弁道話(九)結び#
十八の問答のあと、『弁道話』全体を結ぶ段と、奥書を読む回です。
原文#
【1】さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし。いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。しかありとも、このくに、坐禅辦道におきて、いまだその宗旨つたはれず。しらんとこころざさんもの、かなしむべし。このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて、参学のねがはんにきこえんとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草草にすべからず。
【2】おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明・用明の前後より、秋方の仏法東漸する、これすなはち人のさいはひなり。しかあるを、名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ。いまは破衣綴盂を生涯として、青巌白石のほとりに茅をむすんで、端坐修練するに、仏向上の事たちまちにあらはれて、一生参学の大事すみやかに究竟するものなり。これすなはち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり。その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ撰集せし普勧坐禅儀に依行すべし。
【3】それ仏法を国中に弘通すること、王勅をまつべしといへども、ふたたび霊山の遺嘱をおもへば、いま百万億刹に現出せる王公相将、みなともにかたじけなく仏勅をうけて、夙生に仏法を護持する素懐をわすれず、生来せるものなり。その化をしくさかひ、いづれのところか仏国土にあらざらん。このゆゑに、仏祖の道を流通せん、かならずしもところをえらび、縁をまつべきにあらず。ただ、けふをはじめとおもはんや。
【4】しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはん哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん参学の真流にのこす。ときに、
【5】(奥書)寛喜辛卯中秋日 入宋伝法沙門道元記
(巻末題)辦道話
現代語訳#
段落番号【1】〜【5】は原文の段落番号と対応します。【5】の(奥書)(巻末題)の小見出しは、読みやすさのために付けたもので、原文にはありません。( )内は、原文にない語を補ったものです。仏教語・固有名詞は訳さずに残し、必要に応じて段落の後に「語注」として説明しました。
【1】これまでの問答は、行きつ戻りつして、賓と主とが入り交じり、とりとめのないものであった。(これでは)どれほど、花のない空に花を咲かせた(ことになる)であろうか。たとえそうであっても、この国では、坐禅辦道について、まだその宗旨が伝わっていない。(それを)知ろうと志す者は、気の毒というほかない。このために、いささか異域で見聞きしたことを集め、明師の真訣を書きとどめて、参学を願う人に聞いていただこうとするのである。このほかの、叢林の規範や寺院の格式については、(ここで)示し教えるいとまがなく、また(それらは)手早くすませてよいものでもない。
語注
- さきの問答往来し:これまでの問答が行ったり来たりして。本書第三回〜第八回で読んできた十八の問答(問1〜問18)を指す。
- 賓主相交:賓(客)と主(主人)とが互いに交わること。ここでは、問う者(賓)と答える者(主)とが言葉をやりとりしたこと、と取った。宗務庁版英訳は、客と主人とが入れ替わる、という方向で訳している。
- みだりがはし:乱雑である、とりとめがない。自分の書いたものを控えめにいう言い方と取れる。
- いくばくか:どれほど(多く)…か。
- はななきそらにはなをなさしむる:花のない空に花を咲かせる。もともと何もない空に、あるように見える花を現し出すこと。実体がないのにあるように見えるもののたとえである「空華」(本書第四回の語注参照)を踏まえた言い方と見られる。ここでは、言葉のやりとりである問答が、坐禅の宗旨に対しては、ありもしない花を描いたようなものにすぎない、という謙遜の言葉と取るのが素直だが、別の読みもある(→読みの分かれるところ)。
- しかありとも:たとえそうであっても(逆接の仮定条件)。
- このくに:この国、日本。
- 坐禅辦道:坐禅して仏道に力を尽くすこと。「辦道」は「弁道」と同じ。
- 宗旨:根本の趣旨、かなめ。
- かなしむべし:気の毒に思うべきである、哀れである。
- 異域の見聞:異国、すなわち宋での見聞。道元禅師が宋で見聞きしたことを指す(本書第一回の語注「大宋国」参照)。
- 明師の真訣:明師(道を明らめたすぐれた師)の真訣(真の奥義。本書第一回の語注参照)。どの師を指すかは本文に示されていない。宗務庁版英訳は複数の師として訳している。
- 参学:師について仏道を学ぶこと(本書第一回の語注参照)。
- きこゆ:ここでは「(人に)聞かせる、お伝えする」の意に取った。序にも「先哲の風をきこえんとす」とある(本書第一回)。
- 叢林の規範:叢林(多くの僧が集まって修行する禅の道場。僧の集まるさまを草木の茂る林にたとえる)の規則。
- 寺院の格式:寺院の定め、作法。
- いましめす:「いま示す」(いまここで示す)とも、「いましめ(戒め)す」(戒め教える)とも読める。訳文は両方の意を含むよう「示し教える」とした(→読みの分かれるところ)。
- 草草:あわただしいさま、ぞんざいなさま。「草草にすべからず」は、軽々しく、手短にすませてはならない、の意(→読みの分かれるところ)。
【2】そもそもわが国は、龍海の東に位置していて、雲や霞のかなたに遠く隔たっているけれども、欽明(天皇)・用明(天皇)のころから、秋方の仏法が次第に東へ伝わってきた。これはとりもなおさず、(この国の)人々の幸いである。ところが、名相や事縁が繁く入り乱れて、修行のところで(人々は)わずらい迷っている。いまは、破れた衣とつくろった鉢(の暮らし)を生涯のこととし、青い岩や白い石のほとりに茅(の庵)を結んで、端坐して修練すると、仏向上の事がたちまちに現れて、一生参学の大事がすみやかに究め尽くされるのである。これがとりもなおさず龍牙の誡勅であり、鶏足の遺風である。その坐禅の儀則(作法)は、過ぎし嘉禄のころに(私が)撰集した『普勧坐禅儀』によって行うがよい。
語注
- 我朝:わが国、日本(本書第四回の語注「わが朝」参照)。
- 龍海の以東:龍海の東。「龍海」は龍が住むという大海。ここでは(仏法の伝わってきた国々から見て)海を隔てた東、の意に取った。大海一般の美称とも、大陸と日本の間の海を指すとも取れる。
- ところす:位置する、所在する。
- 雲煙はるか:雲や霞(煙)のかなたに遠い。仏法の伝わってきた国々から遠く隔たっていること。
- 欽明・用明:欽明天皇と用明天皇。宗務庁版英訳の注は、欽明天皇の在位を531–571年(伝統的には539–571年)とし、その代に仏教が日本に伝わったとされること、用明天皇(在位585–587年)が早くからの仏教の強い支持者として知られたことを挙げる。
- 前後:…のころ、…の前後。
- 秋方の仏法東漸:「秋方」は西の方角。季節の秋が西の方角に配されることによる(宗務庁版英訳による)。「東漸」は次第に東へ進み伝わること。西の国々の仏法が、次第に東の日本へ伝わってきたことをいう。
- 名相事縁:「名相」は名(名目・言葉)と相(すがた・かたち)。教えの名目や概念をいう。「事縁」は事柄と、それにまつわる縁(かかわり)。ここでは、教えの名目をめぐる議論や、修行の本筋ではない事柄が入り乱れていることを言うと取った(→読みの分かれるところ)。
- 修行のところにわづらふ:修行のうえで(あるいは修行の場で)わずらい迷う(→読みの分かれるところ)。
- 破衣綴盂:破れた衣と、綴り合わせた(つくろった)鉢盂(僧が食事に用いる鉢)。質素な出家の暮らしのこと。
- 青巌白石:青い岩と白い石。人里を離れた山中の閑居のさま。
- 茅をむすぶ:茅(かや)をたばねて草庵をつくる。
- 端坐修練:姿勢を正して坐り、修行を積むこと(→読みの分かれるところ)。
- 仏向上の事:仏をもさらに超えていくこと(本書第二回の語注「仏向上」参照)。内容は解説で扱う。
- 一生参学の大事:一生をかけて参学し、究めるべき大事。仏道の根本の問題。
- 究竟:究め尽くすこと、成し遂げること。
- 龍牙の誡勅:龍牙のいましめの言葉。宗務庁版英訳の注は、龍牙居遁(835–923)の偈、とくに山中の隠棲の暮らしをたたえた句を指すと伝統的に考えられている、とする(→読みの分かれるところ)。
- 鶏足の遺風:鶏足山に残された風儀。宗務庁版英訳の注は、鶏足山を、第一祖摩訶迦葉が退いて修行し、いまもなお釈尊の衣を未来仏の弥勒に伝えるために待っていると伝える山とする。
- 嘉禄:年号。宗務庁版英訳の注は1225–1227年とし、道元禅師の帰国が1227年であるから、帰国のほぼ直後の撰述になるとする。
- 普勧坐禅儀:道元禅師の撰による書。本文は、坐禅の儀則(作法)をこの書によって行うよう示す。宗務庁版英訳の注は、嘉禄に撰したというこの書の内容は分からず、現存最古の『普勧坐禅儀』は天福元年(1233)の年紀をもち、『弁道話』より後のものである、とする。
- 撰集せし:撰述した。主語は示されていないが、道元禅師自身と取って(私が)を補った。宗務庁版英訳も「私が撰した」と訳している。
- 依行:(それに)依って行うこと。
【3】そもそも、仏法を国中に弘通することは、王勅を待つべきではあるが、改めて霊山の遺嘱を思えば、いま百万億の刹(国々)に現れ出ている王・公・相・将は、みなともに、かたじけなくも仏勅を受けて、夙生に(抱いた)仏法を護持するという素懐を忘れずに、生まれてきた者たちである。その(王公相将の)化の行きわたる境(領域)の、どこが仏国土でないことがあろうか(どこもみな仏国土である)。このゆえに、仏祖の道を流通させるのに、必ずしも場所を選び、縁を待つべきではない。ただ、今日を始まりと思うであろうか。
語注
- それ:そもそも。文の書き出しの語。
- 弘通:仏法を広く世に行きわたらせること(本書第一回の語注参照)。
- 王勅:王(天皇)の命令。ここでは、仏法を広めることについての朝廷の許し、の意を含むと取れる(→読みの分かれるところ)。
- ふたたび:改めて、もう一度(振り返って)。
- 霊山の遺嘱:霊山(霊鷲山。本書第三回の語注参照)での釈尊の遺嘱(のちの世のことを託した言いつけ)。ここでは、続く「王公相将…仏勅をうけて」から見て、仏法を護ることをのちの世の人々に託したことを言うと取れる(→読みの分かれるところ)。
- 百万億刹:百万億の刹(刹土、国土)。数えきれないほど多くの国々。
- 現出:現れ出ること。
- 王公相将:王(国王)・公(貴族)・相(宰相、大臣)・将(将軍)。国を治める立場にある人々。
- みなともに:みな、ともに(そろって)。
- かたじけなく:恐れ多くも、ありがたくも。
- 仏勅:仏の命令、仏からの言いつけ。前の「王勅」と対になる語。
- 夙生:前世、先の世。
- 素懐:もとからの願い、かねての志。
- 生来:生まれてくること。
- 化をしく:化(人々を治め導くこと)を敷く、行きわたらせる。
- 仏国土:仏の国土。仏が教え導く世界。
- 流通:(教えを)広め伝えること。
- 縁:時機、条件、機縁。
- けふをはじめとおもはんや:今日を始まりと思うだろうか。「…んや」は、多く「…だろうか、いや…ない」という反語の言い方になる。宗務庁版英訳の注はこれを反語と取り、いまの仏法の弘通は、はるか昔から続いてきたことの続きにほかならないと認めるべきだ、という意味に解する。ほかの読みもあるので、訳文は原文の形のまま問いの形にとどめた(→読みの分かれるところ)。
【4】そうであるから、これを集めて、仏法を願う哲匠、ならびに道を訪ね求めて雲遊萍寄する参学の真流(まことの修行者たち)に残す。時に、
語注
- しかあればすなはち:そうであるから。【3】までに述べたことを受ける。
- これをあつめて:これを集めて。この一篇(問答と、宋での見聞・明師の真訣を記したもの)をまとめて、の意に取った。序にも「しるしあつめて、参学閑道の人にのこして」とある(本書第一回)。
- 哲匠:すぐれた師匠(本書第四回の語注参照)。ここでは「仏法をねがはん」がかかるので、師として立つ人に限らず、仏法を求めるすぐれた人々と取る余地もある。
- とぶらふ:たずねる、訪ね求める(本書第五回の語注参照)。
- 雲遊萍寄:雲のように遊行し、萍(うきくさ)のように身を寄せること。定住せず、師を訪ねて各地をめぐる修行者のさま(本書第一回の語注参照)。序では道元禅師が自らについて用いた語。
- 参学の真流:参学する真の人々。「流」はともがら、仲間。
- ときに:時に。次の【5】の年月日に続く。
【5】(奥書)寛喜辛卯の中秋の日、入宋伝法の沙門道元が記す。
(巻末題)辦道話
語注
- 寛喜辛卯:寛喜の年号のうち、干支が辛卯にあたる年。宗務庁版英訳は、寛喜辛卯中秋日を1231年9月12日にあてる。
- 中秋:陰暦八月十五日。宗務庁版英訳の注は、中秋の名月の日とする。
- 入宋伝法沙門:宋に入って(中国に渡って)法を伝えた沙門。「沙門」は出家の修行者。道元禅師が自らを名のった語。「伝法」は、法を受け嗣いだ、とも、法を(日本に)伝える、とも取れる。
- 記:記す。
- 巻末題:奥書のあと、別の行に記された巻の題。題は訳さずに残した。
- 辦道話:辦道(仏道に力を尽くすこと)についての話。
解説#
はじめに――十八の問答を終えて#
前回の段(問16〜問18)で、弁道話の十八の問答はすべて終わりました。最後の問18では、わが国の人は仁智にとぼしく、坐禅をしても証を得られないのではないか、と問われました。禅師は、如来の正法はもとより不思議の大功徳力をそなえていて、「ときいたればその刹土にひろまる」(本書第八回)と示され、「いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」(本書第八回)と答えを結ばれました。人はみな、仏の智慧の種をゆたかにそなえている。ただ、それを引き受けてわがものとすることがまれで、まだ受け用いていないだけなのであろう、と。
今回の段は、その問答のあとに置かれた、弁道話全体の結びです。宗務庁版英訳では、この段の直前に区切りの印が置かれ、ここから問答とは別の、しめくくりの文章に入ることを示すものと見られます。原文は【1】から【5】の五つに分かれます。
- 【1】 問答をふりかえり、なぜこれを書き記したのかを述べる
- 【2】 わが国の仏法のありさまと、山中の庵で端坐修練することをすすめ、坐禅の作法は『普勧坐禅儀』によるよう示す
- 【3】 仏法を弘めるのに、場所を選び、縁を待つ必要はない、と述べる
- 【4】 これを集めて、道を求める人々に残す
- 【5】 奥書(年月日と撰号)と巻末題
この結びを読むとき、まず心にとめておきたいのは、ここが巻頭の序と、はっきり呼応しているということです。
序(本書第一回)で禅師は、ご自身が帰国後、「しばらく雲遊萍寄して」、雲や浮き草のように定まった住まいをもたずにおられることを語られました。そして、まことの道を求める人がいても、正しい師に出会えずに迷ってしまうのではないか、自分はいま「雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはん」、どの山川を訪ねればよいかもわからないであろう、と案じられました。「これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、仏家の正法をしらしめんとす。これ真訣ならんかも」。宋で見聞きした禅林の風規と、師から受け保った奥深い教えとを書き集めて、道を学ぶ人に残し、仏家の正法を知らせよう、と。これが、序に記された撰述の動機でした。
結びでは、この言葉がほとんどそのまま繰り返されます。
- 序「まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し」 ―― 結び「いささか異域の見聞をあつめ」【1】
- 序「知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて」「これ真訣ならんかも」 ―― 結び「明師の真訣をしるしとどめて」【1】
- 序「参学閑道の人にのこして」 ―― 結び「参学のねがはんにきこえんとす」【1】、「参学の真流にのこす」【4】
- 序「しばらく雲遊萍寄して」「貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば」 ―― 結び「道をとぶらひ雲遊萍寄せん参学の真流」【4】
序で書きはじめる理由として語られたことが、結びで、もう一度確かめられ、そのうえで「のこす」と言い切られる。弁道話は、このように首尾がととのった一篇として書かれています。序の解説でもふれたとおり、序で「雲遊萍寄」していたのは禅師ご自身でしたが、結びでは、同じく「雲遊萍寄」して道を訪ね歩く後の参学者が、この書の受け手として名ざされます。道を求めて旅する者から、同じく旅する者へ。その手渡しの言葉で、弁道話は閉じられるのです。
では、【1】から順に、ゆっくりと読んでいきましょう。
【1】問答を終えて――はななきそらにはなを#
さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし#
「さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし」(原文【1】)。
これまでの問答は、行きつ戻りつして、賓(客)と主(主人)とが入り交じり、とりとめのないものであった、と。
十八の問答を、禅師は「みだりがはし」、乱雑でとりとめがない、とふりかえられます。問う人の疑いに一つひとつ答えていくうちに、話はあちらへこちらへと行き来した。整った論書のようにはなっていない、と、ご自身の書いたものを控えめに言っておられるのでしょう。
「賓主」を、問う者と答える者と取るか、問答のなかで両者の立場が入れ替わることと取るか、あるいは禅の問答でいう賓主の語を踏まえたものと取るかには、幅があります。宗務庁版英訳は「客と主人の交替」という方向で訳しています。
いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる#
続く一句は、この結びのなかでも、とりわけ読みの分かれるところです。
「いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる」(原文【1】)。
どれほど、花のない空に花を咲かせたことであろうか、と。
「花のない空に花を咲かせる」という言い方からは、弁道話の前のほうに出てきた「空華」という言葉が思い起こされます。問4への答えで、禅師は「この知見によりて、空華まちまちなり」(本書第四回)と言われました。空華とは、病んだ目に見える空中の花で、実体がないのにあるように見えるもののたとえです(宗務庁版英訳による)。
この一句の受けとめ方には、いくつかの方向があります(→読みの分かれるところ)。
一つは、謙遜の言葉として受けとめる読み方です。坐禅の宗旨は、言葉の理屈で尽くせるものではない。その宗旨に向かって、問答という言葉のやりとりを重ねてきたことは、もともと花のない空に、あれこれと花を描いてみせたようなものだった、と。宗務庁版英訳も、「花のない空にたくさんの花をつくり出している」という方向で訳しています。二つめは、言葉にならない仏法に、問答によっていくらかは花を咲かせた、手がかりを示した、と前向きに取る読み方です。三つめは、反語に取って、こんな問答でどれほどのことが示せたであろうか、大して示せてはいない、と取る読み方です。
ここでは、どれか一つに決めることはせずにおきます。ただ、どの読み方を取るにしても、この一句が、十八の問答を「これで仏法を説き尽くした」と誇るものではない、ということは確かでしょう。禅師は、ご自身が重ねてきた言葉を、一歩退いたところから眺めておられる、と読めます。
このことは、坐禅をする私たちにとっても大切なことを教えてくれるように思います。私たちはこうして弁道話を読み、言葉の意味を考え、解説を重ねています。けれども、弁道話がくり返しすすめてきたのは、言葉で坐禅を理解することではなく、坐ることでした。問答の言葉は、いわば坐禅へ向かう人の疑いをほぐすためのものであって、坐禅そのものではありません。どれほど言葉を重ねても、それは坐ることの代わりにはならない。禅師がご自身の問答を「みだりがはし」と言い、空の花にたとえられた(とも読める)ことは、読み手である私たちに、言葉を読んだあとは、坐蒲の上に帰ってくるように、と促しているようにも受けとめられます。
このくに、坐禅辦道におきて、いまだその宗旨つたはれず#
けれども、禅師は言葉を捨ててしまわれるわけではありません。
「しかありとも、このくに、坐禅辦道におきて、いまだその宗旨つたはれず。しらんとこころざさんもの、かなしむべし」(原文【1】)。
たとえそうであっても、この国では、坐禅辦道について、まだその宗旨が伝わっていない。それを知ろうと志す者は、気の毒というほかない、と。
冒頭の「しかありとも」は、「たとえそうであっても」と、前の一句を受けて「それでも」と転じる言葉です。問答は空に花を描くようなものかもしれない。それでも、書き残さないわけにはいかない。なぜなら、この国には、坐禅辦道の宗旨がまだ伝わっていないからだ、と。
「かなしむべし」は、知ろうと志しながら正しい教えに出会えない人が気の毒である、と取るのが素直でしょう。宗務庁版英訳もその方向で訳しています。ただ、宗旨が伝わっていないことを志ある者は嘆くべきだ、と取る幅もあります。
ここで思い出したいのは、序の言葉です。序で禅師は、真実の参学者がいても「いたづらに邪師にまどはされて……ひさしく迷郷にしづまん」ことを案じ、「これをあはれむゆゑに」筆を執ると言われました(本書第一回)。「かなしむべし」を、道に出会えずにいる人を気の毒に思う言葉と取るならば、結びの「かなしむべし」は、この「あはれむ」とまっすぐにつながっている、と読むことができます。弁道話は、はじめから終わりまで、道を求めながら道に出会えずにいる、まだ見ぬ誰かへの思いやりの上に書かれていた、と受けとめられます。
異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて#
「このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて、参学のねがはんにきこえんとす」(原文【1】)。
このために、いささか異国(宋)で見聞きしたことを集め、明師の真訣を書きとどめて、参学を願う人にお伝えしようとするのである、と。
はじめに見たように、この一文は、序の撰述の動機とよく重なります。「異域の見聞」は、序の「まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し」に、「明師の真訣」は、序の「知識の玄旨を稟持せし」「これ真訣ならんかも」に対応すると読めます(本書第一回)。序では「これ真訣ならんかも」と、確信とも謙遜ともとれる言い方でしたが、結びでは「明師の真訣」とはっきり名ざしておられます。「明師」がどの師を指すかは本文に示されていません。宗務庁版英訳は複数の師として訳しています。
「参学のねがはんにきこえんとす」についても、「参学を願う人に」と取るか「参学する者が願うならば」と取るか、「きこゆ」を「お伝えする」と取るか謙譲の「申し上げる」と取るかに、幅があります。序の「まさに先哲の風をきこえんとす」(本書第一回)にも同じ「きこゆ」があり、序の解説でも読みの幅にふれました。
ここで改めて気づかされるのは、禅師が弁道話を、ご自身の考えを述べるものとしてではなく、宋で見聞きし、師から受けたものを伝えるものとして書いておられる、ということです。問答のなかでも、禅師はしばしば「大宋国にしてみしかば」(本書第五回)と、宋の禅院で自ら見たことを示し、また宗師や祖師の言葉をもって答えておられました。自分の思いつきではなく、仏祖から受け伝えられたものを手渡す。宗門が大切にしてきた「正伝」の姿勢が、ここにも表れているように思われます。
叢林の規範および寺院の格式#
「このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草草にすべからず」(原文【1】)。
このほかの、叢林の規範や寺院の格式については、ここで示し教えるいとまがなく、また(それらは)手早くすませてよいものでもない、と。
「叢林」は、多くの僧が集まって修行する禅の道場のことです。そこには、日々の起居動作から、食事、作務、儀礼にいたるまで、さまざまな規範や格式があります。禅師は、それらについてはここで述べる暇がない、と言われます。「いましめす」を「今示す」と取るか「戒め(教え)す」と取るか、「草草にすべからず」を、それらは軽んじてはならない、と取るか、ここで手短に記すべきではない、と取るかには、幅があります(→読みの分かれるところ)。
ただ、どちらに読んでも、禅師が叢林の規範を軽いものと見ておられないことは、はっきりしています。弁道話は、坐禅の意義を説き、坐禅へ向かう人の疑いに答えることに力を注いだ書です。けれども、坐禅は坐蒲の上の時間だけで完結するものではなく、道場での日々の立ち居ふるまいの全体のなかに置かれている。その規範は、この短い書のなかで片手間に述べられるようなものではない。「草草にすべからず」という一句は、そのように読むことができるように思います。
宗門では、坐禅だけでなく、朝起きて顔を洗うこと、食事をいただくこと、掃除をすること、その一つひとつを作法にのっとって丁寧に行うことも、修行として大切にされてきた、と受けとめられています。在家の私たちの暮らしは叢林とは違いますが、坐禅のあとの一日を、ていねいに、心をこめて過ごそうとすることは、この「草草にすべからず」という言葉を、自分の暮らしの中で受けとめることになるのではないでしょうか。
【2】わが国の仏法と、青巌白石のほとりの坐禅――普勧坐禅儀に依行すべし#
秋方の仏法東漸する、これすなはち人のさいはひなり#
「おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明・用明の前後より、秋方の仏法東漸する、これすなはち人のさいはひなり」(原文【2】)。
そもそもわが国は、龍海の東に位置していて、雲や霞のかなたに遠く隔たっているけれども、欽明(天皇)・用明(天皇)のころから、西方の仏法が次第に東へ伝わってきた。これはとりもなおさず、人々の幸いである、と。
宗務庁版英訳の注によれば、欽明天皇の代に仏教が日本に伝わったとされ、用明天皇は早くからの仏教の強い支持者として知られていました。「秋方」は西の方角で、季節の秋が西に配されることによります(同注)。「龍海」については、大海一般の美称と取るか、大陸と日本の間の海を指すと取るかに幅があります。
禅師は、遠く海を隔てたこの国にも仏法が伝わってきたことを、「人のさいはひ」と言われます。序では、仏法が釈尊から迦葉尊者、達磨大師へと伝わり、中国に純一の仏法が広まったことを述べて、「わがくにもまたしかあらんことをこひねがふべし」(本書第一回)と結ばれていました。また問18への答えでも、「ときいたればその刹土にひろまる」(本書第八回)と示されていました。仏法がこの国に届いたことそのものを、まず幸いとして受けとめる言葉です。
名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ#
「しかあるを、名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ」(原文【2】)。
ところが、名相や事縁が繁く入り乱れて、修行のところで(人々は)わずらい迷っている、と。
「名相」は教えの名目や概念、「事縁」は事柄とそれにまつわるかかわりのことです。仏法は伝わってきた。けれども、教えの名目をめぐる議論や、修行の本筋でない事柄が入り乱れて、肝心の修行のところで、人々は迷っている、というのでしょう。「事縁」の中身、「修行のところ」を修行のうえでと取るか修行の場と取るか、「わづらふ」の主語を人々と取るか修行そのものと取るかには、それぞれ幅があります(→読みの分かれるところ)。
この一文は、問答のなかで禅師がくり返し示してこられたことを思い起こさせます。問4への答えでは、教えの優劣を論じることをせず、「この知見をならふて、仏法修行の正道とおもふべからず」(本書第四回)と戒められました。仏法の言葉や概念は大切なものです。けれども、それを追いかけることに心を奪われるとき、肝心の修行はかえって見失われてしまう。「名相事縁しげくみだれて」という言葉は、禅師が当時のこの国の仏法のありさまに見ておられた、その危うさを語っているように受けとめられます。
青巌白石のほとりに茅をむすんで、端坐修練する#
そして禅師は、それに対して、一つの姿を示されます。
「いまは破衣綴盂を生涯として、青巌白石のほとりに茅をむすんで、端坐修練するに、仏向上の事たちまちにあらはれて、一生参学の大事すみやかに究竟するものなり」(原文【2】)。
いまは、破れた衣とつくろった鉢(の暮らし)を生涯のこととし、青い岩や白い石のほとりに茅(の庵)を結んで、端坐して修練すると、仏向上の事がたちまちに現れて、一生参学の大事がすみやかに究め尽くされるのである、と。
名相事縁の入り乱れる世の中から離れて、質素な衣と鉢だけの暮らしを生涯とし、山中の岩のほとりに草庵を結んで、ただ姿勢を正して坐る。禅師がここで描かれるのは、そのような、飾り気のない修行の姿です。
冒頭の「いまは」をどう受けとめるかには幅があります(→読みの分かれるところ)。いま現に、われわれはこのように暮らしている、と禅師ご自身らの様子を述べていると取ることもできますし(宗務庁版英訳はこの方向で訳しています)、いまはもう、名相事縁をすてて、ただこのようにすればよい、というすすめと取ることもできます。「端坐修練するに」も、「すると」と取るか「するならば」と取るかで、少し響きが変わります。
どの読み方を取るにしても、ここで示されている修行の中心は「端坐修練」、姿勢を正して坐ることです。序の冒頭で禅師は、自受用三昧に遊化するには「端坐参禅を正門とせり」(本書第一回)と示されました。問1への答えでも、坐禅を「仏法の正門」(本書第三回)とされました。序で示された「端坐」が、十八の問答を経て、この結びでふたたび示される。弁道話は、坐ることに始まり、坐ることに帰ってくる書物だと言ってよいでしょう。
「仏向上の事たちまちにあらはれて」の「仏向上」は、仏をもさらに超えていくこと、仏という到達点にとどまらないことをいう言葉です。この言葉は、坐禅の功徳を説いた段にも「よく仏向上の法を激揚す」(本書第二回)と出てきました。その中身は、言葉で説明し尽くせるものではありませんが、坐禅が、何かの段階に到達して終わるものではなく、どこまでも行じられていくものである、ということと、深くかかわる言葉だと受けとめられます。
また、「一生参学の大事すみやかに究竟する」という言葉は、序で禅師がご自身について語られた「つひに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ」(本書第一回)と、同じ「一生参学の大事」という言葉を用いています。序では、禅師が如浄禅師のもとで、その大事を終えられたことが語られていました。結びでは、同じ大事が、この国で端坐修練する人にも、すみやかに究め尽くされる、と示されます。禅師が宋で師のもとに身をもって受けた大事は、禅師ひとりのものではなく、坐る人の誰にでも開かれている。この二つの言葉を並べて読むとき、そのような呼応が感じられるように思います。ただし、序の解説でもふれたように、宗門では序の「をはりぬ」を、修行がそこで終わるという意味には受けとめないとされます。ここの「究竟する」も、問7への答えの「証にきはなく、……修にはじめなし」(本書第五回)とあわせて、修行がそこで終わるという意味ではない、と受けとめることができるでしょう。
龍牙の誡勅、鶏足の遺風#
「これすなはち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり」(原文【2】)。
これがとりもなおさず、龍牙の誡勅であり、鶏足の遺風である、と。
宗務庁版英訳の注によれば、「龍牙の誡勅」は、伝統的に、龍牙居遁(835–923)の偈、とくに山中の隠棲の暮らしをたたえた句を指すと考えられています。「鶏足」は鶏足山で、第一祖の摩訶迦葉が退いて修行し、いまもなお、釈尊の衣を未来仏の弥勒に伝えるために待っていると伝えられる山です。
「これ」が何を指すか――山中で端坐修練する暮らしなのか、仏向上の事が現れ一生参学の大事が究竟することなのか、前の文全体なのか――には幅があり、また、隠棲をたたえる偈を「誡勅」(いましめ)と呼ぶことの意味、鶏足の伝承のどの面に重きを置くかについても、読みは一つに定まりません(→読みの分かれるところ)。
ただ、ここで禅師が、山中の質素な暮らしと坐禅とを、中国の祖師の言葉と、インドの初祖摩訶迦葉の遺風とに結びつけておられることは、はっきりしています。序では、釈尊が霊山会上で「法を迦葉につけ」(本書第一回)、それが祖師から祖師へ伝わったことが述べられていました。この国の山中で茅を結んで坐る一人の修行者の姿は、そのまま、仏法を受け継いできた祖師たちの姿に連なっている。禅師はそのように示しておられるのだと受けとめられます。
私たちの多くは、山中に庵を結んで暮らすことはできません。けれども、この一節から学ぶことはできるように思います。名相事縁、つまり言葉や理屈やさまざまな雑事にふりまわされる心を、しばし脇に置いて、ただ坐る。破衣綴盂という言葉が示すような、余計なものをもたない簡素さを、坐禅の時間のうちに取り戻す。一日のうちのわずかな時間であっても、坐蒲の上に坐るそのひとときは、青巌白石のほとりに茅を結ぶことに通じるものがある、と受けとめることもできるのではないでしょうか。
その坐禅の儀則は、普勧坐禅儀に依行すべし#
そして【2】は、次の一文で結ばれます。
「その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ撰集せし普勧坐禅儀に依行すべし」(原文【2】)。
その坐禅の儀則(作法)は、過ぎし嘉禄のころに(私が)撰集した『普勧坐禅儀』によって行うがよい、と。
弁道話は、坐禅の意義を説き、坐禅へ向かう人の疑いに答えてきました。けれども、実際にどのように坐るのか、その作法については、弁道話のなかでは具体的には述べられていません。禅師はそれを、別に撰した『普勧坐禅儀』に委ねられます。坐禅をすすめるこの書は、最後に、具体的な坐禅の作法への道しるべを示して、読む人を実際の坐禅へと送り出しているのです。
宗務庁版英訳の注によれば、嘉禄は1225年から1227年までの年号で、禅師の帰国が1227年であることから、ここで言われる『普勧坐禅儀』は、帰国のほぼ直後に撰述されたことになります。ただし、その嘉禄のころのものの内容はわかっておらず、現存する最古の『普勧坐禅儀』は天福元年(1233)の年紀をもつもので、弁道話より後のものである、とされています。また、宗務庁版英訳の解題は、弁道話がそれより前の『普勧坐禅儀』と同じように、禅師が大陸で身をもって経験した坐禅の修行を、日本の人々に紹介しようとしたものであること、『普勧坐禅儀』は整った漢文で書かれ、弁道話は仏教の説法などに用いられた和文で書かれていることを述べています。
なお、『普勧坐禅儀』そのものは、この解説の底本である本山版『正法眼蔵』には収められていません。本山版には第五十八巻「坐禅儀」という巻もありますが、それは正法眼蔵の一巻であって、ここで禅師が名を挙げておられる『普勧坐禅儀』とは別の書です。両者の関係についても、ここでは立ち入りません。この解説では、『普勧坐禅儀』の本文を引いたり、その内容をまとめたりすることは控えておきます。
ここで心にとめたいのは、禅師が、坐禅を「儀則」、作法のあるものとして示しておられることです。坐禅は、ただ自己流に坐ればよい、というものではない。仏祖から伝わってきた作法に依って行う。「依行すべし」という言葉には、そのような意味が込められているように思われます。問14への答えの結びで、禅師は「ただ正師の教道をたづぬべし」(本書第七回)と言われ、問16への答えでも「はじめ善知識をみんより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して」(本書第八回)と言われました。坐禅は、正しい師について、正しい作法を学びながら行うものである。これから坐禅をはじめようとする方は、書物だけで独り合点するのではなく、寺院の坐禅会などで指導を受けながら、作法を身につけていかれるのがよいでしょう。作法に身をあずけて坐るとき、私たちは、自分のはからいを離れて、仏祖が坐ってきたその坐り方のうちに、身を置くことになる、と受けとめられます。
【3】王勅と仏勅――ところをえらばず、けふをはじめと#
王勅をまつべしといへども#
【3】で禅師は、仏法を弘めることについての考えを述べられます。
「それ仏法を国中に弘通すること、王勅をまつべしといへども、ふたたび霊山の遺嘱をおもへば、いま百万億刹に現出せる王公相将、みなともにかたじけなく仏勅をうけて、夙生に仏法を護持する素懐をわすれず、生来せるものなり」(原文【3】)。
そもそも、仏法を国中に弘通することは、王勅を待つべきではあるが、改めて霊山の遺嘱を思えば、いま百万億の国々に現れ出ている王・公・相・将は、みなともに、かたじけなくも仏勅を受けて、前世からの、仏法を護持するという素懐を忘れずに、生まれてきた者たちである、と。
「霊山の遺嘱」は、釈尊が霊鷲山で、のちの世に仏法を託したこと、「みなともに」は、みな、そろって、という意味です。
この一節の論理をどう受けとめるかは、この結びのなかでも大切な、読みの分かれるところです(→読みの分かれるところ)。
まず、「王勅をまつべしといへども」の「といへども」を、「(本来は)王勅を待つべきではあるが」と取るか、「王勅を待つべきだと(世間では)言われているが」と取るか、「たとえ王勅を待つべきであるとしても」と取るかで、響きが違ってきます。
そのうえで、全体の筋道についても、いくつかの受けとめ方がありえます。一つは、王公相将はすでに仏勅を受けて生まれてきた仏法の護持者なのだから、その治める地はどこもみな仏国土であり、あらためて王勅を待たなくても仏法を弘めてよい、と読む方向です。二つめは、王勅を尊重する立場は崩さないまま、王たち自身が仏勅を受けて生まれてきているのだから、その素懐にかなう弘通は王勅の趣旨にそむかない、つまり王の命令の根には仏の命令がある、と読む方向です。三つめは、論点は王勅の要否よりも、このあとの「ところをえらび、縁をまつべきにあらず」という結論にあり、王勅はその「縁」の一例として挙げられている、と読む方向です。宗務庁版英訳は、このあたりに注を付けていません。
この解説では、どれか一つに決めることはしません。また、この一節の背後にあったかもしれない、禅師の当時の具体的な事情についても、本文から言えることを越えて立ち入ることは控えておきます。
そのうえで、どの読み方にも共通して受けとめられることがあるように思います。それは、禅師がここで、「王勅」と「仏勅」とを並べ、国を治める人々もまた、仏の勅を受け、仏法を護る願いをもってこの世に生まれてきた、と見ておられることです。「霊山の遺嘱」が何を指すかにも幅がありますが(→読みの分かれるところ)、序で語られた、釈尊が霊山会上で法を迦葉に託したこと(本書第一回)と重ねて読むこともできるでしょう。仏法は、釈尊から託されたものとして、はるかな昔から、この世に生まれてくる人々の願いのうちに受け継がれてきている。そのような大きなまなざしで、禅師はこの国の弘通を見ておられる、と受けとめられます。「夙生に」がどこにかかるか、「かたじけなく」を「恐れ多くも」と取るか「つつしんで」と取るかにも幅があります(→読みの分かれるところ)。
いづれのところか仏国土にあらざらん#
「その化をしくさかひ、いづれのところか仏国土にあらざらん」(原文【3】)。
その(王公相将の)化の行きわたる境の、どこが仏国土でないことがあろうか、と。
「その化」を王公相将の治め導きと取るか、仏の教化と取るか、「さかひ」を領域と取るか果てと取るかには、幅があります。宗務庁版英訳は、王公相将の治める地域と取る方向で訳しています。
どちらの読み方を取るにしても、この一句の響きは明るいものです。どこが仏国土でないことがあろうか。どの国も、どの土地も、仏の国土である、と。問18で問う人は、わが国は仁智の国ではない、と嘆きました。禅師はそれに「わが朝は、仁智のくににあらず、……仏法を会すべからずとおもふことなかれ」(本書第八回)と答えておられました。遠い辺地の小さな国であっても、そこは仏国土でないはずがない。この一句は、問18への答えを、さらに大きく包みこむもののようにも感じられます。
ところをえらび、縁をまつべきにあらず#
「このゆゑに、仏祖の道を流通せん、かならずしもところをえらび、縁をまつべきにあらず」(原文【3】)。
このゆえに、仏祖の道を流通させるのに、必ずしも場所を選び、縁を待つべきではない、と。
どこもみな仏国土であるから、仏祖の道を弘めるのに、ここでなければならない、という場所を選ぶ必要はない。また、何かの条件がととのうのを待つ必要もない、と。
ここで、序の一句が思い起こされます。序で禅師は、帰国ののち、「弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄して」(本書第一回)と語っておられました。そのとき禅師は、法を大いに挙げる時節を待つ、という姿勢をとっておられた(序の解説でふれたように、この句の読みにも幅があります)。また問8への答えでは、昔の人師がこの法を伝えなかったのは「時節のいまだいたらざりしゆゑなり」(本書第五回)とも言われました。そして問18への答えでは、仏法は「ときいたれば」その国に広まる(本書第八回)と示されました。
序では時を待ち、結びでは「縁をまつべきにあらず」と言われる。この二つを並べると、弁道話の最初と最後とで、禅師の言葉の向きが変わっているようにも見えます。この変化を、禅師の心境の変化と読むべきか、あるいは、時節を待つことと、場所や縁を選ばないこととは、別のことを言っているのか。本文だけからは、はっきりしたことは言えません。ただ、序で「待つ」と言われた時と、結びで「待たない」と言われた縁とが、弁道話という一篇の最初と最後に置かれていることは、読む者の心にとめておいてよいことのように思われます。
ただ、けふをはじめとおもはんや#
そして【3】は、次の短い一句で結ばれます。
「ただ、けふをはじめとおもはんや」(原文【3】)。
ただ、今日を始まりと思うであろうか、と。
この一句は、弁道話のなかでも、とくに読みの分かれるところの一つです(→読みの分かれるところ)。
一つは、反語として、「ただ今日を始まりと思うだろうか、いや、そうではない」と読む読み方です。宗務庁版英訳の注はこの読みを取り、いまの仏法の弘通は、はるか昔から続いてきたことの続きにほかならない、と認めるべきだ、という意味に解しています。この読み方は、直前の「霊山の遺嘱」や「夙生に」という言葉とよく合います。仏法は、釈尊が霊山で託して以来、はるかな昔から、人々の前世からの願いのうちに受け継がれてきた。いまここでの弘通も、今日はじめて始まるのではなく、その長い流れの続きなのだ、と。
もう一つは、「ただ今日を始まりと思おう」と、勧めや決意の言葉として読む読み方です。場所も縁も選ばないのだから、今日をその始めとせよ、と。直前の「ところをえらび、縁をまつべきにあらず」を受ける言葉としては、こちらも自然に読めます。ただし、「……んや」という言い回しは、ふつうは問いかけや反語に用いられるため、これを勧めの意に取る読み方には慎重さが求められます。さらに、「どうして今日を始まりと思わずにいられようか」と、反語の形で今日こそ始まりだと言い切る読み方も考えられますが、文の形からは無理があるかもしれません。「ただ」を「単に」と取るか「ひたすら」と取るかでも、響きが変わります。
この解説の訳では、原文どおり、問いの形にとどめました。どちらの読みを取るかはここでは一つに決めず、読みの比較は「読みの分かれるところ」にまとめます。
ただ、二つの読みは、坐禅をする私たちにとって、どちらも大切なことを語っているように思われます。反語の読み方に立てば、私たちが今日坐る一坐は、今日はじめて始まるものではなく、釈尊以来、仏祖が坐り継いできた坐禅の、長い流れのうちにある、ということになります。一人で坐っていても、その坐禅は、はるかな昔からの流れに連なっている。そう受けとめるとき、私たちは、自分の坐禅を、自分ひとりの小さな営みとしてではなく、仏祖から受け継いだものとして、大切に坐ることができるでしょう。
また、文法上の扱いに確かめを要する読みではありますが、勧めの読み方に立てば、この一句は、「いつか条件がととのったら」と先延ばしにする心への励ましとして響きます。もう少し暇ができたら、もう少し落ち着いたら、もう少しよい場所が見つかったら、坐禅を始めよう。私たちは、ついそう考えてしまいます。けれども、場所を選ばず、縁を待たない。今日、この場所から坐る。問15への答えで見た、「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと」(本書第七回)という言葉とも、響き合うところがあるように思います。
二つの読みを並べてみると、今日の一坐を、はるかな流れのうちにありながら、しかも今日ここで坐るほかにはない一坐である、と受けとめることもできるでしょう。その両方を、心にとめておきたいと思います。
【4】参学の真流にのこす#
「しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはん哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん参学の真流にのこす。ときに、」(原文【4】)。
そうであるから、これを集めて、仏法を願う哲匠、ならびに道を訪ね求めて雲遊萍寄する参学の真流(まことの修行者たち)に残す、と。
「これをあつめて」は、この一篇、つまり問答や、宋での見聞、明師の真訣を記したものをまとめて、と取るのが素直でしょう。宗務庁版英訳も「これを編んで」という方向で訳しています。序の「しるしあつめて」(本書第一回)を受けた言葉と読むこともできます。「仏法をねがはん哲匠」を、仏法を求める師と取るか、仏法を求めるすぐれた人々一般と取るかにも幅があります。
はじめに見たように、この一文は、序の撰述の動機と、ほとんどそのまま呼応しています。序では、禅師は「参学閑道の人にのこして」と言われました。結びでは、「参学の真流にのこす」と言われます。序では「のこして……しらしめんとす」、残して知らせようとする、と、これから書こうとする意志として語られていましたが、結びでは「のこす」と言い切られています。書きはじめるときに抱いた願いが、ここで、書き終えた一篇として手渡される。序と結びとは、そのように向き合っているのです。
そして、序では禅師ご自身の身の上をいう言葉だった「雲遊萍寄」が、結びでは、この書を受けとる修行者たちの姿をいう言葉として用いられます。道を訪ねて、雲のように行き、浮き草のように身を寄せる人々。序で禅師は、そうした人々が、どの山川を訪ねればよいかもわからずにいることを案じておられました。そこで、師に直接会うことがかなわなくても、この書を手がかりとして、正しい道に出会えるように。弁道話は、そのような願いをこめて、まだ見ぬ参学者に残された、と受けとめられます。
私たちもまた、そのようにして残された書物を手にしている一人です。禅師が「のこす」と言われた「参学の真流」のうちに、八百年近くのちに弁道話を読む私たちも、数えられているのかもしれません。禅師がそうして書き残してくださったものを、私たちは今日、坐禅の手がかりとして受けとることができる。そのことへの感謝をもって、この一文を読みたいと思います。
【5】奥書――寛喜辛卯中秋日#
「寛喜辛卯中秋日 入宋伝法沙門道元記」(原文【5】)。
寛喜辛卯の中秋の日、入宋伝法の沙門道元が記す、と。
これが、弁道話の奥書です。宗務庁版英訳では、【4】の末の「ときに、」をこの奥書の頭に置いて、「ときに、寛喜辛卯中秋日」と読んでいます。
宗務庁版英訳は、寛喜辛卯中秋日を1231年9月12日にあて、注では「中秋」を中秋の名月の日、すなわち八月十五日としています。解題では、弁道話は奥書によれば1231年の秋に書かれたもので、禅師が中国から帰国してわずか四年後、興聖寺を開き正法眼蔵の撰述を始められる一年前にあたる、とされています。序(本書第一回)でもふれたとおり、京都の郊外にしばらく身を寄せておられた頃の撰述とされますが、奥書そのものには、どこで書かれたかは記されていません。
「入宋伝法沙門」は、宋に入って法を伝えた沙門、という禅師ご自身の名のりです。「伝法」を、法を受け嗣いだ、と取るか、法を日本に伝える、と取るかには幅があります。どちらに取るにしても、禅師がこの書を、宋で受けた法を伝える者として書き記しておられることは、この名のりに表れています。序で「一生参学の大事ここにをはりぬ」と語られた禅師が、帰国ののち、「弘法救生をおもひとせり」という念願を語っておられたこと(本書第一回)と、この名のりとを重ねて読むこともできるでしょう。
奥書のあとには、別の行に「辦道話」と巻末題が記されています。巻末題に「正法眼蔵」の語は冠されていません。序の解説でふれたように、弁道話は、もともと正法眼蔵の一巻として書かれたものではないと見られ(宗務庁版英訳の解題は「ほぼ確実に」と述べます)、のちに本山版で第一巻に置かれたものとされています(宗務庁版英訳の解題による)。
むすびに――弁道話全体をふりかえって#
こうして、弁道話を最後まで読み終えました。序から結びまでの流れを、これまでの各回(本書第一回〜第八回)を思い起こしながら、短くたどっておきましょう。
序(本書第一回)で禅師は、諸仏如来が単伝してきた「最上無為の妙術」があり、その標準は自受用三昧であって、「端坐参禅を正門とせり」と示されました。そして、ご自身の求法の歩みと、この書を記す動機、仏法が仏から仏へ伝わってきたことと、この国への願いとを語られました。続く段(本書第二回)では、ただ打坐して身心脱落することが示され、一人一時の坐禅の功徳が、はかりしれないものとして説かれました。
そこから十八の問答に入ります。問1〜問3(本書第三回)では、なぜ坐禅だけをすすめるのか、ただ坐るだけで何になるのか、と問われ、禅師は坐禅が仏法の正門であることを示されました。問4〜問6(本書第四回)では、ほかの教えと比べて何がすぐれているのか、坐禅は三学・六度の一つにすぎないのではないか、なぜ四儀のうち坐だけなのか、と問われ、禅師は教えの優劣を論じることをせず、修行の真偽を知るよう示されました。問7〜問9(本書第五回)では、すでにさとった人に坐禅は要るのか、と問われ、「修証これ一等なり」と示されました。問10(本書第六回)では、身は滅びても心は常住であるという見方が取りあげられ、禅師は身心一如・性相不二を示されました。問11〜問15(本書第七回)では、戒律、兼修、在家、世の務め、末の世と、坐禅を始めようとする人の具体的な不安が一つずつ取りあげられました。そして問16〜問18(本書第八回)では、即心是仏の旨をわかれば坐禅は要らないのではないか、坐禅によらずにさとった人もいるではないか、わが国の人でも証を得られるのか、と問われ、禅師は正信と坐禅辦道とをすすめられました。
それぞれの問答の読み方については、各回の解説と「読みの分かれるところ」にゆだねます。ただ、全体をふりかえってみると、十八の問いは、形はさまざまでも、どれも、坐禅に心を引かれながら、坐ることをためらわせる何かから出ていたように思われます。なぜ坐禅なのか。ほかの道ではいけないのか。わかっていれば坐らなくてよいのではないか。自分のような者でもよいのか。禅師は、そのどれに対しても、最後には、坐ることへと問う人を導いておられました。
そして結びでは、そのすべての問答を「はななきそらにはなをなさしむる」ものとして一歩退いて眺めたうえで(その読みには幅がありますが)、なお、この国に坐禅の宗旨が伝わっていないことを思い、書き残すことを述べられました。山中に茅を結んで端坐修練する姿を示し、坐禅の作法は『普勧坐禅儀』によるよう示し、場所を選ばず縁を待たずに仏祖の道を流通させることを述べ、そして、道を求めて旅する後の人々に、この一篇を残されたのです。
序で禅師は、「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」(本書第一回)と言われました。そして問18への答えの最後では、「いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」(本書第八回)と言われました。仏法は、一人ひとりの身にゆたかにそなわっている。けれども、修さなければ現れない。その種はゆたかであるのに、引き受け、受け用いることがまれである。弁道話は、この一点を、はじめから終わりまで、さまざまな角度から語りつづけた書物だった、と受けとめることもできるでしょう。
そうであれば、弁道話を読み終えた私たちに残されていることは、ただ一つです。言葉を読むことを終えて、坐ること。
坐る場所は、山中の庵でなくてもかまわないでしょう。「いづれのところか仏国土にあらざらん」と禅師は言われました。この一句は仏法の弘通について言われたものですが、坐ることに引き寄せて受けとめるならば、家の一隅でも、寺の坐禅堂でも、坐るその場所が、坐る人にとっての青巌白石のほとりだ、と言うこともできるのではないでしょうか。坐る時も、「縁をまつべきにあらず」を同じように受けとめるならば、条件がととのうのを待つ必要はない、ということになります。作法は、禅師が『普勧坐禅儀』によるよう示されたとおり、儀則に依り、正しい師に学びながら身につけていく。そして坐禅を終えたら、食事も、仕事も、人とのかかわりも、「草草にすべからず」、ていねいに営んでいく。
その一坐は、今日はじめて始まるものではなく、霊山の昔から仏祖が坐り継いできた坐禅の流れのうちにある、と受けとめることができます。そして同時に、今日この場所で、自分が坐るほかにはない一坐でもある、と。「けふをはじめとおもはんや」という禅師の問いかけを胸に、今日もまた、静かに坐りたいと思います。
読みの分かれるところ#
この回の範囲にも、読み方が一つに定まらない言い回しがいくつもあります。主なものを挙げます。どれか一つを正解とするのではなく、読みの幅として示します。
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「いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる」【1】
問答という言葉のやりとりは、坐禅の宗旨から見れば、花のない空に花をこしらえたようなものだった、という謙遜の言葉として読むことができます。一方、言葉にならない仏法に、問答によっていくらかは花を咲かせた、と前向きに読むことも、こんな問答でどれほどのことが示せようか、という反語に読むこともできます。直後の「しかありとも」(たとえそうであっても)とのつながりは、謙遜の読みがもっとも自然ですが、ほかの読みも退けられません。宗務庁版英訳は「たくさんの花をつくり出している」という方向で、謙遜の読みに近い形で訳しています。 -
「いましめすにいとまあらず、又草草にすべからず」【1】
「いましめす」は、「今・示す」(いまここで示す)とも、「戒め・す」(戒め教える)とも読めます。「草草にすべからず」は、叢林の規範や寺院の格式は軽んじてはならない、という意味にも、それらをここで手短に記すべきではない、という意味にも取れます。宗務庁版英訳は「いましめす」を「ここで説明する」に近い方向で訳しています。 -
「名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ」【2】
「事縁」を修行の本筋でない事柄と取るか、事柄と因縁一般と取るか、「修行のところ」を修行のうえでと取るか修行の場と取るかで幅があります。「わづらふ」の主語も、この国の人々とも、修行そのものとも、名相事縁とも取れます。宗務庁版英訳は、名相事縁が修行の場にわずらいを生じた、という方向で訳しています。 -
「いまは破衣綴盂を生涯として……端坐修練するに」【2】
「いまは」を、いま現にわれわれはこのように暮らしている、と取るか、いまはもうただこのようにすればよい、というすすめと取るか、今の時代にあっては、と取るかで響きが変わります。「端坐修練するに」も、「すると」「するならば」「するとき」と取る幅があります。宗務庁版英訳は、いま現に、という方向で訳しています。 -
「これすなはち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり」【2】
「これ」が、山中で端坐修練する暮らしを指すのか、仏向上の事が現れ一生参学の大事が究竟することを指すのか、前の文全体を指すのかで読みが分かれます。宗務庁版英訳の注は、龍牙の誡勅を、隠棲の暮らしをたたえた龍牙居遁の偈を指すと伝統的に考えられているとしますが、それを「誡勅」(いましめ)と呼ぶことの意味や、鶏足山の伝承(摩訶迦葉の山中の修行と、弥勒を待つこと)のどの面に重きを置くかにも幅があります。 -
「仏法を国中に弘通すること、王勅をまつべしといへども、……」【3】の論理
王公相将はすでに仏勅を受けて生まれてきた仏法の護持者なので、あらためて王勅を待たずに弘めてよい、と読むことができます。一方、王勅を尊重しつつ、王の命令の根には仏の命令があるので、その素懐にかなう弘通は王勅の趣旨にそむかない、と読むことも、論点は王勅の要否よりも「ところをえらび、縁をまつべきにあらず」という結論にあり、王勅は「縁」の一例として挙げられている、と読むこともできます。「といへども」も、「(本来は)待つべきではあるが」「(世間では)待つべきだと言われているが」「たとえ待つべきであるとしても」と取る幅があります。宗務庁版英訳は、このあたりに注を付けていません。 -
「霊山の遺嘱」「夙生に」「かたじけなく」【3】
「霊山の遺嘱」は、仏法を後の世の人々に護るよう託したことと読むことも、序に語られた摩訶迦葉への付嘱を含めて言うものと読むこともできます。「夙生に」は「仏法を護持する」にかかるとも、「素懐」にかかるとも、「仏勅をうけて」にかかるとも読め、「かたじけなく」も「恐れ多くも」とも「つつしんで」とも取れます。宗務庁版英訳は、前世からの素懐を忘れず、仏勅をつつしんで受けて生まれてきた、という方向で訳しています。 -
「ただ、けふをはじめとおもはんや」【3】
「ただ今日を始まりと思うだろうか、いやそうではない。霊山の遺嘱以来、はるか昔から続いてきたことの続きである」という反語の読みがあり、宗務庁版英訳の注はこの読みを取っています。一方、「ただ今日を始まりと思おう」という勧め・決意の読みもありえますが、「……んや」を勧めの意に取れるかには文法上の確かめが要ります。「どうして今日を始まりと思わずにいられようか」と取る読みも考えられますが、文の形からは無理があるかもしれません。「ただ」を「単に」と取るか「ひたすら」と取るかでも響きが変わります。
参考#
- 底本:『正法眼蔵』本山版(九十五巻本)第一「辦道話」
- 参照:曹洞宗宗務庁『Treasury of the True Dharma Eye: Dōgen's Shōbōgenzō』Vol. VII(Sōtō Zen Text Project、2023)
- 年代・人名の比定、『普勧坐禅儀』と本巻の撰述についての説明と、「読みの分かれるところ」に挙げた英訳の読みは、同書の本文・注・解題によります。