、本文にないことを付け加えることになりますので、控えたいと思います。
そのうえで、本文から確かに読みとれることを、いくつか挙げてみます(→読みの分かれるところ)。
一つは、答える人が変わったことです。一度目は青峰の禅師、二度目は法眼禅師です。
もう一つは、問う則公の立場が変わったことです。一度目の問答について則公が語るとき、則公は、すでに「安楽のところを了達せり」と思っている人でした。二度目に問うとき、則公は、その了達を師に否定され、いらだち、それでも中路で思い直し、自らの非を懺悔し、礼拝して詫びた人です。
そしてもう一つは、言葉の受けとり方が変わったことです。一度目について、則公は「丙丁は火に属す。…と会せり」と、言葉を解釈し、その解釈をもって会得したとしていました。二度目については、本文は「このことばのしたに」、この言葉のもとで、その場で、と言います。解釈を述べる言葉は、そこにはありません。
この変化をどう受けとめるかには、いくつもの読み方があります。同じ言葉でも、自分の理解として握っていたものが打ち砕かれ、全身で師に問うたとき、その言葉がそのままさとりとなった、と、問う者のあり方の変化に重きを置いて読むこともできます。同じ言葉でも、正しい師がじかに示すことで、そのはたらきが異なる、と、師から弟子へ伝わることの重みを読むこともできます。また、一度目の解釈の中身そのものが誤りだったのか、それとも、その解釈を「わかった」として心にとどめてしまったことが退けられたのか、という点でも、読み方が分かれます。
どの読み方を取るにしても、この話が私たちに示しているものの一つは、「わかった」と思ったところで止まってしまうことの危うさでしょう。則公は、一つの了達を得たとして、法眼禅師の会中での三年の間、あらためて問うことをしませんでした。その「安楽のところ」が、かえって則公の歩みを止めていた、と受けとめることもできるように思います。
そして、もう一つは、則公が、師の言葉に向かってもう一度戻っていったことです。いらだちの中で、それでも「さだめて長処あらん」と思い直し、懺悔し、礼を尽くして、あらためて問う。私たちの日々の中でも、自分の考えを否定されたとき、腹を立てて背を向けてしまうことは少なくありません。そこでいったん立ちどまり、相手の言葉のほうにわけがあるかもしれない、と受けとめ直す。則公の「中路」は、修行の道のりの中にも、日々の暮らしの中にも、何度となく訪れるものではないでしょうか。
自己即仏の領解をもて仏法をしれりといふにはあらず(【6】答16の五)#
この話を引いたうえで、禅師はこう結論されます。
「あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを」(原文【6】)。
この話で明らかにわかった。自己がそのまま仏である、という領解によって、仏法を知った、というのではない、ということが、と。
「もし自己即仏の領解を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず」(原文【6】)。
もし、自己即仏という領解を仏法とするのであれば、法眼禅師は先の言葉によって則公を導かれなかったであろうし、また、あのようにいましめられるはずもない、と。
「さきのことば」が、二度目に示された「丙丁童子来求火」を指すのか、一度目に則公を否定した言葉を指すのかには、読み方の幅があります。二度目の言葉と取れば、自己即仏の領解が仏法であるならば、則公の最初の理解で足りていたのだから、あらためて同じ言葉で導く必要はなかったはずだ、ということになります。一度目の言葉と取れば、自己即仏の領解が仏法であるならば、禅師がそれを否定するような言葉を言われるはずはない、ということになります。どちらに取っても、法眼禅師が則公の「自己をもて自己をもとむるににたり」という理解で終わらせなかったことが、禅師の結論の根拠となっています。
ここで、この問答の中でもっとも慎重に読まなければならない点に、ふれておきたいと思います。禅師がここで退けておられるのは、いったい何なのか、ということです(→読みの分かれるところ)。
本文の言葉は、「自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらず」です。「自己即仏」という言葉をそのまま退けているのではなく、「自己即仏の領解」、つまり、自己がそのまま仏である、と頭で受けとめて理解したことをもって、仏法を知ったとすることを退けている、と読むことができます。この読み方では、退けられているのは、「自己即仏」という中身ではなく、それを領解として手にし、それで仏法を知った、もう修行は要らない、とすることのほうです。
一方で、「自己即仏」という見方そのもの、つまり、「自己」を立てて、それを仏とする見方そのものが退けられている、と読むこともできます。この読み方は、先の【3】の「自他の見をやめて学する」とつながるものです。
この二つの読み方のどちらを取るかは、この解説では決めずにおきます。ただ、どちらの読み方にも共通していることがあります。それは、この問答の主眼が、「知る(領解する)ことで足り、修行は要らない」という説を退けることにある、ということです。そのことは、この段落の結びが、次に見るように「一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとどむることなかれ」となっていることからも、はっきりとうかがえます。
「即心是仏」の巻とのかかわりについて#
宗門の読者として、ここで心にとめておきたいことがあります。前の問答二(本書第四回)でもふれたように、「即心是仏」は、正法眼蔵の巻の名でもあるということです。
問答二で、禅師は「即心即仏のことば、なほこれ水中の月なり」(本書第四回)と言われていました。そのとき、この解説では、この言葉が「即心是仏」という語そのものを退けている、と読むのは早計であろうとし、言葉の巧みさにとらわれて、それを手にしたつもりになってはならない、という点を受けとめました。そして、その問題は、弁道話のこの問答を読むときに、あらためて扱いたい、としておきました。
そこで、「即心是仏」の巻の言葉を、いくつか短く見ておきます。巻は、次のように始まります。
「仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり」(正法眼蔵「即心是仏」巻)。
仏祖たちがみな保ち任じてきたのは、即心是仏のみである、と。
そして、すぐあとに、こう述べられます。
「いはゆる即心の話をききて癡人おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるを、すなはち仏とすとおもへり。これはかつて正師にあはざるによりてなり」(正法眼蔵「即心是仏」巻)。
また、巻の後半には、次のような言葉もあります。
「しかあればすなはち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは、即心是仏にあらず」(正法眼蔵「即心是仏」巻)。
こうして並べてみると、「即心是仏」の巻では、この語の誤った受けとり方が退けられ、また、発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず、と言われています。これを、この語を発心・修行と切り離して受けとることを退けたもの、と読むことができるでしょう。そうであれば、弁道話のこの問答で退けられているのも、「即心是仏」という語そのものではなく、その語を、修行の要らない理由として受けとる受けとり方のほうである、と読む余地があるでしょう(→読みの分かれるところ)。
また、問う人は【1】で「即心是仏のむね」と言い、禅師は【3】【6】でそれを「自己即仏」と言い表しておられます。問う人の受けとり方を、禅師が「自己即仏」と言い表されたのだ、と見ることもできますし、禅師が意識して語を変え、「即心是仏」の語を退ける形にならないようにしておられる、と見ることもできます。
ただし、弁道話と「即心是仏」の巻との関係、たとえば両者の成立の前後や、禅師がどのような意図でこの二つを語られたかについては、この段の本文から決めることはできません。ここでは、両者の言葉を並べて示すにとどめ、それ以上のことは、「即心是仏」の巻を読むときに、あらためて丁寧に考えたいと思います。
どの読み方を取るにしても、宗門の立場から確かに言えることは、弁道話の序の言葉に示されています。
「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」(本書第一回)。
この法は、一人ひとりの身の上に豊かにそなわっているけれども、修さなければ現れず、証さなければ得ることはない、と。
問16の説は、この一文の前半、「人人の分上にゆたかにそなはれり」だけを取り出して、後半を捨ててしまったもの、と受けとめることもできるでしょう。仏法は、たしかに一人ひとりにそなわっている。けれども、それは修さなければ現れない。禅師は、弁道話の冒頭でそう示し、そして問答の終わり近くで、問16の説を「もともはかなし」と、はっきりと退けておられます。その説を、序の一文の後半を捨てようとするものと見るならば、両者は一続きの教えとして読むことができるでしょう。
一知半解を心にとどむることなかれ(【6】続き)#
禅師は、この問答を、次の言葉で結ばれます。
「ただまさに、はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとどむることなかれ。仏法の妙術、それむなしからじ」(原文【6】)。
ただまさしく、初めて善知識に会ったときから、修行の儀則をたずね問うて、ひたすらに坐禅辦道し、一知半解を心にとどめてはならない。仏法の妙術は、決してむなしくはないであろう、と。
ここには、問16の説に対する、禅師の答えのすべてが、短い言葉にまとめられているように思われます。一つずつ見ていきましょう。
まず、「はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して」。初めて善知識、正しく導く師に会ったときから、修行の作法やきまりを、たずね問う。問う人の説は、「他人にむかひてもとむべきにあらず」、ほかの人に求める必要はない、というものでした。禅師は、それとは逆に、善知識にたずね問うことを、修行の始まりに置いておられます。則公の話でも、法眼禅師がまず則公に言われたのは、「なんぞつねにわれに仏法をとはざる」、なぜ一度も仏法を問いに来ないのか、ということでした。そして則公がさとったのも、自ら師のもとに戻り、懺悔し、あらためて問うたときでした。前回の段で、禅師は「ただ正師の教道をたづぬべし」(本書第七回)とも言っておられました。師に問うということが、繰り返し示されています。
次に、「一向に坐禅辦道して」。ひたすらに坐禅辦道する。問う人は「いはんや坐禅辦道をわづらはしくせんや」、まして坐禅辦道に骨を折る必要などあろうか、と言いました。禅師の答えは、まさにその坐禅辦道を、「一向に」、ひたすらに行え、というものです。問答二(本書第四回)でも、禅師は「仏印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき」と言っておられました。
そして、「一知半解を心にとどむることなかれ」。一知半解とは、少し知って半分わかること、浅い知識を言う決まった言い方だと、宗務庁版英訳の注は説明しています。浅い理解を心にとどめて、それで足りたとしてはならない、と読むことができます(→読みの分かれるところ)。あるいは、少しでも知ったこと、わかったことを、心にとどめて握りしめてはならない、と、知解そのものを心にとどめないことと読むこともできるでしょう。
則公の話に照らしてみると、この一句は、いっそう身にしみてきます。則公は、青峰の禅師のもとで一つの理解を得て、それを「安楽のところ」として心にとどめ、法眼禅師の会中での三年の間、あらためて問うことをしませんでした。それが「一知半解を心にとどむる」ことであった、と受けとめることもできるように思います。
最後に、「仏法の妙術、それむなしからじ」。仏法の妙術は、決してむなしくはない。ここでの「妙術」は、坐禅辦道を指すと取れます。弁道話の冒頭には、「諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり」(本書第一回)とありました。その「妙術」が、ここでふたたび言われている、と見ることができます。ひたすらに坐禅辦道するならば、それは決してむなしいことにはならない。この静かな言葉には、坐る人への深い励ましがこめられているように思われます。
坐禅の中で、知ることを手放す#
この問答を、坐禅とのかかわりで、もう少し考えてみたいと思います。
問答三(本書第五回)で、禅師は「仏法には、修証これ一等なり」と示し、「修のほかに証をまつおもひなかれ」と教えておられました。修行と証とは別のものではない。修行の外に証を待つ思いを持ってはならない、と。
問16の説は、ある意味で、この教えの裏返しのような形をしています。修行の外に証を待つのではなく、修行の外に「知る」ことを置き、それで証が完成する、とするものです。けれども、どちらも、修行と証とを切り離している点では同じだ、と受けとめることもできるでしょう。「知ったから、もう坐らなくてよい」というのも、「坐れば、いつか何かが得られる」というのも、坐禅を、それ自体とは別の何かに結びつけて見ている、という点で、通じるところがあるように思われます。
私たちが実際に坐っていると、さまざまな思いが浮かんできます。その中には、「ああ、こういうことか」「わかった」という思いもあるかもしれません。本で読んだ言葉が、ふと腑に落ちたように感じられることもあるでしょう。そうした思いは、それ自体としては、悪いものではありません。けれども、その「わかった」を握りしめ、それを心にとどめて、「もうこれでよい」としてしまうとき、坐禅はそこで止まってしまうでしょう。則公の「安楽のところ」も、そのように受けとめることができるかもしれません。
坐禅の中では、浮かんでくる思いを追いかけず、握りしめず、また押しのけもせずに、ただ坐ります。その坐り方そのものが、「一知半解を心にとどむることなかれ」ということの、身をもっての実践である、と受けとめることもできるのではないでしょうか。わかったことも、わからないことも、心にとどめずに、ただ坐る。そして、坐蒲から立ち上がったあとも、「自分はもうわかっている」と思いこまずに、師や仲間の言葉に耳を傾け、たずね問う。問16への禅師の答えは、そうした坐り方と生き方を、私たちに示しているように思われます。
問17「竹の声や花の色で悟った人は坐禅していたのか」〔答17〕#
問う人の問い(【7】)#
問16で、禅師は、知るだけでは足りない、ひたすらに坐禅辦道せよ、と答えられました。すると問う人は、別の方向から問いを重ねます。
「とふていはく、乾唐の古今をきくに、あるひはたけのこゑをききて道をさとり、あるひははなのいろをみてこころをあきらむるものあり」(原文【7】)。
インドと中国の昔と今の話を聞くと、あるいは竹の音を聞いて道をさとり、あるいは花の色を見て心を明らめた者がいる、と。
宗務庁版英訳の注では、これはそれぞれ、小さなかけらが竹に当たる音を聞いてさとったという香厳智閑の話、桃の花が咲いているのを見てさとったという霊雲志勤の話を思い起こしたものであろう、とされています。
問う人はさらに続けます。
「いはんや釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし」(原文【7】)。
言うまでもなく、釈尊は明けの明星を見たときに道を証し、阿難尊者は刹竿が倒れたところで法を明らめた、と。
釈尊が明星を見て成道されたこと、そして、宗務庁版英訳の注によれば、阿難尊者が、迦葉尊者から「門前の刹竿を倒せ」と言われて大悟したという問答のことです。
「のみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禅辦道せるもののみならんや」(原文【7】)。
そればかりでなく、六代より後、五家の間では、一言半句のもとで心を明らめた者が多い。彼らは必ずしも、かつて坐禅辦道した者ばかりであったろうか、と。
「六代」を六祖慧能までの六代の祖師と取るか、ほかの意味に取るかには、わずかな幅がありますが、いずれにしても、祖師たちの時代に、わずかな言葉を聞いてさとった人が多くいた、ということです。
問う人の問いは、はっきりしています。竹の音、花の色、明けの明星、倒れる旗竿、一言半句。さとりのきっかけは、実にさまざまであった。そうであれば、さとりは、必ずしも坐禅辦道によるものではないのではないか。坐禅をせずに、ふとした見聞によってさとった人もいたのではないか、と。
これもまた、私たちがよく抱く考えでしょう。ふとした景色に心を打たれること、何気ない一言に深く気づかされることは、誰にでもあります。そうであれば、わざわざ坐らなくても、日々の暮らしの中で、いつか何かのきっかけで気づくこともあるのではないか、と。
辦道に擬議量なく、直下に第二人なき(【8】答17)#
禅師の答えは、わずか一文です。
「しめしていはく、古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、ともに辦道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし」(原文【8】)。
昔も今も、色を見て心を明らめ、声を聞いて道をさとった当人は、だれもみな、辦道において擬議量がなく、直下に第二人がない、ということを知るべきである、と。
「辦道」は、仏道に力を尽くすことです。
この答えは、弁道話の中でも、とりわけ短く、とりわけ読みの難しい答えの一つです(→読みの分かれるところ)。
まず、禅師は、問う人の問いに、「はい、彼らも坐禅していました」とも、「いいえ、坐禅していませんでした」とも、直接には答えておられません。その代わりに、見色明心・聞声悟道した「当人」、その人自身のありようを示しておられます。
「擬議量」は、宗務庁版英訳の注によれば、珍しい語の組み合わせで、正法眼蔵ではほかに「十方」の巻にのみ見えるものであり、英訳も仮のものだ、とされています。「擬議」は、何か言おうとしてためらう、思いはかる、という意味のよく使われる語で、「量」は、考えはかる「思量」、あるいはあれこれ論じ合う「商量」の意に取れるか、とされています。そうすると、「辦道に擬議量なく」は、辦道において、ためらいや思いはかり、はからいがない、という意味に受けとめることができます。
ただ、これにもいくつかの読み方があります。その人々は、辦道において、ためらいやはからいがなく、ひたすら辦道していた、と取ることもできます。その人々の辦道、つまり色を見、声を聞いたその場には、思いはかる余地がなかった、と取ることもできます。また、辦道することに迷いがなかった、修行を疑わなかった、と取ることもできるでしょう。
「直下に第二人なき」も、宗務庁版英訳の注では、正法眼蔵「仏性」の巻にも見える語で、中国の禅籍の語をふまえるようだ、とされています。「直下」は、ただちに、まさにその場で、という意味、「第二人」は、二人目の者、ほかの誰か、という意味です。まさにその場に、ほかの誰かがいない。これもまた、いくつもの受けとめ方ができます。さとった当人自身がまるごとそこにあって、見る者と見られるもの、自と他の二つに分かれていない、と受けとめることもできますし、そのとき、自分のほかに頼る者はいなかった、他の誰でもない自分自身の辦道によった、と受けとめることもできます。また、辦道する者と別に「さとる人」がいるのではない、と受けとめることもできるでしょう。
そして、この答えが問17にどう答えているのかについても、読み方が分かれます。彼らも実は辦道していた、坐禅辦道の人だったのだ、と答えている、と読むこともできます。色を見、声を聞いたその場そのものが辦道であって、坐禅辦道と別のものではない、と答えている、と読むこともできます。あるいは、当人のありようを示すだけで、坐禅をしていたかどうかには直接答えていない、と読むこともできるでしょう。
この解説では、どれか一つに決めることはせずにおきます。ただ、どの読み方を取るにしても、心にとめておきたいことがあります。
それは、禅師が、見色明心・聞声悟道した人々を、「坐禅によらずにさとった人」の例として認める形では答えておられない、ということです。禅師は、その人々を、「辦道」の人として語っておられます。竹の音、花の色は、きっかけではあっても、竹の音を聞けば誰でもさとるわけではありません。花の色を見た人は数えきれないほどいても、そこで心を明らめた人は限られています。その違いはどこにあるのか。禅師の答えは、その「当人」の側、その人の辦道のありように、目を向けさせるものだと受けとめることができるでしょう。
問答二(本書第四回)で、禅師は「草華山水にひかれて仏道に流入することありき、土石沙礫をにぎりて仏印を稟持することあり」と言っておられました。草や花、山や水に引かれて仏道に入った人がいる、と。禅師は、見たり聞いたりしたことがきっかけとなって仏道に入ることを、決して否定してはおられません。けれども、その直後に、禅師は坐禅を勧めておられました。そして、ここでも、見色明心・聞声悟道の人々を「辦道」の人として語っておられます。
また、「直下に第二人なき」を、自と他の二つに分かれない、と受けとめる読み方をとるならば、問16の【3】の「自他の見をやめて学する」と響きあうものを感じることもできるかもしれません。則公は、「自己をもて自己をもとむる」と、求める自己と求められる自己とを立てて理解していました。竹の音を聞いてさとった人には、そうした二つがなかった、と。ただ、これはこの解説の一つの受けとめ方であって、本文がそのつながりを言っているわけではありません。
坐禅と、日々の見聞#
この問答を、私たちの日々に引き寄せて考えてみましょう。
私たちは、日々、さまざまな声を聞き、さまざまな色を見ています。朝の鳥の声、雨の音、道ばたの花、夕暮れの空。けれども、多くの場合、それらは私たちの前を通り過ぎていきます。心が、ほかのことでいっぱいになっているからです。過ぎたことを思い、先のことを案じ、あれこれと考えをめぐらせている。そのとき、竹の音は、ただの物音として、花の色は、ただの景色として、通り過ぎていきます。
「擬議量なく」を、ためらいやはからいがない、と受けとめるならば、それは、そうした思いのめぐらしがない、ということでもあるでしょう。竹の音を聞いた人は、そのとき、竹の音を聞いていた。花の色を見た人は、そのとき、花の色を見ていた。そこには、「これは何の音だろう」「この花は何という花だろう」と思いはかる、二人目の自分がいなかった、と。
坐禅は、そのような聞き方、見方と、深くかかわっているように思われます。坐っていると、さまざまな音が聞こえてきます。けれども坐禅の中では、その音を追いかけて考えをめぐらせることをせず、ただ坐ります。そうして坐ることを重ねていくとき、坐蒲を離れた日々の中でも、音を聞くときには音を聞き、色を見るときには色を見る、ということが、少しずつ身についていくのかもしれません。
ただし、それは「坐禅をしなくても、日々の暮らしの中で気づけばよい」ということではありません。禅師は問16への答えで、「一向に坐禅辦道して」と言われたばかりです。問17の問いは、まさに「坐禅辦道していなかった人もいるのではないか」というものでした。禅師は、それに対して、「では坐禅は要らない」とは答えておられません。答えは、見色明心・聞声悟道の人々も「辦道」の人であった、という方向を指しています。日々の見聞の中にも道は開かれている。けれども、それは辦道を離れたところで開かれるのではない。この短い答えを、そのように受けとめておきたいと思います。
問18「わが国の人でも証を得られるか」〔答18の一・二〕#
問う人の問い(【9】)――問う人の言葉であること#
十八の問答の最後の問いです。問う人は、ふたたび、坐る人の側、それも自分たちの国の人々の資質に目を向けて問います。
この問いを読むにあたって、はじめにはっきりさせておきたいことがあります。【9】の段落は、全体が問う人の言葉だということです。この段落には、日本の人々を低く見る言い回しがいくつも出てきますが、それは問う人の見方として述べられているものであって、禅師の言葉ではありません。禅師は、次の【10】【11】で、この問いに答え、最後にはその見方を退けておられます。この解説でも、問う人の言葉と禅師の言葉とを取り違えないよう、注意して読んでいきます。
問う人は、まずインドと中国の人々について言います。
「とふていはく、西天および神丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入す」(原文【9】)。
インドと中国は、人がもとより飾り気がなく、まっすぐである。文明の中心の地であることがそうさせるので、仏法を教化すると、たいへん早く会得して入る、と。
「中華」は、ふつうは中国を指す語で、ここでインドも含めているのかははっきりしない、と宗務庁版英訳の注は述べています。「しからしむる」をどう取るかにも、わずかな幅があります。
そして問う人は、それに比べて、自分たちの国の人々について、厳しい言葉を重ねていきます。昔から人に仁(思いやり)と智(知恵)が少なく、正しい種が積もりにくい。中華の外の辺地であることがそうさせているのが、うらめしい。この国の出家人は、大国の在家人にも劣っている。世をあげて愚かで、心が狭い。形に現れる善行にとらわれ、うわべの善を好む、と(原文【9】)。ここに出てくる「蕃夷」の語は、宗務庁版英訳の注では、中華の外に住む異民族を言う語とされています。問う人は、自分たちの国を、そのような辺地の国として、卑下して言っているのです。
そして問う人は、こう問います。
「かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せんや」(原文【9】)。
このような者たちが、たとえ坐禅するといっても、ただちに仏法を証得できるだろうか、と。
この問いは、前回の問15とよく似た形をしています。問15では、「末の世」という時代の条件が問われました。問18では、「この国の人」という、生まれた土地と人の資質の条件が問われています。自分たちは、仏法の中心から遠く離れた辺地の国に生まれ、資質にも恵まれていない。そういう自分たちが坐禅しても、本当に仏法を証得できるのか、と。
問う人は、インドや中国を、人がもとより質直で、仏法を早く会得する国々として述べ、それに比べて自分たちの国を、中華の外の辺地の、仏法に縁の薄い国のように言っています。
今の私たちも、形は違っても、似たような思いを抱くことがあるのではないでしょうか。「自分は生まれつき頭がよくない」「自分のような者には、とても無理だ」「あの人たちとは、もともと違う」。自分の資質や生まれ育ちを理由に、はじめからあきらめてしまう心です。問18は、そうした心を、そのまま差し出しているようにも読めます。
いふがごとし、しかはあれども(【10】答18の一)#
禅師の答えは、意外な言葉で始まります。
「しめしていはく、いふがごとし」(原文【10】)。
おまえの言うとおりである、と。
禅師は、問う人の言葉を、まずいったん受けとめておられます。ただ、この「いふがごとし」が、どこまで問う人に同意しているのかについては、読み方が分かれます(→読みの分かれるところ)。日本の人々の現状については、問う人の言うとおりだと認めている、と読むこともできます。また、問う人の言い分をいったん受けておいて、「しかはあれども」以下で結論を否定するための前置き、と読むこともできます。
ここで、禅師ご自身の言葉を、ていねいに見てみましょう。
「わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となりぬべし。名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし」(原文【10】)。
わが国の人は、まだ仁智が広く行きわたっておらず、人はまた、まっすぐでない。たとえ正しくまっすぐな法を示しても、甘露がかえって毒となってしまうだろう。名声や利益にはおもむきやすく、迷いや執着はとけにくい、と。
禅師は、問う人の言葉をそのまま繰り返してはおられません。問う人は、「仁智すくなくして」「挙世おろかにして」「大国の在家人にもおとれり」と言いました。禅師は、「いまだ仁智あまねからず」と言われます。「いまだ」、まだ、行きわたっていない。これは、もともと無い、と言うのではなく、まだ広く行きわたるに至っていない、という言い方です。問う人が「むかしより」と言って自分たちを低く見ているのに対して、禅師の言葉は、今のありようとして述べる、という形をとっている、と受けとめることもできるでしょう。
そのうえで、禅師は、はっきりと向きを変えられます。
「しかはあれども、仏法に証入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず」(原文【10】)。
そうではあるけれども、仏法に証入することは、必ずしも、人間や天上の者の世間の知恵を、迷いの世界を出るための舟とするのではない、と。
ここに、問18への禅師の答えの要があります。問う人は、仁智が少ない、愚かである、心が狭い、と、世間の知恵や資質の不足を理由に挙げました。禅師は、仏法に証入することは、そもそも世間の知恵を舟とするものではない、と答えられます。世間の知恵が豊かであるかどうかは、仏法に入れるかどうかを決めるものではない、と。
愚暗のやから、癡狂の畜類(【10】続き)#
禅師は、その証しとして、仏の在世の話を挙げられます。
「仏在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり」(原文【10】)。
仏の在世にも、手毬によって四果を証した者や、袈裟をかけて大道を明らめた者は、ともに愚かで暗い者たち、愚かで狂った畜生のたぐいであった、と。
宗務庁版英訳の注によれば、手毬の話は、年老いた比丘が毬を当てられて阿羅漢となったという話で、四果とは、声聞の修行の四つの段階の最後、阿羅漢果のことです。袈裟の話は、仏弟子の蓮華色比丘尼が、前世に遊女であったとき、戯れに比丘尼の衣を着けた因縁によって、のちに阿羅漢となった、という話だとされています。
禅師は、この人々を「愚暗のやから、癡狂の畜類」と、たいへん強い言葉で言い表しておられます。これは、世間の知恵の上から見れば、まったく取るに足りない者たちであった、ということを強く言ったものと受けとめることができるでしょう。宗務庁版英訳の注が挙げる二つの話は、いずれも人の話ですので、「畜類」を文字どおりに取る必要はないように思われますが、この点にも読み方の幅があります。
世間の知恵の上では取るに足りない者たちが、仏法に証入した。そうであれば、仁智が少ないことも、愚かであることも、仏法に入れない理由にはならない。禅師は、そう示しておられるのです。
前回の段でも、禅師は「釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき」(本書第七回)と言っておられました。仏の在世には、罪を犯した人、よこしまな見方をもった人も、道を得た、と。禅師は、繰り返し、人がもともと持っている資質や条件によって仏法の門を閉ざすことをしておられません。
正信のたすくるところ(【10】続き)#
では、そうした人々は、何によって仏法に入ったのでしょうか。禅師はこう言われます。
「ただし、正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり」(原文【10】)。
ただ、正信が助けるところ、迷いを離れる道がある、と。
ここで、「正信」、正しい信という言葉が出てきます。世間の知恵ではなく、正信が助けとなって、迷いを離れる道が開かれる。
禅師は、もう一つの例を挙げられます。
「また、癡老の比丘黙坐せしをみて、設斎の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり」(原文【10】)。
また、愚かな年老いた比丘が黙って坐っているのを見て、食事を供養した信女がさとりを開いたのは、知恵によらず、文字によらず、言葉を必要とせず、語りを必要とせず、ただ正信に助けられたのである、と。
宗務庁版英訳の注によれば、これは次のような話だとされています。ある在家の女性が、愚かな老比丘を食事に招き、そのあと教えを請うて、目を閉じて坐して待った。比丘は説くことがなく、黙って去った。女性は静かに坐したまま、有為の法の三相を自ら観て、声聞の初果を得た、と。
この話は、たいへん心を打つものです。比丘は、愚かで、説くべき教えを持っていませんでした。言葉による教えは、何ひとつ与えられませんでした。それでも、信女はさとりを開いた。本文は、それを「智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず」と、四つの否定を重ねて言い、「ただしこれ正信にたすけられたり」と結んでいます。
「たすけられたり」は、正信が助けとなった、と取ることもできますし、宗務庁版英訳のように、正信によって救われた、と取ることもできます。
人まさに正信修行すれば(【11】答18の二)#
禅師は、さらに言葉を続けられます。
「また釈教の三千界にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず、人またかならずしも利智聡明のみあらんや」(原文【11】)。
また、釈尊の教えが三千大千世界に広まったのは、わずか二千余年ほどのことである。国々はさまざまであって、必ずしも仁智の国ばかりではない。人もまた、必ずしも鋭い知恵をもつ賢い者ばかりではない、と。
「二千余年」を、どこから数えたものと見るかには、わずかな幅があります。けれども、いずれにしても、禅師はここで、仏法が広まってきた年月はまだ「わづか」であり、仏法が広まった国々も、そこに生きる人々も、さまざまであった、と言っておられます。インドや中国も、すべての人が賢かったわけではない。仏法は、さまざまな国の、さまざまな人々の中に広まってきたのだ、と。前回の問15で、末の世であることが問題にされたのに対して、禅師がここで仏法の歩みを「わづか」と言われていることにも、心をとめておいてよいかもしれません。
「しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる」(原文【11】)。
そうではあるけれども、如来の正法は、もとより思いはかることのできない大いなる功徳の力をそなえていて、時が至れば、その国に広まる、と。
仏法が広まるのは、その国の人々が賢いからではない。仏法そのものに、大いなる力がそなわっているからだ。そして、時が至れば、どの国にも広まっていく。わが国もまた、その「時」を迎えている、と受けとめることもできるでしょう。
そして、禅師は言われます。
「人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり」(原文【11】)。
人がまさしく正信して修行するならば、鋭い者も鈍い者も分けへだてなく、等しく道を得るのである、と。
この一文は、問18への答えの中心であると同時に、弁道話全体の中でも、とりわけ大切な言葉の一つだと思われます。問答一(本書第三回)の解説でもふれたように、禅師は弁道話の前のほうで、「ただ正信の大機のみ、よくいることをうるなり」、「おほよそ心に正信おこらば、修行し、参学すべし」と言っておられました。その「正信」と「修行」とが、ここで一つの言葉に結ばれています。
「正信修行」をどう読むかにも、いくつかの幅があります(→読みの分かれるところ)。正信して修行する、と、正信と修行とを並べて取ることもできますし、正信によって修行する、と取ることもできます。宗務庁版英訳は「真の信をもって修行する」という方向で訳しています。また、「正しく信じて修行する」と、「正」が全体にかかると取ることもできるでしょう。どの読み方を取るにしても、ここで「正信」は「修行」と結びついて語られています。正信だけで、修行を離れて得道する、とは言われていません。
仏法を会すべからずとおもふことなかれ(【11】続き)#
そして禅師は、問う人の見方を、はっきりと退けられます。
「わが朝は、仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、仏法を会すべからずとおもふことなかれ」(原文【11】)。
わが国は仁智の国ではなく、人の知解が愚かであるからといって、仏法を会得することはできない、と思ってはならない、と。
この一文は、読み方に注意の要るところです。一見すると、禅師が「わが朝は、仁智のくににあらず」と言っておられるように見えるかもしれません。けれども、この文の形は、「…として、…とおもふことなかれ」、…だからといって、…と思ってはならない、というものです。「仁智のくににあらず」「知解おろかなり」は、問う人が【9】で述べた見方を受けたもので、禅師はそれを理由に「仏法を会すべからず」と思うことを、退けておられるのです。禅師ご自身が、わが国は仁智の国ではない、と断じておられるのではありません。
般若の正種ゆたかなり(【11】続き)#
そして、この答えは、次の言葉に至ります。
「いはんや人みな般若の正種ゆたかなり」(原文【11】)。
まして、人はみな、般若の正しい種が豊かである、と。
問う人は、【9】で、わが国の人々には「正種つもりがたし」、正しい種が積もりにくい、と言いました。禅師は、その同じ「正種」という言葉を用いて、「人みな般若の正種ゆたかなり」と答えておられます。宗務庁版英訳の注は、「正種」を、真の法を理解する業、そなわった力、あるいはそうした人を言うのであろう、とし、【11】の「般若の正種」にもこの語が出ることを指摘しています。
問う人が「積もりにくい」と言ったものを、禅師は「ゆたかなり」、豊かにそなわっている、と言われる。しかも、「人みな」、人はみな、と。インドや中国の人だけでなく、わが国の人も。賢い人だけでなく、鈍い人も。問う人の言葉を、正面から覆す言葉です。ここに至って、禅師が【10】の冒頭で「いふがごとし」と受けとめられたことが、問う人の結論に同意するものではなかったことが、はっきりとわかります。
この言葉は、弁道話の序の「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれり」(本書第一回)という言葉と、まっすぐに響きあっています。「人人の分上にゆたかに」と「人みな…ゆたかなり」。弁道話は、その冒頭で示された言葉を、問答の最後の最後で、もう一度、問う人に向けて告げているようにも思われます。
承当することまれに、受用することいまだしき(【11】結び)#
最後の一文です。
「ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」(原文【11】)。
ただ、それを承当することがまれで、受用することがまだ十分でないだけなのであろう、と。
「承当」は、引き受けて、わがものとすること、まさにそれとうなずくことです。「受用」は、受けて用いることです。その目的語が、直前の「般若の正種」なのか、「仏法」なのかには、読み方の幅があります。また、「ならし」を、「…なのであろう」という推定と取るか、断定をやわらげた言い方と取るかにも幅があります(→読みの分かれるところ)。
いずれにしても、禅師の言われることは明らかです。般若の正種は、人みなに豊かにそなわっている。足りないのは、種ではない。それを自らのものとして引き受けること、それを受け用いることが、まだまれであり、まだ十分でないのだ、と。
「受用」という言葉は、弁道話の冒頭の「自受用三昧」(本書第一回)以来、この巻に繰り返し出てきた言葉です。前回の問15の答えでも、禅師は「自家の財珍を受用するなり」(本書第七回)と言っておられました。ここでの「受用」を、序の自受用三昧とつなげて読むかどうかは、読む人に委ねられるところですが、弁道話全体を通して、「そなわっているもの」を「受け用いる」ということが、繰り返し語られてきたことは、心にとめておいてよいでしょう。
そして、序の言葉を思い出すならば、そなわっているものは、「いまだ修せざるにはあらはれず」(本書第一回)でした。承当し、受用するとは、修行することにほかならない、と受けとめることもできるのではないでしょうか。
正信と坐禅、そして「知るだけでは足りない」ということ#
ここで、この段全体を通して、「正信」ということを、もう少し考えてみたいと思います。
まず、「正信」の中身です。正信とは、何を信ずることなのでしょうか。本文は、それを明言していません(→読みの分かれるところ)。如来の正法を正しく信ずること、と受けとめることもできます。【11】で「如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて」と言われていることからすれば、この読み方は自然でしょう。師や修行、坐禅辦道を信じて疑わないこと、と受けとめることもできます。問16の答えで「はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して」と言われていたことからすれば、この読み方にも根拠があります。また、自らに般若の正種が豊かにそなわっていることを信ずること、と受けとめることもできます。【11】の「人みな般若の正種ゆたかなり」とのつながりからは、この読み方も成り立つでしょう。
この解説では、どれか一つに決めることはせずにおきます。むしろ、この三つは、互いに深く結びついているようにも思われます。如来の正法を信ずることは、その法を伝える師と修行を信ずることでもあり、その法が自らにもそなわっていると信ずることでもある、と。
次に、正信と坐禅との関係です。問18の問いは、「たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せんや」でした。坐禅しても、証を得られないのではないか、と。これに対して禅師は、「正信のたすくるところ」「正信にたすけられたり」「正信修行すれば」と、正信を語られました。
ここで、正信を、坐禅に代わるもの、坐禅をしなくても信があればよい、というものとして受けとるのは、この段の流れにそぐわないでしょう。問16で、禅師は「一向に坐禅辦道して」と言われたばかりです。そして【11】では、「正信修行」と、正信は修行と一つに結ばれて語られています。むしろ、正信は、坐禅修行を支え、助けるものとして語られている、と受けとめるのが、この段の流れに沿った読み方ではないかと思われます。
信女の話も、そのように読むことができるかもしれません。宗務庁版英訳の注によれば、信女は、老比丘に教えを請うたあと、目を閉じて坐して待ち、比丘が何も言わずに去ったのちも静かに坐したまま、自ら観て初果を得た、とされています。本文は「癡老の比丘黙坐せしをみて」と言い、注の伝える話とは細部の運びが同じではありません。また本文は「正信にたすけられたり」と言うだけで、坐ることと正信とのかかわりを語ってはいません。けれども、言葉による教えを何ひとつ受けずに、黙って坐る比丘を前にして、自らも坐して待つ。その信女の姿に、坐禅と正信とが一つになったありさまを見る読み方も、一つの受けとめ方としては成り立つように思われます。
そして、問16の答えとの関係です。問16で、禅師は、「自己即仏」と「知る」こと、その「領解」だけでは仏法を知ったことにはならない、と示されました。一知半解を心にとどめてはならない、と。そして問18では、仏法に証入するのは「世智」によるのではない、「智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず」、ただ正信に助けられる、と示されました。
こうして並べてみると、この段の三つの問答には、一つの筋が通っているように見えます。仏法は、知ることによって得るものではない。知ったと思って心にとどめるならば、則公のように、そこで歩みが止まってしまう。また、知恵が足りないからといって、仏法から締め出されるわけでもない。愚かな老比丘の黙坐を見た信女のように、正信に助けられて道が開かれる。知が足りていると思う人にも、知が足りないと思う人にも、禅師は同じように、知によるのではない、と示し、正しい信をもって修行することを勧めておられる、と読むことができるでしょう。
問16の「ある人」は、知っているから坐らなくてよい、と言いました。問18の問う人は、知恵が足りないから坐っても無駄ではないか、と言いました。向きは正反対ですが、どちらも、坐禅を「知」の側から量っている点では同じです。禅師は、その両方に対して、坐禅は知の多い少ないによって量られるものではない、と答えておられる、と受けとめることもできるでしょう。
むすびに――知ることから、信じて坐ることへ#
この段で読んだ三つの問答を、あらためて振り返ってみましょう。
問16では、即心是仏の旨をわかってしまえば、お経を読むことも、仏道を行ずることも、坐禅辦道も要らないのではないか、という説が取りあげられました。禅師は、その説を「もともはかなし」と退け、「仏法は、まさに自他の見をやめて学するなり」と示されました(【2】【3】)。そして、則公監院と法眼禅師の問答を引き、同じ「丙丁童子来求火」の言葉が、一度目には「会せざりけり」と退けられ、二度目には則公の大いなるさとりとなったことを示されました(【4】【5】)。則公が何をさとったのかは、本文には語られていません。けれども、禅師はこの話から、「自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらず」と結論し、「一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとどむることなかれ」と勧められました(【6】)。退けられているのが「自己即仏」という見方そのものなのか、それを領解として手にして修行を要しないとすることなのかは、読み方が分かれます(→読みの分かれるところ)。けれども、知ることで足りるとして坐禅辦道を捨てる説が退けられていることは、どの読み方でも変わりません。
問17では、竹の声を聞き、花の色を見てさとった人々は、必ずしも坐禅辦道していたとは言えないのではないか、と問われました。禅師は、その当人たちは「辦道に擬議量なく、直下に第二人なき」人々であった、と答えられました(【8】)。この短い答えには多くの読み方がありますが(→読みの分かれるところ)、禅師が、見色明心・聞声悟道の人々を、辦道を離れてさとった人としてではなく、辦道の人として語っておられることは、心にとめておきたいと思います。
問18では、わが国の人のような者が坐禅しても、ただちに仏法を証得できるのか、と問われました。【9】の、日本の人々を低く見る言い回し(「蕃夷のしからしむる」「大国の在家人にもおとれり」「挙世おろかにして」など)は、すべて問う人の言葉です。禅師は「いふがごとし」といったん受けとめたうえで、仏法に証入するのは世間の知恵によるのではなく、正信に助けられるのだと示し、「人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり」と答えられました(【10】【11】)。そして、わが国の人は仏法を会得できない、と思ってはならない、と問う人の見方を退け、「いはんや人みな般若の正種ゆたかなり」と、問う人の「正種つもりがたし」を正面から覆されました(【11】)。
こうして、弁道話の十八の問答は、ここで終わります。
振り返ってみると、十八の問答の最後の答えが「人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」という言葉であることには、深い意味があるように思われます。弁道話は、「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」という言葉とともに、坐禅の道を説き始めました。そして十八の問答を経て、最後にもう一度、人はみな豊かにそなえている、ただ、それを承当し、受用することがまだなのだ、と告げて、問答を閉じています。
この段の三つの問いは、それぞれ違う方向から、「坐らなくてもよいのではないか」「坐っても無駄ではないか」と問うものでした。わかったから坐らなくてよい。きっかけがあれば坐らなくてよい。資質がないから坐っても無駄だ。どれも、私たちの心に、ふと浮かんでくる思いです。
坐禅をしていると、「自分はもうわかっている」と思う日もあれば、「自分にはとても無理だ」と思う日もあるでしょう。わかったと思えば坐ることが物足りなく感じられ、無理だと思えば坐ることがむなしく感じられる。けれども、禅師の言葉に照らしてみれば、そのどちらの思いも、坐禅を「知」の側から量ろうとする心から出ているのかもしれません。
わかったと思ったときには、則公のことを思い出したいと思います。その「わかった」を心にとどめずに、師にたずね、また坐る。無理だと思ったときには、愚かな老比丘の黙坐を見てさとりを開いた信女のことを思い出したいと思います。知恵によらず、言葉によらず、ただ正信に助けられて。そして、どちらのときにも、「人みな般若の正種ゆたかなり」という禅師の言葉を思い出したいと思います。
朝、坐蒲に坐る。わかったことも、わからないことも、心にとどめずに、ただ坐る。自分が賢いか愚かか、この国に生まれたことがよかったか悪かったか、そうした量りを置いて、ただ坐る。坐蒲から立てば、日々の務めに向かい、見るべきものを見、聞くべきものを聞く。そして、また坐る。その繰り返しの中で、一人ひとりに豊かにそなわる般若の正種を、少しずつ承当し、受用していく。それが、「正信修行」ということの、私たちにとっての姿なのではないでしょうか。
「仏法の妙術、それむなしからじ」(原文【6】)。ひたすらに坐禅辦道するならば、それは決してむなしくはない。問16への答えの最後に置かれたこの言葉は、この段の三つの問答すべてを通して、坐る私たち一人ひとりに向けられた、静かな励ましの言葉として響いてくるように思われます。
十八の問答を終えたあと、弁道話は、「さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし」(本書第九回)という言葉から、巻全体の結びへと移っていきます。その結びを、次の段で読んでいきます。
読みの分かれるところ#
この回の範囲にも、読み方が一つに定まらない言い回しがいくつもあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。
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「仏法は、まさに自他の見をやめて学するなり」【3】
「自他の見」は、自己と他者とを分けて立てる見方(【1】の「自己にあり」「他人にむかひてもとむべきにあらず」を受ける)とも、自己と仏とを分けて考える見方とも、あれこれの見解一般とも取れます。「やめて学する」も、やめたうえで学ぶ、やめることを学ぶ、学ぶことがそのままやめること、と読みが分かれます。「自己」を立てることそのものが「自他の見」であり、「自己即仏」もその一つだと読むかどうかにも幅があります。宗務庁版英訳は、自他の見をやめたうえで学ぶ、という方向で訳しています。 -
「丙丁童子来求火」の二度の問答で何が変わったのか【4】【5】
問いも答えも一字も変わりませんが、答える人(青峰の禅師から法眼禅師へ)、問う則公の立場、受けとり方(「…と会せり」と解釈を述べる形から「このことばのしたに」へ)が変わっており、この変化を、問う者のあり方の変化として読むことも、正しい師がじかに示すことの重みとして読むこともできます。また、一度目の解釈の中身が誤りだったのか、それを「わかった」として心にとどめたことが退けられたのかでも読みが分かれます。則公が二度目に何をさとったのかは、本文には示されていません。 -
「自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらず」と、正法眼蔵「即心是仏」巻【6】
退けられているのを、「自己即仏」という中身ではなく、それを領解として手にして修行は要らないとすること、と読むことも、「自己即仏」という見方そのもの、と読むこともできます。「即心是仏」巻には、この語の誤った受けとり方を退け、発心・修行と切り離さない言葉があるため、ここで退けられるのは語そのものではなく修行不要の根拠とする受けとり方だ、と読む余地があります。禅師が問う人の「即心是仏」を「自己即仏」と言い換えたことに意図を見るかどうかにも幅があり、両巻の関係は一つに決めがたいところです。 -
「一知半解を心にとどむることなかれ」【6】
浅い理解を心にとどめて、それで足りたとしてはならない、と読むことも、少しでも知ったこと・わかったことを心に握りしめない、と知解そのものを手放すことと読むこともできます。宗務庁版英訳は前者に近い向きで訳しています。 -
「ともに辦道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし」【8】
「辦道に擬議量なく」は、辦道においてためらいやはからいがなかった、見色・聞声のその場に思いはかる余地がなかった、辦道することに迷いがなかった、などと読めます。「直下に第二人なき」も、自と他の二つに分かれない、自分のほかに頼る者がない、辦道する者と別にさとる人がいない、などと受けとめられます。この答えが、彼らも辦道していたと言うのか、見聞の場そのものが辦道だと言うのか、坐禅の有無には直接答えていないのかも、読みが分かれます。宗務庁版英訳の注は、「擬議量」の訳を仮のものとしています。 -
「いふがごとし」【10】
禅師が、日本の人々の現状については問う人の言うとおりと認めている、と読むことも、「しかはあれども」以下で結論を退けるための前置きとして、いったん受けている、と読むこともできます。どちらの読みでも、【11】で禅師は「仏法を会すべからずとおもふことなかれ」と問う人の結論を退けています。また、禅師の「いまだ仁智あまねからず」は、問う人の言葉をそのまま繰り返したものではありません。 -
「正信」【10】【11】
正信の中身を、如来の正法を正しく信ずること、師や修行(坐禅辦道)を信じて疑わないこと、自らに般若の正種がそなわっていると信ずること、のいずれとも取れ、本文は明言していません。「正信修行」も、正信して修行する、正信によって修行する、正しく信じて修行する、と読みが分かれ、宗務庁版英訳は「真の信をもって修行する」という方向で訳しています。「正信にたすけられたり」も、正信が助けとなった、と取るほか、宗務庁版英訳のように「救われた」と取ることもできます。 -
「ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」【11】
承当し受用するものを、直前の「般若の正種」と取ることも、「仏法」と取ることもできます。「ならし」は、「…なのであろう」という推定とも、断定をやわらげた言い方とも取れ、宗務庁版英訳は推定の形では訳していません。ここでの「受用」を序の「自受用三昧」とつなげて読むかどうかも、読む人に委ねられます。
参考#
- 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第一「辦道話」
- 解説で引く「即心是仏」巻の本文も、同じ底本によります。
- 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. VII(Sōtō Zen Text Project、2023)
- 人名の比定、故事・語句の典拠と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注によります。